クリムト展 ウィーンと日本1900

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    クリムト展 ウィーンと日本1900

    公式サイト:
    https://klimt2019.jp

    上野・東京都美術館にて。

    この頃、忙しくてブログを書けなかった……ので、これも終わってしまった展覧会。

    クリムト没後100年、日本オーストリア国交樹立150周年を記念したもの。

    日本(ジャポニズム)とクリムトの関係を指摘することは多々ある。よく当時の流行だったこと、それがクリムトなど画家たちにインスピレーションを与えたことは事実だが、日本美術だけに傾倒していた訳では無いと思うのだが……(古代エジプトやオリエンタルな文様も源泉だと思う。)
    クリムトは金細工師の家系なので。もちろん、日本美術の金の使い方にインスピレーションを受けたことは確かだ。
    油彩画にも金をふんだんに使ったこと、初期の文様を取り入れた独自の作風は、他の追随を許さない。

    集客のために日本との関連性を強く打ち出しているだけではないか……そんな穿った見方をしていた。それでも、この展覧会でを通して、クリムトが日本美術の影響を少なからず受けていたことを再認識する。


    この展覧会では、「クリムトとその家族」「修業時代と劇場」「私生活」「ウィーンと日本」「ウィーン分離派」「風景画」「肖像画」「生命の円環」と題した8つのチャプターに分けて会場が構成されていた。

    それに倣って感想を書くには膨大すぎるので、気に入っているクリムト作品を中心に感想を書く。

    ウィーン分離派――黄金時代

    ウィーン分離派での活動で描かれた傑作が並ぶ。
    クリムトの絵画と言えばすぐ思い浮かぶ、金の装飾を使った作品群が主役だった。
    黄金伝説展 古代地中海世界の秘宝でも展示されていた、《第1回 ウィーン分離派展ポスター(検閲後)》も展示。
    テセウスのミノタウロス退治を独自の解釈になぞらえて描いたこのポスターが好き。検閲のため、手前に植物が配することで股間を隠している。浮世絵のような手法で興味深い。

    《ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)》

    グスタフ・クリムト《ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)》

    右手に持つ鏡をこちらに向け、まっすぐ立つヘアヌードの女性像。鑑賞者と正対する形となる。
    当時もまだ「陰毛を描くとアートではない」と糾弾される時代だったと思う……ゴヤ《裸のマハ》がそうであったように……
    ぼんやりとしているが、この絵も例外ではなかったであろう。

    裸の女は手に鏡を持ち、これが真実だ、とつきつけている。上に書かれているのはシラーのことばで、「もしおまえの行動とアートですべての人を喜ばせないのなら、数少ない人を喜ばせよ。多くの人を喜ばせるのは悪いことだ」とある。
    (中略)
    この絵によってクリムトはウィーンの良識ある社会の冒涜者とされるが、古い社会からの自由を求める新興階級、とくに新しい女たちの人気を集めてゆく。

    海野 弘『グスタフ・クリムトの世界』p.40

    一般的な意味での真実というより、新しい“真の”芸術、つまり分離派のシンボルと見ることもでき (※1)る。

    女性の上半身の背景はユーゲントシュティール(オーストリアのアールヌーヴォー)らしい、蕨か薇のような金色の渦巻き文様。しかし、腰辺りから青い清流水のような模様となっている。この作品以前だったか、クリムトが描いた《魚の血(冷血)》や《流れる水》の、文字通り流れを汲んでいるためだろうか……

    ユディト

    グスタフ・クリムト《ユディト 機

    ユディトの雄弁な額縁(※2)に、ラファエル前派の軌跡を見ることも可能だった。
    前述の《ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)》のシラーの言葉も、額縁ではなくカンヴァス上に描かれた言葉だが、金の地に分離され、額縁と同様の効果だろう。
    これらが先日拝見したラファエル前派から継承されたファム・ファタールの系譜であることを、主題や表現方法から見て取れる。

    クリムトは、神話的図像を使いながら、むしろ現代(世紀末)のウィーンのデカダンな社交界の女たちを描いた。男の首は右下にちらりとのぞかせているだけで、むきだしの胸を黄金に包んだ官能的な女性像である。
    まず目立つのが、犬の首輪のような黄金のチョーカーで、デンマークの王女からイギリス皇太子妃(後に王妃)になったアレクサンドラが当時はやらせた最新ファッションであった。アレクサンドラが首の傷を隠すためにつけたものというが、サディステックな魅力を持っている。

    海野 弘『グスタフ・クリムトの世界』p.41

    ネガティブな意味でのしたたかな女でも、ファムファタールでもなく、私はこの絵に自律した“強い女”のイメージも見る。
    後でモデルとなったアレクサンドラのWikipedia(※3)をみて、その壮絶な人生に驚愕した。本当に自律/自立した女性だった……尊敬に値する。

    ベートーヴェン・フリーズ(原寸大複製)》

    ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館( https://www.belvedere.at/en / English )にあるもののファクシミリ版。

    クリムトの芸術テーマが詰め込まれた大作であり、この作品からスピンオフした傑作も多い。
    第一の壁の黄金の騎士から《人生は戦いなり》(※4)が誕生し、第二の壁の中央の三人の女性たちと酷似した構図の《女の三世代》(※5)が、第三の壁の抱き合う男女から《接吻》(※6)が生まれている(※7)。

    展示空間にはベートーヴェン〈交響曲第9番 第4楽章『歓喜の歌』〉のサビ部分が静かに流れていた。

    この《ベートーヴェン・フリーズ》がお披露目された、第14回分離派展の初日には、グスタフ・マーラーが楽団員とともに来てベートーヴェンの交響曲第9番を演奏した(※8)という。

    私はサブカルチャーを通して、この歌が究極の人類讃歌であり、“私(自己)"が“今ここ”に存在することの魂の叫び、他者からもそして自身も他者のそれを祝福する(認める、認められる)歓喜であることを理解した。
    TV版エヴァンゲリオンの『最後のシ者』然り、冲方丁『ばいばい、アース』ののクライマックスでも、そうした意図を汲んで〈歓喜の歌〉は重要な位置を占めていた。

    ベートーヴェン・フレーズ》は、全ての壁面が装飾に描かれているというものではく、白い空白が殆どを占めている。下の壁の白さも相まって、とても静謐な空間のように感じられた。
    まるでダンテ『神曲』の天国篇のように思えてしまう。
    天へと抜けるような、高らかに謳う合唱のイメージとは異なり、静かに瞑想に耽るためのような……
    それは横長の画面のため、そう思ってしまうのかもしれない。《ヴェートーヴェン・フリーズ》で歓喜に相当する第三の壁の、同じ顔の女性たちが並ぶ姿に、声を合わせて歌い上げる合唱のイメージを想起する。
    フィナーレで男女の抱擁が現すものは、それこそ天にも昇る心地だろう。

    眺めていて、クリムトも〈歓喜の歌〉をヴィジュアル化した訳では無く、ヴェートーヴェンを讃えるため、独自解釈をしたという印象があった。(※9)

    100年前に公開されてた時は賛否両論(どうも殆ど不評だったようだが)巻き起こったという表現。 意匠化されたとも言える裸婦、裸体像は、不気味さも見ていると次第に魅力的に映る。
    そのイメージはさらに、現代のアーティストにもインスピレーションを与えている。(※10)

    肖像画、風景画に見る、反映された“時代”――印象派の影響

    展覧会のチャプター構成から外れるが、クリムトが当時の流行を敏感に感じ取り、積極的に取り入れて自分のものとしていると感心してしまうものが多かった。

    避暑地であるアッター湖畔の風景など、フランスの印象派の画家たちが避暑地として、自然風景を求めて、バルビソン村を訪れて描いた事を思い出す。

    ヘレーネ・クリムトの肖像》も筆跡を残す服の描き方が印象派のそれに通じる。顔やボブの髪はとても入念に描き込まれているにも関わらず。

    生命の円環――死と生

    豪華絢爛な金のイメージから一転する。豊かな色彩を用いているが、それを覆う周囲の画面は暗く、描かれる人々の眼は伏せられ、まるで眠りに……もっと深く死に……近づいている。
    それは描かれた時代の空気――第一次世界大戦――の不穏な空気を反映したものか、自身の死期を無意識に感じ取ったためだろうか……

    リア・ムンク

    グスタフ・クリムト《リア・ムンク 機

    彼女はリア(マリア)・ムンク、24歳で、失恋して、拳銃自殺をした。父のアレクサンダー・ムンク、母のアラン科の依頼で、クリムトが描いた。
    (中略)
    死んだリアのまわりに花が散らされている。死の床と書いたが、よく見ると彼女のまわりは水のようだ。この絵を見た時、オフィーリアだ、と思った。クリムトはラファエル前派のミレーの「オフィーリア」を思い浮かべているのだ。

