岡上淑子 フォトコラージュ 沈黙の奇蹟

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    JUGEMテーマ:コラージュ

    岡上淑子 フォトコラージュ 沈黙の奇蹟

    公式サイト:
    https://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/190126-0407_okanoue.html

    目黒・東京都庭園美術館( https://www.teien-art-museum.ne.jp/ )にて。

    終わってしまった展覧会だけど……コラージュ好きとしては、したためておきたい。

    コラージュ作家・北川先生に紹介されて知った、岡上淑子女史の展覧会。
    昨年、作品集『はるかな旅』の出版を記念して、高知県立美術館で展覧会が催されていたが行けずじまいだったので、私にとっては久しぶり。恵比寿・LIBRAIRIE6/シス書店での個展exhibition - 夜間訪問 - 岡上淑子 - Toshiko Okanoue -以来だった。

    岡上女史のラグジュアリーな雰囲気の作品が、会場の邸によく合う。

    展示会場は2部構成で、「マチネ」「ソワレ」と題されている。コラージュのモノトーンの色味の対か、女史の活躍の暗示か、なかなか粋なネーミングだと思った。

    気に入っている作品と、この展覧会を通して知った、岡上女史のコラージュの魅力についての備忘録。


    第1部 マチネ

    会場に入ってすぐ、人気の高い作品が並んでいた。

    画集などで拝見していたそれら作品だが、オリジナルを拝見すると写真などでは感じ得なかったものがあった。
    切り取られ糊付けされたマチエールたちが、紙の厚さによって立体感をもっている。画集やポストカードでコピーされフラットになったものでは気づけない。
    均一になって一つの作品となったものよりも、切り貼りされていることが鮮明であることで強調される異物感。

    幻想

     岡上淑子《幻想》1953

    これも展覧会『夜間訪問』で拝見した作品。再び拝見できて感無量。

    依然見た時と、私の中での印象は変化していなかった。
    ミヒャエル・エンデ『遺産相続ゲーム』の舞台の屋敷と馬の足音――それは黙示録の四騎士であり、不吉な破滅の予兆――を想起させる。
    同時に、ヨハン・ハインリヒ・フュースリ《夢魔(ナイトメア)》(※1)の寝室をのぞき込む馬の首をも。

    沈黙の奇蹟

    岡上淑子《沈黙の奇蹟》1952

    木々の間、少し開けた空間。
    画面向かって左には、ライフル銃を携帯する首の無い人物像が列をなしている。
    画面中央にはその列から離れ、犬の散歩をしている修道服を着た首の無い女性。
    その向かって右上には、パラシュートの先に顔が付いている。

    私はこれまで、中央の修道服の女性の方に注意が向いてしまい、パラシュートの首に気づいていなかった。
    その顔(首)は修道服の女性のものなのか?
    パラシュートでどこかへ飛んで行ってしまうのか、それともこれから修道服の首に乗るのか?
    たくさんの想像を掻き立てられる。

    沈黙の奇蹟》の傍には、『祈祷室の薔薇』という岡上女史の詩が展示されていた。

    祈祷室の薔薇

    深夜 祈祷室の薔薇は目覚める
    野性のヴェールに
    巫女たちの愁訴をかき抱き

    大理石の舗道は
    客席のない舞台に続く

    なめらかな足並みは
    時間の刺青を消してゆく

    岡上淑子著、神保京子監修『岡上淑子 フォトコラージュ 沈黙の奇蹟』 2019 p.181

    岡上淑子 フォトコラージュ −沈黙の奇蹟−

    祈りと舞台への道行の時間の流れのイメージが、コラージュのそぞろ歩く人物のイメージとリンクする。
    ライフル銃を携行する首の無い一団は、同じく首の無い修道服と同質のものに見えてゆく。修道女≒巫女、といった具合に。
    そして犬を連れた首の無い修道服の女性はその一団から離れた存在……先行して客席の無い舞台に向かっているのではないかと……
    それは私の勝手な想像に過ぎないが、不思議と結びついているような気がした。

    他、最初期の作品である被服学校で授業の一環で制作したコラージュも展示。
    単色の羅紗紙に3つほどの要素で構成されたそれは、マチエールだけでなく構図も他の作品と違って、ファッショナブルな印象を私は受けた。

    コラージュ制作から離れた後の、写真作品や植物画も展示されていたが、私には女性の手工芸の域を出ない印象を受けて、物足りなく感じてしまった。……すみません。

    イメージの源泉を辿る

    岡上女史は被服学校でアートの授業の一環で切り絵を経験したこと、瀧口修造(※2)との出会いをきっかけに、コラージュへの創作をはじめる。

    展覧会の構成では、コラージュの源泉となったであろう物も展示されていた。

    シュルレアリスム運動の中でコラージュの奇想天外な組み合わせのスタイルを確立させた、マックス・エルンスト『百頭女』も展示してあった。

    百頭女 (河出文庫)

    岡上女史は瀧口修造からマックス・エルンストとそのコラージュを知り、背景にも写真を使うようになったという。

    服飾学科での就学の影響も無縁ではないだろう。裁縫の型紙の形成と、それを基に布を切り出し縫い合わせて、服という新しいものを創るという共通した概念に留まらず。
    そういう環境でないと、ヴォーグ誌など海外の雑誌に触れる機会はそんなに無かっただろうから。

