映画『沈黙 ―サイレンス―』感想

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    JUGEMテーマ:映画

    映画『沈黙 ―サイレンス―』チラシ

    公式サイト:
    http://chinmoku.jp/

    学生の時、授業で一部読んだ遠藤周作『沈黙』が、マーティン・スコセッシ監督によって映画化されると聞いて……ディープな物語で憂鬱になるのではと臆していたのだが、予告編を見ていたら、観たくなった……

    多様な解釈ができる映画だった。

    あまりに多くの人間と諸々の葛藤が描写され、胸を打つ。
    そして鑑賞者はキリスト教義の枠に留まらない普遍的な問題を突きつけられる。

    人間の“信じる”とはいったい何なのか?という事だった。

    キリシタン弾圧下の日本で棄教を迫られ、「信仰とは何か?」という問いだけでなく。

    映画『プロメテウス』考察――“信じる”という人間性にも通じる内容だった。

    それらは乱反射し多様に輝くプリズムのようで、 多彩な輝きに目がくらみ、掴めない、認識できないもののようだった。

    何を書いても、それはこの映画の一面に過ぎない。どうしても断片的な書き方になってしまう。
    でも書かないよりは書きたくなるので、したためておく。

    以下、!エンディングのネタバレあり!


    沈黙と音

    蝉の鳴き声

    映画の冒頭から聞こえる、晩夏の蝉の鳴き声は、沈黙(無音)に対を成すようにかしましい。

    ギリシャ出身で、日本に永住した民俗学者・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は「世界中で、蝉の鳴き声を騒音と思わず、美しいと感じているのは古代ギリシャ人と日本人くらいだ」(※1)と言ったという。

    スコセッシ監督はそれを踏まえているように思えた。

    日本人の私には(微妙に時間軸に合わない虫の鳴き声が混ざっていたが)時間が流れ、日々が過ぎ、四季の移り変わりがあることを意識させた。

    同時に、それがロドリゴ神父の心境の変化をも暗示しているのかも知れない。

    蝿の羽音

    虫の鳴き声がかしましく感じる中で象徴的な、蠅が飛ぶ音。
    不快感を呼び起こさせ、更に不潔よりも死の臭いを連想させる。

    キリシタン弾圧を強める井上筑後守が現れる時と、何度も踏み絵をしたりロドリゴ神父を密告しながら、獄中で懺悔したいというイチジローの姿がある時に、その音がする。

    ある種の悪意を暗示しているのだろうか?
    それが井上のものなのか、イチジローのものなのか、はたまたロドリゴ神父が内に秘めたものなのかは、定かではない。

    読経

    もう一つ、音で興味深かったのは、寺での読経の声だった。
    案内された寺で、自然音も聞こえない静寂の中に響く、坊主の読経。
    日本に既存の宗教観の描写である訳だが、その読み方が私がお寺で聴く読経の仕方とイントネーションの置き方?が異なるため、気になった。

    同時に、映画の中の読経がキリスト教の讃美歌と通じるもののように描写されているのではないだろうか?と考えてしまう。
    どこか精神的な落ち着きをもたらすような響きに。

    キリスト教と日本の仏教の違いを、どこかシンメトリックに表現しようとしたのではないだろうか?

    宗教音楽に精神的高揚や鎮静作用があるものが多いのは、よく指摘されている。
    それと同じように音楽ではない読経にそうした側面があると監督は意識的・無意識的に解釈したのだろうか?

    磯で殉教した日本の信者は、死の間際まで讃美歌を歌っていた。(※2)それと対を成すようにも思えた。

    彼が何のために歌っていたのか――信ずる神のためだったのか、己への葬送曲、死の恐怖を緩和するためだったのか――を知る由は無い。
    それ故に、様々な思いを巡らしてしまう。(※3)

    信仰

    日本人にとって、キリシタン信仰は何を意味するのか?