    海野 弘『グスタフ・クリムトの世界』p.170

    色白な顔とその周りを囲む花々の赤が明るく、肖像画などと比べて小さめの作品ながら遠くから見ても惹かれてしまう。不思議な絵だった。
    前述の海野氏の見解は的を得ている。悲劇的でありながら神聖で、誰もその名誉を傷つけてはならないような……そんな気持ちにさせられた。

    印象派の手法を想起させられる、淡い色合いの肖像画とは打って変わった暗い印象。しかし黄金時代の文様のように意匠化された鮮やかなな薔薇の花に囲まれていて、不気味さを感じさせない。

    女の三世代(人生の三時期)

    グスタフ・クリムト 《女の三世代(人生の三時期)》

    この有名な一枚、本物をようやく拝見できた。女性の――人の一生――も、喜怒哀楽全てが一枚に集約されている絵。

    女性のイメージも、はっきりと固定的なイメージから水中の流れてもつれ合う、ここに区別しがたい、人魚の群れのような、あいまいなものとなる。この作品は性的であるが、背景は滝のような流水を感じさせる。

    海野 弘『グスタフ・クリムトの世界』p.42

    この絵の上半分の背景は暗い色で覆われているが、本来は金を使っていたものの、後から黒く塗りつぶした形跡があるという。
    時代の変化を敏感に感じ取り、自身の黄金時代からの脱却、色彩の時代への移行故か……

    家族

    グスタフ・クリムト《家族》

    会場の最後に掛けられた《家族》の、顔だけが白く浮かび上がる姿。
    母子の服は暗く画面に沈んでいる。眠っているというよりは、まるで死んでいるように見えた。

    若い母と2人の子どもの顔がのぞいている。「移民」という題をつけられている。地方のユダヤ人攻撃を逃れてウィーンにやって来た家族だろうか。華やかな世紀末ウィーンの背後に闇がある。エゴン・シーレなど若い世代からの刺激も感じられる。

    海野 弘『グスタフ・クリムトの世界』p.167


    私は会場で、クリムトと日本の関係よりも、クリムトが敏感に当時の時代の空気を取り入れ、ジャポニズムをはじめとするヨーロッパから見て異国――夢の国――からの要素をエッセンスとして落とし込んでいたか、独自性として昇華させていたかを意識して見ていた。

    会場ではあまり、日本とクリムトの関係について強く意識されることが無かったのだが……強いて言えば、ウィーン万博で初めて日本が公式参加したことだろうか。
    関連する書籍――当時、出版された日本美術研究に関するもの――は展示されていたが、展示物とからクリムトが何を学び、どう作品に活かしていたかが直結しなかった。

    後で調べてその繋がりを知る。
    会場で展示されていたオスカー・ミュンスターベルク『日本美術史』(第1巻)は、クリムトの遺産の中にあり、クリムト自身、書物を通して日本美術を研究したと語っていた(※11)とのこと。書物の情報と彼の日本工芸コレクションを通して、日本美術の意匠や平面性を取り入れていたようだった。

    …日本とウィーン、クリムトの繋がりというものは、その位しか理解できなかった。
    むしろクリムトが、新しい芸術表現の模索し、当時の流行にも敏感に反応し、自身の作品に反映していたことが伺えた。
    クリムトの画業、その変容を見れる、多様な絵画を拝見できた、良い展覧会だった。

    1. 千足伸行『もっと知りたいクリムト 生涯と作品』東京美術 2005年 p.28
    2. ‘ラファエル前派の額縁では、シンボリカルな装飾モティーフや文字(タイトルやテクスト)が挿入されることにより、画面に描かれている内容を強調したり、重層的な意味を付加したりしている。’

      荒川裕子『もっと知りたいラファエル前派』東京美術 2019 p.76

    3. アレクサンドラ・オブ・デンマーク (Wikipedia / 日本語)https://ja.wikipedia.org/wiki/アレクサンドラ・オブ・デンマーク (2019/9/23 確認)
    4. [ID:5389] 人生は戦いなり(黄金の騎士) : 作品情報 | コレクション検索 | 愛知県美術館
      https://jmapps.ne.jp/apmoa/det.html?data_id=5389 (2019/9/23 確認)
    1. Der Kuss (Liebespaar)
      https://digital.belvedere.at/objects/6678/der-kuss-liebespaar (2019/9/23 確認)
    2. 一個人 2019年6月号 【特集】世紀末美術入門 19世紀末に華ひらいた退廃とエロスの美』 ベストセラーズ p.23
    3. 日曜美術館「エロスと死の香り〜近代ウィーンの芸術 光と影〜」
      https://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2019-09-15/31/26430/1902803/ (2019/9/23 確認)
    4. なぜ怪物が描かれたのか?——クリムトが描いたベートーヴェンのアヴァンギャルド|音楽っていいなぁ、を毎日に。| Webマガジン「ONTOMO」
      https://ontomo-mag.com/article/column/rakugakist-violinist12-201906/ (2019/9/23 確認)

      【作品解説】グスタフ・クリムト「ベートーヴェン・フリーズ」
      https://www.artpedia.asia/beethovenfries/ (2019/9/23 確認)

    5. Gustav Klimt Paintings Recreated by Photographer Inge Prader (English)
      https://mymodernmet.com/inge-prader-gustav-klimt-paintings/ (2019/9/23 確認)
    6. 「クリムト作品に現れたジャポニズム」新人物往来社 編『クリムトの世界』p.62
    参考文献
    千足伸行『もっと知りたいクリムト 生涯と作品』東京美術 2005年
    もっと知りたいクリムト 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
    新人物往来社 編『クリムトの世界』 2011年
    クリムトの世界
    海野 弘『グスタフ・クリムトの世界-女たちの黄金迷宮-』2018年
    グスタフ・クリムトの世界-女たちの黄金迷宮-
    朝日新聞出版 編『クリムトへの招待』2019年
    クリムトへの招待
    一個人 2019年6月号 【特集】世紀末美術入門 19世紀末に華ひらいた退廃とエロスの美』 ベストセラーズ
    一個人(いっこじん) 2019年 06 月号
    芸術新潮 2019年 6月号 ◆特集◆時を超えるクリムト』新潮社
    芸術新潮 2019年 06 月号
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    ラファエル前派の軌跡展

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      JUGEMテーマ:展覧会

      ラファエル前派の軌跡展

      終わってしまった展覧会。

      公式サイト:
      https://mimt.jp/ppr

      丸の内・三菱一号館美術館( https://mimt.jp/ )にて。

      ラファエル前派の展覧会は、私が直近で見たものは2016年の英国の夢 ラファエル前派展( 渋谷・Bunkamuraザ・ミュージアム )以来、3年ぶりになる。

      2014年には六本木・森アーツセンターギャラリーで大規模なラファエル前派展があり、ここ三菱一号館美術館でもザ・ビューティフル 英国の唯美主義1860-1900(以下、『ザ・ビューティフル』)が行われた。その感動を再び味わう。
      その時拝見したフレデリック・レイトン《母と子(さくらんぼ)》やモリス商会のミノタウロスのタイルデザインが再び来日していた。

      今回の『ラファエル前派の軌跡』のキャッチフレーズが「美しい、だけじゃない。」に様々な思いを読み取る。2014年の『ザ・ビューティフル』のキャッチコピーが「唯、美しく。」であったことを考え合わせると。
      『ザ・ビューティフル』の唯美主義の前進に、ラファエル前派の理念があった。その軌跡を補完する展覧会だった。


      今回の展覧会は、ラファエル前派を評価し支援していたジョン・ラスキン生誕100周年に合わせた企画展。

      第一章は、ラファエル前派を擁護したラスキンと、彼が擁護したターナーの作品が展示。
      一見すると、華やかなイメージのあるラファエル前派の作品と、ターナーの絵に関連性を見いだせない……ラスキンの絵にも……
      私は2013年に行われたターナー展を観に行った。そこで拝見したターナーが後の印象派に影響を与えたことは想像に難くない。

      ほぼ同時代ではあるが、一見、表現方法が異なる派閥の絵画。しかしその根底には“自然に忠実”というラスキンの美学を共有していた。
      だだ「ラファエロ(ラファエル)を規範として形骸化していた当時のアカデミズムに反発する」という点で、ラスキンとラファエル前派(兄弟団)は意見が一致していただけのようなので、“自然に忠実”であることについて一つの表現方法に縛られず、各々多様な解釈、表現を用いたようだった。