    展示会の一部区画に、コラージュの元になった雑誌が展示。
    LIFE誌に掲載されていたクルーザーが海を切る写真。現実的な写真があの《海のレダ》を構成する一部になる。
    海を切り裂く船はトリミングで無くなり、白波に沿うように白鳥と女性の上半身が添えられている。
    不思議な感覚だった。

    岡上淑子《海のレダ》1952

    「海のレダ」は私の一番好きな作品です。
    女の人は生まれながらに順応性を与えられているといいますが、それでも何かに変わっていく時にはやはり苦しみます。そういう女の人の苦悩をいいたかったのです。

    コラージュというキリヌキ
    流行』7月号 1953

    私が《海のレダ》に感じた、ギリシア神話の「レダと白鳥」や「エウロペの略奪」のイメージは、女性の普遍的なものだった。
    まだまだ女性の社会進出がままならず、むしろ黎明期だっただろうか、岡上女史はそうした時代の空気を敏感に感じ取り、この作品に投影したのではないだろうか?
    現代社会に置き換えれば、女性の社会進出においてまだまだ存在する弊害や、#MeeToo運動だろうか。
    必ずしも悲観的なものではなく、道を切り開くという事に痛みが伴う……岡上女史の言葉を拝見して、神話的イメージを抜け、私はそんな現実を垣間見ていた。

    第2部 ソワレ

    上記までは会場での構成で第1部にあたる。
    「第2部 ソワレ」になると、メッセージ性の強い作品が多いように思われる。
    その多くは戦争と死を強く意識させるもの(過去の対戦と当時そして現在まで続く諸戦闘、内戦)、それに反旗を翻すような、女性たちの姿だ。
    あるいは……戦争を繰り返すばかりの男たち、無機質な男中心の社会に対して、別の道があることを ( いざな ) うように見えた。
    機械のように無機質な男たちに対し、圧倒的な有機性と自由さがある女性たち……

    岡上女史の独自性

    前述のとおり、エルンストを(エルンストの作品に魅了されていた)瀧口修造をとおして知った岡上女史は、期せずしてその追随者となったように思える。
    一見すると、エルンストの影響をもろに受けているようだが、似て非なるものがある。特にヴィジョンとして現れる“女性像”は、エルンストの作品には殆ど現れず、あったとしても他のシュルレアリスムの画家たちが描き出したよな永遠に手の届かない理想の女、存在しない彼方の女、女神といった、形而上的な存在だ。

    彼ら(男性のシュルレアリスト)が第一次世界大戦による惨禍を背景に近代の合理主義への批判に傾いていたとすれば、岡上は敗戦後の復興期にあった日本で、アメリカによって再びもたらされた「自由」や「平等」という概念を意識しながら制作していたからだ。岡上は新しい時代への希望を胸に、流行や時勢とともに消費され、忘れ去られていく運命のグラフ雑誌の女性たちを解放し、新たな命を与えていたのである。

    池上裕子『自由と解放のヴィジョン――岡上淑子のフォトコラージュ』
    岡上淑子『岡上淑子全作品』2018 p.175

    岡上淑子全作品

    コラージュという“奇想天外な組み合わせ”故に、シュルレアリスムの女性像と手法的には被るものの、岡上女史のコラージュの女性像は、男性が理解しえない彼方の ( ひと ) ――女神でもファム・ファタール――ではない。
    いつか来る、そして本来あるべき「自由な私」であり、自分自身でもある。


    終戦から10年が経ち、戦後復興から新たな時代への予感がある。その中で模索され始めた、女性たちの“自分とは何か”が示されているが故に、私たちの琴線に触れるのではないだろうか?

    話が飛躍してしまうが、巷にあふれる自己啓発本には、大きく大別すると男性向けと女性向けがあり、男性向けは「仕事効率・能力アップ」、女性向けは「家事や役割に囚われず、自分らしさを実現すること」になるという。(※3)
    どんな時代であっても、女性は社会的な地位や情勢に左右せれず“ありのままの私”でありたいと強く願う。
    岡上女史の作品に、そうしたヴィジョンを鑑賞者は見いだす。それが岡上女史の作品の魅力ではないだろうか。


    私は今まで、その力強さと独自性を肌で感じながらも、きちんと言語化できていなかった。
    今回の展覧会などを通して、図録を拝見して、岡上女史の作品が再評価され、その魅力がこうして明文化されていたことは非常に価値があると思う。
    良い展覧会だった。

    面白かったのは、岡上女史を取り上げた雑誌類を展示しているコーナーで、『サンケイカメラ』1959年9月号の記事に、フォトコラージュを「マジックフォト」と記していたこと。……魔法なんだ(笑)

    1.  Johann Heinrich Füssli "The Nightmare" 1790−1791.
      https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Johann_Heinrich_F%C3%BCssli_053.jpg(2019/8/14 確認)
    2.  瀧口修造 (Wikipedia / 日本語)
      https://ja.wikipedia.org/wiki/瀧口修造(2019/8/14 確認)
    3.  【参考文献】牧野智和『日常に侵入する自己啓発: 生き方・手帳術・片づけ

      日常に侵入する自己啓発: 生き方・手帳術・片づけ
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      • 2019.10.14 Monday
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