    隠れて信仰する姿は初期キリスト教信者がカタコンベ(地下共同墓地)で祈っていたことを彷彿させるが、それとは似て非なるものだ。(※4)

    映画本編の中で、聖職者と日本のキリシタンの信仰の“違い”にもどかしさを覚えている事が描写される。

    十字架にメダイ、さらには神父が持っていたロザリオの数珠まで欲しがる信者たちに、戸惑いつつそれらを与えるロドリゴ神父。

    隠れキリシタン達は「神社でお参りをした後、お守りを頂いて身に着けるとご利益がある」という感覚だろうか。
    一種のフェティシズムだ。

    セム系一神教は、基本的に偶像崇拝を禁止している。
    しかし、古代からの、あるいは人間の性だろうか……抽象的な存在、概念の“神”を他人に伝える事は難しく、”神の似姿”ではない象徴物や、儀式によって人々は信仰を”形”にしてきた。
    カトリックでは他のセム系一神教とは異なり、神や聖人を表現する宗教芸術を認めている。人々に信仰を広める、伝えるための“メディア”として有効であるため。(それが西洋美術の発展を促した側面がある。)
    その対象を拝むこと“だけ”が信仰ではない、という前提のもとに……

    また、ガルペ神父は日本人の隠れキリシタンと「パライソ(楽園)」に対しての認識の違いに困惑する。

    日本の“隠れキリシタン”について語るとき、カトリックの本来の姿とは異なり神仏習合の例に漏れず独自の信仰形態をとった特異性ばかり強調される。

    ただ、日本でそうした“習合”が起こったのは何故なのか?
    宗教弾圧が時の政治的な争いなら、征服されたものが抹殺されなかった、できなかったのか――は興味深く、様々な推測ができる。

    私個人の解釈としては、日本人は神道・仏教・キリスト教であれ、それら全ての“ご利益”を得たい、得られると考えていた、“ご利益”を得られる存在であれば信仰の対象となる考えがあったのではないか、と考えている。

    踏み絵

    上記の日本人のフェティシズムとご利益の関係にも関わると思うのだが、踏み絵を踏まなかった人は、日本的な信仰の対象を蔑ろにするような後ろめたさだけでなく、それによる“ご利益の喪失”への拒否感もあったのではないだろうか?

    もっとも、フェティシズムが日本の専売特許ではないし、当時の人と今の日本人の信仰の在り方は異なるのでやっぱり何とも言えない……
    先祖崇拝の延長のような、信仰が“代々受け継がれた”ものであるが故の畏敬の念もありそうな事も、否定できない。

    日本の特異性があるとはいえ、あらゆる宗教が、相互に影響しあったり習合していったと思うので、それが日本の専売特許でもないので、海外の人がこの映画を観て、何を見出だすのかも気になるものがあった。(※5)

    幸福なるかな、貧しき者よ

    日本版宣伝に使われた、“なぜ弱きわれらが苦しむのか――”というキャッチフレーズの意味を考えてしまう。

    それがルカ伝の行を彷彿させられるためだ。

    幸福(さいはひ)なるかな、貧しき者よ、神の國は汝らの有(もの)なり。

    幸福なる哉、いま飢うる者よ、汝ら飽くことを得ん。

    幸福なる哉、いま泣く者よ、汝ら笑ふことを得ん。

    人なんぢらを憎み、人の子のために遠ざけ、謗り、汝らの名を惡しとして棄てなば、汝ら幸福なり。

    その日には喜び躍れ。視よ、天にて汝らの報(むくい)は大(おほい)なり、彼らの先祖が預言者たちに爲ししも斯くありき。

    ルカ伝福音書(6章20〜26)

    貧しき者、虐げられる者を励ますこの言葉。
    それを“信じ”、死んでいった人々は救われたのだろうか?そもそもそれが信仰なのか?――そんな反語のようなイメージを思い起こさせる。

    裏切り者

    物語の重要なキャラクターであるキチジロー。彼にユダを見いだすことは容易だろう。
    ユダは分かりやすく、“人気のある”存在ではないだろうか。

    ユダの魅力――
    それは人間の“弱さ”の象徴のような存在だろう。
    信仰であれ道徳であれ、「正しい道」を知りながらも、誘惑に負け、道を踏み外す。
    現実の人間は親近感を覚える。

    だが、単純にキチジローをただユダと結びつけていいのか?