      第二章からラファエル前派の画家たち、後半はラファエル前派周縁の画家たちに、影響を与えたアーツ・アンド・クラフツ運動のウィリアム・モリス(モリス商会)の仕事を紹介。


      ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ《ウェヌス・ウエルティコルディア(魔性のヴィーナス)

      ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ《ウェヌス・ウエルティコルディア(魔性のヴィーナス)》

      波打つ豊かな赤い髪。それに呼応するような厚みのある赤い唇。
      さらにそれが拡張されるように、背景の薔薇(性愛の象徴であり、ヴィーナスのアトリビュート)や手のリンゴ、手前のスイカズラ(詩などで男女の愛を表す)が取り囲む。それらの赤い色の多様さも興味深い。
      愛神エロス(クピド)の黄金の矢(男を心変わりさせる)を手にし、魂の象徴である蝶(プシュケー、ここではヴィーナスの虜になった男たちの魂)が舞っている。
      それら黄金と黄色の色味が輝くような鮮やかさで、絵画を鑑賞する人を誘う。
      エロティックな片方の乳房も目を惹く。

      ヴィーナスに扮したジェイン・モリス(バーデン)。
      アーツ・アンド・クラフツ運動を掲げたモリスの妻だが、ロセッティのミューズであった女性。
      “魔性”と枕詞がついているこの絵に、エロスとプシュケーの物語でプシュケーにつらく当たるヴィーナスや、トロイア戦争の引き金となるパリスの審判のイメージもさることながら、不倫のイメージを想起されてしまう。
      その蠱惑的な姿に鑑賞者もその魔性に魅せられてしまう……

      ロセッティは‘色彩豊かなヴェネツィア派の影響を受けた女性の半身像を描くようになり、それを批判したラスキンと不仲になった(※1)’らしい。過剰に散りばめられた意匠による官能表現に対し、「花が下品だ」と酷評されて……

      ウィリアム・ヘンリー・ハント《ヨーロッパカヤクグリ(イワヒバリ属)の巣

      ウィリアム・ヘンリー・ハント《ヨーロッパカヤクグリ(イワヒバリ属)の巣》

      “自然に忠実”を体現した作品として出展されていた。
      小さな作品だが目を惹く作品だった。
      土の色と青い卵の美しさにも惹かれるが、その細密描写に息をのむ……写真かと見紛うてしまいそうだった。

      19世紀の写真はモノトーンだし画素数も荒いので、当時の写真では表現しえないリアリティだろうから、写真と比較するのはおこがましいかも知れない。

      家に帰って調べていたら、英国の夢 ラファエル前派展でもこの作品は出展されていた……意外と忘れている自分にがっかりorz。それともあの頃より少しは審美眼が養われたためだろうか……

      エドワード・バーン=ジョーンズ《赦しの樹

      エドワード・バーン=ジョーンズ《赦しの樹》

      ミケランジェロを彷彿させる男性像(※2)の逞しさと、彼を捉えるようにその身体に腕をまわし抱き着く女性像が艶っぽい。

      同じ構図、背景違いの作品《ピュリスとデーモポーン》が存在する。男性の股間が露わのままである描写が当時、物議を醸したため新たに描き直した。
      2003年のヴィクトリアン・ヌード展で、イギリスのヴィクトリア朝で当時の道徳規範とヌード表現に対する葛藤、論争が起こっていた(※3)こと知るが、この絵も例外ではなかったのだろう。

      この絵の女性の顔は、自分との不倫関係から自殺未遂事件を起こした、マリア・サンバコをモデルにしている。自身の恋愛体験を描いたことも賛否を巻き起こした。(※4)

      エドワード・バーン=ジョーンズ《 ピュラモスとティスベー

      エドワード・バーン=ジョーンズ《 ピュラモスとティスベー 》

      壁を挟んでシンメトリックな構造で描かれた男女。
      壁のわずかな隙間から文を交わしているようであったり、相手の姿を見ようとしている。
      中央には弓を携えた青年男子の姿。おそらくクピド(アモル)であろう事から、恋人たちであると想像がつく。

      その構図から、シェイクスピア『ロミオとジュリエット』のモデルになった話であろうことは想像に難くない。(※5)

      中世写本の挿絵のようにも見える構図が、より物語性を強調する。


      ラファエル前派は斜陽と向かう。
      作風、考え方の不一致だけではない。その原因と言われているのが、人間関係のもつれ……‘皮肉なことに、ラスキンの助け舟に始まる人間関係と高まるミレイへの評価だった’(※6)という。ラファエル前派を擁護したラスキンが交流を深め、ラスキン夫婦とミレイは共に旅行をする。そこでラスキンの妻・エフィーとミレイは恋に落ちてしまう……

      会場にはその旅行でミレイが鉛筆と水彩で描いたラスキンの肖像が展示されていた。

      元々、反アカデミズムで集った人々は必ずしも一枚岩ではなかった。ラスキンは「自然に忠実に」――現実主義(リアリズム)――あることを良しとしていたが、ラファエル以前の芸術への愛好、中世趣味というわけではなさそうだし…集った画家たちも、時代の空気や様々な影響を受けて己の表現を模索しているうちに、独自の路線を見出していった。
      何より男性たちの女性問題による感情のもつれ(男性の所有欲と芸術における自己顕示欲でもあっただろうか?)は、ラファエル前派の終焉を早めた。

      ラファエル前派の人間関係は複雑だ(※7)。モデルの女性たちは描かれた主題と同様に……むしろ何故か彼女たち自身をも破滅に導く、 宿命の女 ファム・ファタール になっている。

      最近ではそれを基にしたTVドラマもあったし……(※8)

      よく考えるとスキャンダルが起こること自体、不思議ではないだろうか。そもそも、ラファエル前派の理念の中には、中世キリスト教を理想とする宗教性があったはずである。
       その彼らが、略奪婚(ミレイ)を行い、不倫(ロセッティ、バーン=ジョーンズ)に走り、近親婚(ハント)の罪まで犯したのだ。
      あまりに人間的と言えば人間的だが、なぜ彼らは自らの堕落を招く危険極まりない「絶世の美女」を探し求め傍らに置いたのだろう。
       古来より物語画に描かれてきた美女は、理想型であり、架空の存在である。この架空の存在を描くために、古代ギリシャのゼウクシスは、5人の美女の美しい部分を集めて描いたという。初期ルネサンスの万能人アルベルティもその著書『絵画論』で紹介したこの方法を、ラファエル前派は採用することができなかったのだ。何も拒まず、何も選ばず、何も軽んぜず「自然に忠実に」神の御業を描こうとした彼らは、その美女たちが、危険な「 宿命の女 ファム・ファタール 」だとしても、完全体としての「スタナーズ(Stunners:絶世の美女たち)」を求めたのである。

      ラファエル前派の危険なミューズたち
      平松洋『ラファエル前派の世界』 2013 p.137

      ラファエル前派は解散する。しかしその理念は多様な分野、芸術様式に受け継がれてゆく。

      後の唯美主義だけでなく、国を超えて、モローやクリムトなど象徴主義、アーツ・アンド・クラフツ運動はミュシャに代表されるアール・ヌーヴォーに影響を与えた。

      思えば、先日のギュスターヴ・モロー展にあった《出現》に代表されるサロメや他の 宿命の女 ファム・ファタール たちは、決してモローの身近な女性たち――母親やアレクサンドリーヌ・デュルー――をそのまま写したものではなかった。
      モローは現実ではプラトニックな愛を貫いていたし……ラファエル前派の影響を受けた彼がその同じ道を辿らなかったのは、当時の独身主義があったのかも知れないが……今の私はわからない。


      結局、ラファエル前派とは何だったのか?
      確かに「美しい、だけじゃない。」
      反アカデミズムからの中世趣味。中世の素朴な描き方そのままではなく「自然に忠実に」 現実的 リアリティー ある描写を追求する。しかし主題は古典絵画の主題―― 聖書や神話伝説 ファンタジー ――である。 さらに美術史を紐解けば女性問題が付随してきて……それはあまりにゴシップでドロドロしている……
      多様過ぎて、一言では語れないものだった。
      それ故に多様な感動があり、発見があり、見る人を惹きつける。

      1. 19世紀ビクトリア朝英国で花開いた世紀末美術の先駆け ラファエル前派」『一個人2019年6月号 【特集】世紀末美術入門 19世紀末に華ひらいた退廃とエロスの美』 ベストセラーズ p.33
      2. バーン=ジョーンズの方は、71年のイタリア旅行でミケランジェロに心酔するが、これにはラスキンと意見が合わなかったようだ。こうして彼は、初期の暗い中世趣味から、ボッティチェリの優美と、肉体派のミケランジェロに影響を受けた作品を展開してゆく。

        後期ラファエル前派の特徴、あるいは、偏愛」平松洋『ラファエル前派の世界』 2013 p.132

      3. 展覧会ニュース 2003.2.15 ヴィクトリアン・ヌード
        http://www.dnp.co.jp/artscape/news/0302/mainichi030215.html (2019/9/8 確認)
      4. 同上「19世紀ビクトリア朝英国で花開いた世紀末美術の先駆け ラファエル前派」『一個人2019年6月号 【特集】世紀末美術入門 19世紀末に華ひらいた退廃とエロスの美』 ベストセラーズ p.33
      5. 「ピュラモスとティスベ」:オウィディウス
        https://www.kitashirakawa.jp/taro/?p=5936 (2019/9/8 確認)
      6. ラファエル前派兄妹団の早すぎた終焉」平松洋『ラファエル前派の世界』 2013 p.63
      7. 同上「ラファエル前派恋愛相関図」『ラファエル前派の世界』 2013 p.138〜p.139
      8. ラファエル前派のドラマ「SEXとアートと美しき男たち」 | 青い日記帳
        http://bluediary2.jugem.jp/?eid=2568 (2019/9/8 確認)
      参考文献
      3分でわかるラファエル前派(1) 近代芸術に大きな影響を与えた19世紀イギリスの反アカデミズム集団「ラファエル前派」とは
      http://blog.livedoor.jp/kokinora/archives/1036597243.html (2019/9/8 確認)
      長井和博 「特集 ヴィクトリア朝の闘うヌード」『芸術新潮』 2003年6月号
      芸術新潮 2003年6月号
      平松洋『ラファエル前派の世界』 KADOKAWA 2013
      ラファエル前派の世界
      荒川裕子『もっと知りたいラファエル前派』東京美術 2019
      もっと知りたいラファエル前派 (アート・ビギナーズ・コレクション)
      一個人 2019年6月号 【特集】世紀末美術入門 19世紀末に華ひらいた退廃とエロスの美』 ベストセラーズ
      一個人(いっこじん) 2019年 06 月号
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      ギュスターヴ・モロー展 ― サロメと宿命の女たち ―

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        JUGEMテーマ:展覧会

        ギュスターヴ・モロー展 ― サロメと宿命の女たち ―

        公式サイト:
        https://panasonic.co.jp/ls/museum/exhibition/19/190406/

        これも終わってしまった展覧会だけど……
        パナソニック汐留美術館(旧・パナソニック 汐留ミュージアム)( https://panasonic.co.jp/ls/museum/ )にて。

        パリの真ん中に閉じこもった神秘主義者

        ――ジョリス・カルル・ユイマンス

        会場入って直ぐに紹介されていた、同時代のデカダン派作家によるモローを指す言葉が、全てを物語っている。

        モローは自身を「夢を集める職人」と言っていたらしい。
        インド、中国、日本といったアジア――西洋から見た“異界”、夢の国――の意匠を寄せ集めたエキゾチックな世界だ。
        当時、流行していたオリエンタリズム――シノワズリからジャポニズムまで――の工芸作品、図像などからインスピレーションを得て描かれた、聖書や神話世界は独自の様相を呈している。
        モローは自身を歴史画家と認識していたようだが(※1)、その夢を集めた作風ゆえに、現在では象徴主義、幻想美術の画家として認識されている(※2)。

        この展覧会はギュスターヴ・モロー美術館から、選りすぐりの作品が来日していた。その麗しき女性たち―― 宿命の女 ファム・ファタール ――の蠱惑的世界だった。


        どの作品にも思い入れがあるため感想など書ききれないと思い……
        各章の感想と、その中で気になった作品などについて。

        第1章 モローが愛した女性たち

        彼の私生活の片鱗と、モローの作品の直接のモデルではないにせよ、 宿命の女 ファム・ファタール であった2人の女性――母親ポーリーヌ・モローと“魂の伴侶”ともいうべき女友達アレクサンドリーヌ・デュルー――の肖像などが展示。

        ギュスターヴ・モロー《雲の上を歩く翼あるアレクサンドリーヌ・デュルーとギュスターヴ・モロー》

        雲の上を歩く翼あるアレクサンドリーヌ・デュルーとギュスターヴ・モロー》は、微笑ましい落書き。
        クピドのようなその姿から愛に満ち溢れていることが伺える。
        今回展示されてはいなかいが、同じようなシチュエーションで、モローがデュルーをひょいと抱き上げて歩いている構図のものもある(※3)し、その愛らしい姿からも親密さが伝わってくる。

        モローは「作品」のみの評価を求めて、自身について多くを語らなかったのだが、それ故に、その「作品」の 宿命の女 ファム・ファタール ――男を破滅させる魔性の女たち――のイメージと、モローが独身で生涯を閉じたため、「女嫌い」であるとか「同性愛者」だと長らく分析されていた。
        彼を応援し、献身的に身の回りの世話を担っていた母親がいたことからも、「母親コンプレックス」から抜け出せない人物というイメージを持たれていた。
        だが、研究が進みデュルーの存在が明らかになると、そのイメージは覆される(※4)。
        そういう点でも重要な女性だった。

        第2章 《出現》とサロメ

        ギュスターヴ・モロー《出現》

        《出現》に限らず、モローのサロメのイメージは複数あった。
        《出現》と同じ構図で、目を見開くサロメと目を瞑っているサロメ。思春期の裸の少女の姿であったり、ヘロデ王の前で舞う踊り子、目を伏せた姿はまるで、瞑想する乙女の面影を持っていたり……
        サロンに展示された完成作品だけでなく、水彩の下絵やバリエーションから、《出現》に至るモローの試行錯誤の中に、サロメの変化――まるで少女の成長――を垣間見た。

        ギュスターヴ・モロー《サロメ》

        横顔の《サロメ》は、今のイメージとは全く違う、妖艶な女性像だった。
        40cm各の作品だが、画面いっぱいのサロメの横顔。
        その背景で洗礼者ヨハネの斬首が行われている。
        サロメの視線はこちらを見ているように描かれ、まるで誘うようにも、背景の惨事から目を背けているようにも見えた。

        第3章 宿命の女たち

        サロメ以外の女性像が集められている。トロイア滅亡のきっかけとなるヘレネ、スフィンクス……ギリシア神話を題材にしたものが数多かった。

        女というのは、その本質において、未知と神秘に夢中で、背徳的悪魔的な誘惑の姿をまとってあらわれる悪に心を奪われる無意識的存在なのである。

        ――ギュスターヴ・モロー

        上記の言葉は、今回の展覧会には出展されていなかった《キマイラ》(※5)について、画家自身の註だった(※6)。
        けれどもこれは、他の 宿命の女 ファム・ファタール にも通ずる言葉のようになっている。

        ギリシア神話からの主題である《メディアとイアソン》は、黄金伝説展 古代地中海世界の秘宝にて、オルセー美術館に所蔵されているものを見たものの習作。
        完成作品と顔の角度が、メディアの表情が異なる。
        イアソンに何か囁くような表情をしており、完成作品よりも雄弁に――誘惑だったり、そそのかしているようだったりを――語っているように見えた。

        ギュスターヴ・モロー《レダ》

        レダ》は、白鳥の首を抱き寄せ、恍惚として天を仰ぐレダの姿。
        上半身は薄く影に覆われ、肉感的な胸から下、尻、太股の側面にかけて光が当たっている。とても官能的な姿。見ているこちらがのぞき見してしまったような気分になる。

        レオナルド×ミケランジェロ展でも展示されていた、《レダと白鳥》を思い出した。ミケランジェロによるオリジナルは焼失してしまったのだが……他の画家の手による模写がのこされている。

        聖書主題のものもある。
        エヴァ》は楽園にて、蛇に知恵の樹の実をすすめられているシーン。

        ギュスターヴ・モロー《エヴァ》

        モローの女性像は柔らかく線の細いイメージが強かったが、このエヴァは筋肉質で健康的な体つきだった。
        絵の具を乗せたらまた変わったかも知れない。

        未完のため線画であるエヴァに、ミケランジェロの影響を強く感じた。
        特に下半身のしっかりとした足腰、血管が浮き上がる力強い筋肉描写に。

        《オルフェウス(オルフェウスの首を運ぶトラキアの娘)》の竪琴に乗ったオルフェウスの首がミケランジェロの彫刻《奴隷》を基にしているという(※7)。その事実からも伺わせられる。

        会場の年表で、モローが15歳の時にイタリアへ旅行しているようだった。その時に衝撃を受けたであろうことは想像に難くない。
        イタリアに行くと、街中にミケランジェロの作品を見ることができる。他の追随を許さない、その力強い作風に衝撃を受けずにはいられない……

        第4章 《一角獣》と純潔の乙女

        最後の章を飾るのは、神話や聖書主題から離れたものたち。
        ポスターにも使われている、一角獣やグリフォンなどの幻獣や抽象概念を擬人化したもの。
        より、モローの個人的な考え方が反映された作品と言える。

        それらは白く色のイメージが多かった。
        冒頭に展示されていたモローのパレットの白い絵の具は、これに結びつくのだろうか?