    二度目の踏み絵での、ぼろぼろなキチジローの姿は、十字架のキリストに似ていた。
    キリストは囚われる晩にゲッセマネの祈りの中で、神に遣わされた使命の成就に反してその回避――死への恐怖を口にする。

    また、何度も踏み絵をする姿に、第一の使徒たるペテロ(初代教皇)を想起してしまう。
    「汝、今宵の鶏鳴を待たずして三度我を否むべし」とキリスト言われペテロはそれを否定するも、成就してしまう聖書の行を。(※6)

    このイメージの重ね合わせは、ロドリゴ神父が自身をキリストの受難と照らし合わせる事とも、対照的なものとして存在している気がする。
    それが、川で水面に映った自分の顔と絵画のキリスト、それが変容して悪魔的な笑みに成ってゆくことと呼応していた。

    沈黙と本質

    このタイトルは秀逸だと、常々思う。

    隠れて祈る隠れキリシタンの“沈黙”
    神の“沈黙”
    そして“沈黙”することで信仰を守ったロドリゴ神父。

    (迫害のため)祈りと儀式、更にはイメージさえも、あらゆる形式が削ぎ落とされる。その無――沈黙の中に残ったものは、確かに“信仰”だった。
    人間はあらゆる形で何かを“信じる”ことを止めることはできないのだ。

    そして、それにより導き出される“本質”がある。

    「踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。」

    『沈黙』は権威的で己を高めることに重きを置いたキリスト教の男性原理的な部分ではなく、全てを受け入れ赦す女性原理的な側面を強調する。
    前者だけがキリスト教の信仰の全てではないと思うのは、現代を生きる私だけの解釈だろうか?

    よく(当時の)日本の宗教観、文化をリサーチされたものだと思う。
    特に最後の葬送のシーンなど……
    現代日本では欧米式の葬儀の影響から、横長の棺桶と黒い喪服だが、古くは死者は桶に座す様に納め、遺族も白喪服だった。それが映画内で描写され、驚いた。

    棄教の後、天寿を全うし荼毘に付されたロドリゴ神父。 胎内回帰を象徴する桶の中、遺体の手の中で輝くような木製の小さな十字架。

    彼の魂の本質が何処に帰属するのかを示唆していた。

    余談

    後妻の女性は、守り刀と共に、木彫りの十字架をそっと忍ばせる。
    私の個人的な印象だが、彼女が隠れキリシタンとは思えなかった。
    ただ、沈黙する夫の信仰に口を挟まず嫌悪せず、夫のありのままを受け入れていたのだろうか?

    そうだとしたら、私はそれを深い情――あるいはとても精神的な愛――だと思った。

    蛇足

    ガルペ神父役のアダム・ドライバー。
    映画『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』でシス方のジェダイ、カイロ・レンを好演した彼。
    ロバート・デ・ニーロのように、役作りのために減量したり……(※7)
    “キモかっこいい”俳優として人気が出ているらしい……(※8)

    イイネ!グッド

    1. 1 藤村シシン『古代ギリシャのリアル』実業之日本社 (2015) p.259
    2. 2 

      長崎の日本二十六聖人にヒントを得ているのは言うまでもない。

      特集記事|日本二十六聖人殉教地(西坂公園)|教会|長崎市公式観光サイト「 あっ!とながさき」
      http://www.at-nagasaki.jp/junrei/113/article/13/

    3. 3 伊藤三巳華『視えるんです。2 (幽BOOKS)』KADOKAWA/メディアファクトリー(2011)では、霊視で殉教した少年信者が、一番年下の信者の死の不安を和らげるために歌った、と語る姿を見ている。真実がどうであれ、切なく心温まるイメージだった。
    4. 4 ローマ帝国によるキリスト教徒の迫害 - 聖書と歴史の学習館
      http://www.lets-bible.com/history_christianity/a10.php
    5. 5 在日外国人や若者が見た「沈黙」 「沈黙―サイレンス」映画deディスカッション : 文化 : クリスチャントゥデイ
      http://www.christiantoday.co.jp/articles/23180/20170206/silence-movie-grace-city-church-commuity-arts-tokyo.htm
    6. 6 マタイ伝福音書26章31〜75節
    7. 7 “カイロ・レン”から“宣教師”へ…23kg減量し覚醒するアダム・ドライバー『沈黙』
      http://www.cinemacafe.net/article/2017/01/20/46443.html
    8. 8 “キモかっこいい”で大ブレイク アダム・ドライバー : 読売新聞
      http://www.yomiuri.co.jp/komachi/beauty/celeb/20170131-OYT8T50108.html
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