        多くの画家が、晩年になると白く明るい画になるのは何故だろう?
        シャガールは色彩豊かな作品が多いが、牛や天使の翼など白いマチエールが多くなり、モノトーンの作風を手掛けたルドンも晩年は極彩色になり画面全体が白く明るくなっていく。
        モローの作品もそんな印象を受けた。(もっとも、この章の作品は制作年が分からないものもあったが)

        それこそ、白――明るい光――が天国や死後世界のイメージに繋がっているのではないかと思ってしまった。


        Eテレの番組、日曜美術館「ギュスターヴ・モロー ファム・ファタル(魔性の女)に魅せられて」(2019/9/1 確認)で、スタジオ内で精神科医、作詞家・きたやまおさむ氏、ドイツ文学者・中野京子女史による面白い言及がされていた。

        その絵画は二次元的(※8)で、コラージュのように切り貼りされた世界観であるとか、横顔という片側しか見れない表現に、女性の二面性を見ることも、モローのエディプス・コンプレックスを見るとも(前述の通り、現在は否定されているけれども)……
        多様な解釈ができる絵の奥深さがモローの絵画の魅力だった。

        一番笑ったのは、モローの自宅(現ギュスターヴ・モロー美術館)を「お金持ちのごみ屋敷」を評していたこと。
        断捨離、ミニマリストが話題である現代に、あの狭い家にぎゅうぎゅうに詰め込まれた幻想美術と調度品、コレクションの数々……ある意味、的を得ている(笑)


        今回の作品はフランスのギュスターヴ・モロー美術館(2019/9/1 確認)の所蔵品。

        私もフランスに行ったとき足を運んだあの美術館は、世界で初めての個人美術館でもある。
        個人邸宅兼アトリエでもあったので、非常に貴重な美術館だ。
        中に入ればそこは完全にモローの世界。他の何物も入ってこれない。
        当時使われていた調度品もそのままで、モローが生きた時代の空気を今に伝えている。トイレも上にある貯水槽から下がっている鎖を引っ張って流す水洗式なので、アンティークな雰囲気を堪能できる。

        1.  

          ギリシア神話や聖書の物語はフィクションではなく、現実の歴史に地続きのものとみなされていた。

          歴史画(Wikipedia / 日本語)
          https://ja.wikipedia.org/wiki/歴史画(2019/9/1 確認)

        2.  

          一般に、アカデミー歴史画というのは、人物がまとまっている歴史的・神話的コスチュームにもかかわらず、それは常に「現代風俗の絵画」なのである。
          つまり、現代の通俗的な風俗を描くのに歴史や神話という意匠を借りているのにすぎないのである。
          これに対し、モローの絵画は「現代風俗の絵画」ではいささかもない。それはむしろ、モローが時代から汲みとって彼自身の頭の中で純粋培養した「官能」、「正義」、「勇気」などの抽象名詞、つまり「純粋に抽象的な主題」を扱った絵画、いいかえれば、きわめて具体的な細部を持つ「抽象絵画」なのである。
          そして、その抽象性において、モローの歴史画、神話画は、〈幻想芸術〉に近づくのである。

          鹿島茂『ギュスターヴ・モロー―絵の具で描かれたデカダン文学』2001年 六耀社 p.36

        3.  「モローの伴侶、アレクサンドリーヌ・デュル」 隠岐由紀子『ギュスターヴ・モロー 世紀末パリの異郷幻想』 東京美術 p.110
        4.  「最愛の女性の存在が変えたモローの人物像」 『ギュスターヴ・モローの世界』 p.81〜84
        5.  キマイラ ギュスターブ・モロー 絵画解説
          http://www.artmuseum.jpn.org/mu_kimaira.html(2019/9/1 確認)
        6.  前述『ギュスターヴ・モローの世界』p.82
        7.  ギュスターヴ・モロー-オルフェウスの首を運ぶトラキアの娘-(画像・壁紙)
          http://www.salvastyle.com/menu_symbolism/moreau_orphee.html(2019/9/1 確認)
        8.  

          油彩絵具の濃淡や色合いでせっかく場面の奥行きが演出されているのに、その上にレースのように施された平面的な線画のせいで情景の三次元性が台無しになっていたりする。

          隠岐由紀子『ギュスターヴ・モロー 世紀末パリの異郷幻想』東京美術 2019年 p.27

        参考文献
        鹿島茂『ギュスターヴ・モロー―絵の具で描かれたデカダン文学』六耀社 2001年
        ギュスターヴ・モロー―絵の具で描かれたデカダン文学 (六耀社アートビュウシリーズ)
        新人物往来社 編『ギュスターヴ・モローの世界』 新人物往来社 2012年
        ギュスターヴ・モローの世界
        隠岐由紀子『ギュスターヴ・モロー 世紀末パリの異郷幻想』東京美術 2019年
        ギュスターヴ・モロー 世紀末パリの異郷幻想 (ToBi selection)
        NHK「世界美術館紀行」取材班 編集『NHK世界美術館紀行〈1〉ロダン美術館、マルモッタン美術館、ギュスターヴ・モロー美術館』 日本放送出版協会 2005年
        NHK世界美術館紀行〈1〉ロダン美術館、マルモッタン美術館、ギュスターヴ・モロー美術館
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        岡上淑子 フォトコラージュ 沈黙の奇蹟

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          JUGEMテーマ:コラージュ

          岡上淑子 フォトコラージュ 沈黙の奇蹟

          公式サイト:
          https://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/190126-0407_okanoue.html

          目黒・東京都庭園美術館( https://www.teien-art-museum.ne.jp/ )にて。

          終わってしまった展覧会だけど……コラージュ好きとしては、したためておきたい。

          コラージュ作家・北川先生に紹介されて知った、岡上淑子女史の展覧会。
          昨年、作品集『はるかな旅』の出版を記念して、高知県立美術館で展覧会が催されていたが行けずじまいだったので、私にとっては久しぶり。恵比寿・LIBRAIRIE6/シス書店での個展exhibition - 夜間訪問 - 岡上淑子 - Toshiko Okanoue -以来だった。

          岡上女史のラグジュアリーな雰囲気の作品が、会場の邸によく合う。

          展示会場は2部構成で、「マチネ」「ソワレ」と題されている。コラージュのモノトーンの色味の対か、女史の活躍の暗示か、なかなか粋なネーミングだと思った。

          気に入っている作品と、この展覧会を通して知った、岡上女史のコラージュの魅力についての備忘録。


          第1部 マチネ

          会場に入ってすぐ、人気の高い作品が並んでいた。

          画集などで拝見していたそれら作品だが、オリジナルを拝見すると写真などでは感じ得なかったものがあった。
          切り取られ糊付けされたマチエールたちが、紙の厚さによって立体感をもっている。画集やポストカードでコピーされフラットになったものでは気づけない。
          均一になって一つの作品となったものよりも、切り貼りされていることが鮮明であることで強調される異物感。

          幻想

           岡上淑子《幻想》1953

          これも展覧会『夜間訪問』で拝見した作品。再び拝見できて感無量。

          依然見た時と、私の中での印象は変化していなかった。
          ミヒャエル・エンデ『遺産相続ゲーム』の舞台の屋敷と馬の足音――それは黙示録の四騎士であり、不吉な破滅の予兆――を想起させる。
          同時に、ヨハン・ハインリヒ・フュースリ《夢魔(ナイトメア)》(※1)の寝室をのぞき込む馬の首をも。

          沈黙の奇蹟

          岡上淑子《沈黙の奇蹟》1952

          木々の間、少し開けた空間。
          画面向かって左には、ライフル銃を携帯する首の無い人物像が列をなしている。
          画面中央にはその列から離れ、犬の散歩をしている修道服を着た首の無い女性。
          その向かって右上には、パラシュートの先に顔が付いている。

          私はこれまで、中央の修道服の女性の方に注意が向いてしまい、パラシュートの首に気づいていなかった。
          その顔(首)は修道服の女性のものなのか?
          パラシュートでどこかへ飛んで行ってしまうのか、それともこれから修道服の首に乗るのか?
          たくさんの想像を掻き立てられる。

          沈黙の奇蹟》の傍には、『祈祷室の薔薇』という岡上女史の詩が展示されていた。

          祈祷室の薔薇

          深夜 祈祷室の薔薇は目覚める
          野性のヴェールに
          巫女たちの愁訴をかき抱き

          大理石の舗道は
          客席のない舞台に続く

          なめらかな足並みは
          時間の刺青を消してゆく

          岡上淑子著、神保京子監修『岡上淑子 フォトコラージュ 沈黙の奇蹟』 2019 p.181

          岡上淑子 フォトコラージュ −沈黙の奇蹟−

          祈りと舞台への道行の時間の流れのイメージが、コラージュのそぞろ歩く人物のイメージとリンクする。
          ライフル銃を携行する首の無い一団は、同じく首の無い修道服と同質のものに見えてゆく。修道女≒巫女、といった具合に。
          そして犬を連れた首の無い修道服の女性はその一団から離れた存在……先行して客席の無い舞台に向かっているのではないかと……
          それは私の勝手な想像に過ぎないが、不思議と結びついているような気がした。

          他、最初期の作品である被服学校で授業の一環で制作したコラージュも展示。
          単色の羅紗紙に3つほどの要素で構成されたそれは、マチエールだけでなく構図も他の作品と違って、ファッショナブルな印象を私は受けた。

          コラージュ制作から離れた後の、写真作品や植物画も展示されていたが、私には女性の手工芸の域を出ない印象を受けて、物足りなく感じてしまった。……すみません。

          イメージの源泉を辿る

          岡上女史は被服学校でアートの授業の一環で切り絵を経験したこと、瀧口修造(※2)との出会いをきっかけに、コラージュへの創作をはじめる。

          展覧会の構成では、コラージュの源泉となったであろう物も展示されていた。

          シュルレアリスム運動の中でコラージュの奇想天外な組み合わせのスタイルを確立させた、マックス・エルンスト『百頭女』も展示してあった。

          百頭女 (河出文庫)

          岡上女史は瀧口修造からマックス・エルンストとそのコラージュを知り、背景にも写真を使うようになったという。

          服飾学科での就学の影響も無縁ではないだろう。裁縫の型紙の形成と、それを基に布を切り出し縫い合わせて、服という新しいものを創るという共通した概念に留まらず。
          そういう環境でないと、ヴォーグ誌など海外の雑誌に触れる機会はそんなに無かっただろうから。

          展示会の一部区画に、コラージュの元になった雑誌が展示。
          LIFE誌に掲載されていたクルーザーが海を切る写真。現実的な写真があの《海のレダ》を構成する一部になる。
          海を切り裂く船はトリミングで無くなり、白波に沿うように白鳥と女性の上半身が添えられている。
          不思議な感覚だった。

          岡上淑子《海のレダ》1952

          「海のレダ」は私の一番好きな作品です。
          女の人は生まれながらに順応性を与えられているといいますが、それでも何かに変わっていく時にはやはり苦しみます。そういう女の人の苦悩をいいたかったのです。

          コラージュというキリヌキ
          流行』7月号 1953

          私が《海のレダ》に感じた、ギリシア神話の「レダと白鳥」や「エウロペの略奪」のイメージは、女性の普遍的なものだった。
          まだまだ女性の社会進出がままならず、むしろ黎明期だっただろうか、岡上女史はそうした時代の空気を敏感に感じ取り、この作品に投影したのではないだろうか?
          現代社会に置き換えれば、女性の社会進出においてまだまだ存在する弊害や、#MeeToo運動だろうか。
          必ずしも悲観的なものではなく、道を切り開くという事に痛みが伴う……岡上女史の言葉を拝見して、神話的イメージを抜け、私はそんな現実を垣間見ていた。

          第2部 ソワレ

          上記までは会場での構成で第1部にあたる。
          「第2部 ソワレ」になると、メッセージ性の強い作品が多いように思われる。
          その多くは戦争と死を強く意識させるもの(過去の対戦と当時そして現在まで続く諸戦闘、内戦)、それに反旗を翻すような、女性たちの姿だ。
          あるいは……戦争を繰り返すばかりの男たち、無機質な男中心の社会に対して、別の道があることを ( いざな ) うように見えた。
          機械のように無機質な男たちに対し、圧倒的な有機性と自由さがある女性たち……

          岡上女史の独自性

          前述のとおり、エルンストを(エルンストの作品に魅了されていた)瀧口修造をとおして知った岡上女史は、期せずしてその追随者となったように思える。
          一見すると、エルンストの影響をもろに受けているようだが、似て非なるものがある。特にヴィジョンとして現れる“女性像”は、エルンストの作品には殆ど現れず、あったとしても他のシュルレアリスムの画家たちが描き出したよな永遠に手の届かない理想の女、存在しない彼方の女、女神といった、形而上的な存在だ。

          彼ら(男性のシュルレアリスト)が第一次世界大戦による惨禍を背景に近代の合理主義への批判に傾いていたとすれば、岡上は敗戦後の復興期にあった日本で、アメリカによって再びもたらされた「自由」や「平等」という概念を意識しながら制作していたからだ。岡上は新しい時代への希望を胸に、流行や時勢とともに消費され、忘れ去られていく運命のグラフ雑誌の女性たちを解放し、新たな命を与えていたのである。

          池上裕子『自由と解放のヴィジョン――岡上淑子のフォトコラージュ』
          岡上淑子『岡上淑子全作品』2018 p.175

          岡上淑子全作品

          コラージュという“奇想天外な組み合わせ”故に、シュルレアリスムの女性像と手法的には被るものの、岡上女史のコラージュの女性像は、男性が理解しえない彼方の ( ひと ) ――女神でもファム・ファタール――ではない。
          いつか来る、そして本来あるべき「自由な私」であり、自分自身でもある。


          終戦から10年が経ち、戦後復興から新たな時代への予感がある。その中で模索され始めた、女性たちの“自分とは何か”が示されているが故に、私たちの琴線に触れるのではないだろうか?

          話が飛躍してしまうが、巷にあふれる自己啓発本には、大きく大別すると男性向けと女性向けがあり、男性向けは「仕事効率・能力アップ」、女性向けは「家事や役割に囚われず、自分らしさを実現すること」になるという。(※3)
          どんな時代であっても、女性は社会的な地位や情勢に左右せれず“ありのままの私”でありたいと強く願う。
          岡上女史の作品に、そうしたヴィジョンを鑑賞者は見いだす。それが岡上女史の作品の魅力ではないだろうか。


          私は今まで、その力強さと独自性を肌で感じながらも、きちんと言語化できていなかった。
          今回の展覧会などを通して、図録を拝見して、岡上女史の作品が再評価され、その魅力がこうして明文化されていたことは非常に価値があると思う。
          良い展覧会だった。

          面白かったのは、岡上女史を取り上げた雑誌類を展示しているコーナーで、『サンケイカメラ』1959年9月号の記事に、フォトコラージュを「マジックフォト」と記していたこと。……魔法なんだ(笑)

          1.  Johann Heinrich Füssli "The Nightmare" 1790−1791.
            https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Johann_Heinrich_F%C3%BCssli_053.jpg(2019/8/14 確認)
          2.  瀧口修造 (Wikipedia / 日本語)
            https://ja.wikipedia.org/wiki/瀧口修造(2019/8/14 確認)
          3.  【参考文献】牧野智和『日常に侵入する自己啓発: 生き方・手帳術・片づけ

            日常に侵入する自己啓発: 生き方・手帳術・片づけ
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          仙冦藥

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            JUGEMテーマ:展覧会

            『仙冦藥勝戰船薀

            公式Facebook:
            https://www.facebook.com/sengai2018/

            またしても、終わってしまった展覧会。
            最近、会期内にブログを書けないことが残念なのだけど……
            丸の内・出光美術館( http://idemitsu-museum.or.jp/ )にて。

            禅画を鑑賞するのは、2013年の白隠展以来だった。
            禅とはとっつきにくいものではないと、庶民にもわかりやすく伝わるように普及に努めた、仙僂硫莇箸魍栖峺る展覧会。

            充実したセカンドライフ?

            展覧会の冒頭から、広告にも使われている《老人六歌仙画賛》など、老いを面白おかしく表現し、ありのままの自分であることを肯定するような印象の作品だった。

            老いることの恐怖がありながら、それを笑いとするユーモアがあることに驚く。
            現代人は老いを悲観しているのに、この江戸時代の高僧は歌の中で驕りを戒め、逆説的に肯定していた。

            こんな発想の源泉はどこにあるのだろうか?

            仙僂榔5鏝紊暴国を旅していた様子。旅をしながら創作へのインスピレーションをまとめ、それを後に清書している。
            その備忘録(アイデア帳)と清書した掛け軸などが展示されており、仙僂虜邁莠蟒腓鯀杼する。

            仙僂虜酩雰欧魎僂道笋蓮△修Δ靴織罅璽皀△慮酸瑤、ご隠居坊主の充実したセカンドライフ故だと思っていた。
            現役を引退してから諸国行脚して絵を描く……現代を生きる私にも羨ましいレベルの老後だと思っていたが、引退した僧侶の余生を楽しむ趣味としてだけではなく、禅の思想を極めるため、その普及のためのものだった。

            仙僉坩豈濮蟆荵拭

            《一円相画賛》の哲学的な真理を極めたような図像は大福に見立てられ、「食ってしまえ」と言ってのけられ、《座禅蛙画賛》は若い坊主に傲りを諌めるため蛙に見立てられていた。
            禅を志す者には禅の教えを、そうでなければ一時の心の和みを、見るものに与える。


            私が特に興味を持ったのは、《一円相画賛》や《〇△□》にみられる、美しい正円。
            美しい正円を一筆書きできる技術と集中力もさることながら、サブカルチャーに現れた元ネタ、そこに込められた意味に思いを巡らせてしまった。

            映画『メッセージ』(※1)で宇宙船内の知的生命体が使うコミュニケーションツールの筆書きされた円形のような〈文字〉。
            ホラー漫画家として有名な楳図かずおによるSF作品『私は真悟』で、それまで“四角”だったコンピューターの真悟が通信衛星とアクセスし、“三角”(知識、関係性、自我の獲得)へと進化してついに“マル”(地球そのもの)になった、という件がある。 その元ネタとの遭遇でもあった。

            わたしは真悟 文庫版 全7巻 完結セット (小学館文庫) [コミックセット]

            〇△□

            仙僉圈拶あ◆

            古くから様々な解釈が試みられてきた。真言と天台と禅、神道、儒教、仏教であるとか、ストゥーパ(卒塔婆)に見る仏教的宇宙観の水と火と土である(※2)とか……

            衛藤吉則氏が指摘されているように、〇から描いたと見えるが、図形が重なった部分の墨のにじみ方からすると、薄墨の□から描き始めて少し濃い墨で〇を描いたことがわかる。そして最後に、〇と同じ濃さの墨で一番左に空けておいたスペースに落款を入れたのである。衛藤氏は、だから「〇△□」ではなくて「□△〇」であるとされる。ただ、自然な見え方は「〇△□」である。少なくとも仙僂蓮△修Ωえることを想定していた。

            中山喜一郎「儔荳蚤腓離淵勝,気泙兇泙焚鮗瓩鮴犬澆世杭酩

            中山喜一郎監修『仙(せんがい):ユーモアあふれる禅のこころ (別冊太陽 日本のこころ)』p.108

            仙(せんがい):ユーモアあふれる禅のこころ (別冊太陽 日本のこころ)

            手紙に□から△、〇への到達の道筋が、仙僂砲箸辰討量槁犬世辰拭ならば何故そう描かなかったのか?〇△□は自然の流れで、自分は逆に進むことで真理に至る道であるというような意図ではないかと中山氏は解釈していた。

            仙僂鮴祥亮匆颪望匆陲靴仁詭畋臉曚蓮屐拶あ◆廚鬟罐縫弌璽垢伐鮗瓩靴討い(※3)

            狩野派のテイストを再現できるほどの画力がありながら、「それでは禅の本質が伝わらない!」とゆる〜い禅画を描いた仙僉
            見ている人が絵の内容に関心を持たないことを懸念した考えに、仙僂禅僧であることを強く意識させた。

            会場片隅のパネルで紹介された、参考資料の想像の豹は迫力がある。
            それは小さな画像にもかかわらず、細密な描写が見て取れる。
            なぜ画才に重きを置かなかったのか……
            欧州の画家たちとは違う発想に、私は驚かされた。

            ヘタウマ絵

            仙僂發修鵑文遜な姿勢から禅画を描いていた訳ではなさそうだ。

            《龍虎画賛》は、龍虎図からイメージされる迫力からは程遠い……その上ご丁寧に、龍図には 是何曰龍 人大笑吾亦大咲(これは何かと問われ龍だと答えたら、大笑いされ自分も一緒に大笑いした) 、虎図には 猫乎虎乎 将和唐内乎 (猫か虎か まさに和唐内(※4)か)という賛まで添えられている。

            酒の肴?か、商人が幽霊画を床の間にかけて招いた客人を驚かせて楽しんだように、自身の絵を笑いのネタにしていた。

            収集品

            神聖ローマ帝国皇帝 ルドルフ2世の驚異の世界展』でのルドルフ2世の蒐集癖に驚かされたが、仙僂發泙燭舛腓辰箸靴進舒Α⊆集癖があった模様。
            もっとも、ルドルフ2世とは違い、珍しいものは何でも集めるという支配的なものではなく、会場に展示されていたものは、愛着を持った道具といった風だったが。

            独自の美意識で集めたものは、茶碗や不思議な形をした自然の石をそのまま硯として使ったというものまで。

            仙僉壘載竸沺

            「やほよろづ」への愛情は、仙僂さまざまなモノを愛したことにも繋がっているははずである。
            変わった形の石や貝、あるいは硯(すずり)や落款(らっかん)、矢立(やたて)、茶碗、茶碗箱なども、仙僂歪垢いとおしむように使い、触り、また眺めていたものと思える。「豊侈(ほうし)を尊ばず」と自ら書くように、それらはけっして高価なのではなく、むしろ珍奇なのだ。こうした趣味と、権威を求める傾向は、私の経験ではけっして両立しない。

            仙僉〔桔,料』p.117

            仙僉覆擦鵑い) 無法の禅

            その極みは展覧会会場の最後に掛けられていた。《涅槃図》はその名の通り、仏陀の涅槃図に擬(なぞら)えた自身の今際。
            身近な人々と大好きな物品に囲まれ、悲しみよりも、ここでもまたユーモアが溢れる。
            年齢だけでなく、人生そのものが大往生だったんだな……と思うと、微笑ましい。

            1. 映画『メッセージ』 | オフィシャルサイト | ソニー・ピクチャーズ
              http://www.message-movie.jp/(2018/12/2確認)
            2. 仏塔・五重塔・塔婆
              http://tobifudo.jp/newmon/tatemono/sutupa.html(2018/12/2確認)
            3.   中山喜一郎監修『仙(せんがい):ユーモアあふれる禅のこころ (別冊太陽 日本のこころ)』p.109
            4.   近松門左衛門の浄瑠璃「国性爺合戦」の主役・和藤内のこと。
              和藤内が、日本人でも中国人でもないとうそぶくことになぞらえている。また和唐内が「わからない」とも読めるという洒落も入っている。
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            北川健次展 吊り下げられた衣裳哲学

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              JUGEMテーマ:個展

              北川健次展 吊り下げられた衣裳哲学

              またしても、終わってしまった展覧会だけれど…
              ここでの先生の個展は10回目だった。……つまり10周年!!おめでとうございます。

              日本橋・高島屋 美術画廊X にて。

              https://www.takashimaya.co.jp/nihombashi/departmentstore/topics/detail.html?category=art&id=1081#contents

              AMORE E PSCHE
              黒い昆虫標本箱のオブジェ。
              アントニオ・カノーヴァ《アモルの接吻で蘇るプシュケ》(※1)の写真を基にしている。
              アモルとプシュケの顔をレンズの縁が囲むように配されている。レンズによる額縁効果で二人の関係性が注目される。
              L字の金具が箱の縁とレンズに引っ掛かるように配されている。
              細いワイヤーと、時計のパーツだろうか…金メッキの金具。
              アルファベット・Wが印字されている角丸立方体がオブジェ下部中央に配されている。

              アリス・リデルの小さな部屋で
              古い三角定規の中央の穴に収まっているように配されている、古い少女の写真。
              言わずもがな、大きくなるお菓子を食べて部屋いっぱいになってしまった『不思議の国のアリス』を彷彿させる。
              ガラス管から熱で引き延ばされ糸状になった部分は、少女の顔をさらに囲むように伸びている。
              青と黄色のパステルの破片。
              その色合いからフェルメールのイメージさせられた。

              クラリッセのいる室内
              写真作品。
              雑然とした室内。積み上げられた椅子やアンティークの品々。
              フランスのパッサージュで撮ったものだろうか?
              ショーウィンドウのガラス越しに撮られた写真は、写り込みがある。
              それは他の被写体を損なっておらず、ガラスの奥で積み上げられたアンティークの一部となっている。
              まるで亡霊のように重なりながら……

              もしかしたら、ノスタルジアこそ、あらゆる芸術の源 泉なのである。

              ――澁澤龍彦

              引用された言葉に、北川先生のコラージュ作品の本質が集約されていた。
              アンティークなどの過去の記憶を想起させるもの、古いものにある情景と異国感。

              衣装哲学と銘打った作品群は、アンティークな女の衣装や、女性の身体の曲線美を強く意識させるものが多かった。
              今回の個展のDMにも使われている。
              それは女性的なるものを想起させ、初期の北川健次氏の男性的な作品――アンチュール・ランボーに寄せたもの(※2)――と対あるいは超えたものに思えた。

              Das Ewig-Weibliche / Zieht uns hinan
              永遠に女性的なるもの われらを引き、昇らせる

              ゲーテ『ファウスト』の終幕の合唱は、悪魔との契約を超える愛によって昇華される様を歌っている。それを思い出された。
              ……北川先生、何か新しい境地を見つけた、足掛かりを得たのだろうか?

              Rome―サン・ピエトロの二つの空洞
              エルンストのようなコラージュ作品。
              建築設計図面に紙輪の円に手を通す手。
              聖堂の空間と輪のなかを指し示すような指先が啓示的だった。その手は神のものではないかと思ってしまう。

              アンドロギュノスの白い皮膚
              二本指をV字に開いた手が、大胆にトリミングされた幼児の姿をした大理石のクピドの写真の腕に添えられている。
              クピドの羽は垂直に切れているにもかかわらず、 違和感が無い。

              コレクションという行為もまた創造行為である。
              作り手と同じく、その表現世界を自らの物とし、
              長い時をかけて様々なイメージを紡ぎ出し対話を
              していくのは、他ならぬ鑑賞者自身なのである。

              10年近く、こうして沢山の作品を拝見させて頂いている。
              そうしている内に、北川先生の作品云々だけでなく、先生の作品を通して私の好む傾向が見えるようになった。
              私は安定した構図のものが好きなんだな……
              シンメトリックであったり、私の中で理解しやすい関連性があるものが。

              今回の個展で、私が一番驚いたのは、「嫌いな作品」があったこと。
              タイトルがうろ覚えなのだが、《奇数に隠された三姉妹》だった気がする。
              「3」と「7」のダイスの後ろに、おそらく三姉妹のアンティーク写真。その前にある青いコーティングされた導線がいびつで、見ていると私はとにかく不安になった。

              そういえば先生、今年の8月に作品集を出された模様。
              (早く言って欲しかった……)

              危うさの角度

              ぜひ手に取ってみたい。
              今年の夏、福島で開催されていた個展に出した作品群だろうか。

              それにしても…
              最近、会期ぎりぎりに行くことが多くて、展覧会の感想を期間内に書けないのが残念だ……

              北川健次先生 オフィシャルサイト
              http://kenjikitagawa.jp/

              1. 《アモルの接吻で蘇るプシュケ》  | ルーヴル美術館
                http://musee.louvre.fr/oal/psycheJP/psycheJP_acc_ja_JP.html(2018/10/30確認)
              2. 『A・ランボーと私』 | 北川健次オフィシャルサイト/words
                http://kenjikitagawa.jp/user_data/words.php??p=3475(2018/10/30確認)

                【過去日記】北川健次「ランボー頌」
                http://chimere-aile.jugem.jp/?eid=117

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              芳年 ―激動の時代を生きた鬼才浮世絵師

              0

                JUGEMテーマ:展覧会

                公式サイト:
                https://neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=201805131526201032

                またしても、終わってしまった展覧会だけど……備忘録

                練馬・練馬区立美術館( https://neribun.or.jp/museum.html )にて。

                1970年代に流行したアングラ美術で“血みどろ絵師”として紹介された芳年を、“最後の浮世絵師”として再解釈する展覧会。

                私は《奥州安達がはらひとつ家の図》(※1)で知ったので、その奇異な世界観の方に魅力を感じていた。 この展覧会を通して、私はそのイメージを払拭した。

                時代を反映して様々な表現を積極に取り入れ、独自の画風を確立していた、芳年の勤勉な人柄を知る。

                また、状態の良い揃物(複数枚で1セットのシリーズ物)を揃えた展覧会は初めてだったので、見応えのあるものだった。

                気に入った作品について感想を書きたいと思っていたが、その多さ…日本美術に詳しくない私にはどれも新鮮に写って、 とても消化しきれない……
                芳年の傑作として名高い作品《藤原保昌月下弄笛図》について、それ以外は個々の作品よりも、芳年作品全体の印象を書こうと思う。


                《藤原保昌月下弄笛図》

                月岡芳年《藤原保昌月下弄笛図》

                満月の夜、画面中央には直立して笛を吹く藤原保昌。
                その背後、画面向かって右下から、踏ん張るような体制で今にも脇刺を抜こうとしている盗賊・袴垂保輔。
                背景のススキ林が風になびいて、画面右から左に向かっている。

                会場に入ってすぐの所にあったのは、右から左へと、自然と視線が誘導される。
                とても安定した構図だった。
                藤原保昌の“静”と袴垂保輔の“動”の対比が印象的な揃物だった。

                月の描写が多かったような気もする。
                それは芳年晩年の大作であり代表作でもある揃物『月百姿』(※2)の展示で、その作品数と描画の多様さから、そういった印象を持ってしまったのかも知れない。

                月齢に関係なく、月に纏わる逸話や日常風景を描写したもの。
                満月が多かった。同じ満月でもトリミングの違い、各々のシチュエーションも構図にも同じものがない事に驚かされた。

                《烟中月》(※3)では月に煙がかかり、かすんでいる。それは江戸で頻繁に起こった火災によるもの。
                江戸は火災の町だった(※4)。それ故に火消し今では考えられない価値観かもしれないが、江戸時代の家事は多発するもの、“イベント”だった。

                当時の人々はどんな思いで見ていたのだろうか……ふと見上げた時に見える美しい月は、炎の赤、煙の白に映えるものだったのだろうか?

                少なくとも、私はこの作品から悲観的なものは感じなかった。

                芳年の作品における、強烈な“赤”。赤に魅力がある。

                真っ先に目を引くのは、血の表現だろう。
                《英名二十八衆句》(※5)の‘血の表現の一部には ( にかわ ) を用いて光沢が出されており、シリーズを通しての眼目が流血の描写にあった。(※6)’

                流れる赤、噴出する赤――血のフェティズムだけではない。
                着物の艶やかな赤、藍色とのコントラストで鮮やかな赤などが人目を引く。

                芳年はそうした効果を理解してもいたのではないだろうか?新聞錦絵の縁の赤――赤絵(※7)という――があるように。

                また、当時、安価に手に入る化学染料の普及したことも、芳年作品における印象的な赤を作ったようだ。

                私はこんなに写実的な馬の浮世絵を見たことがなかったので、凄く印象に残ってしまった。
                日本画の馬というと、テイストは神社の絵馬か蒙古襲来絵巻で見たような躍動感を想像しやすい。

                月岡芳年《曽我時致乗裸馬駆大磯》
                月岡芳年《相模次郎平将門》月岡芳年《燕人張飛》

                しかし芳年が描く馬は立体的で、斜め前側や背面から、一瞬を捉えた臨場感がある構図だった。
                筆描きの伝統的な描き方をした《曽我時致乗裸馬駆大磯》の馬もあるが、『一魁随筆』の《燕人張飛》や『芳年武者旡類』《相模次郎平将門》の馬に、そうしたリアリティがある。

                その構図に、西洋絵画、肖像画の影響の可能性を強く感じた。

                西洋絵画の影響

                明治になって西洋美術(版画による模写)の流入があった。
                パリ万博への国をあげての出展もあって、絵師たちは西洋絵画の表現を研究、技法の会得をした。
                芳年も積極的に取り入れたことが伺える。

                北斎らを彷彿させる波の表現が、明治になるとヨーロッパの油彩画にあるようなものになっていた。

                芳年渾身の作だったが、当時はあまり人気が無かったという『一魁随筆』の一枚に、どうみても構図が聖母子像にヒントを得たようなものもあった。

                山姥 怪童丸

                月岡芳年《山姥 怪童丸》
                The Holy Family of Francis

                洋風表現を用いた本図は数多い金太郎の絵の中でも異色の作である。まるで聖母子像を思わせる描写に関して、ラファエロ・サンツィオの油絵「The Holy Family of Francis 機廖憤豸洌貳年、ルーブル美術館蔵・挿図)の銅版画による複製を参照した可能性が提示されている(Kris Schiermeier,‘Western inspiration in a print by Yoshitoshi:Yamauba and Kaidōmaru, Andon, no.66, 2000’)。

                岩切 友里子 編著 『芳年』 平凡社 2014 p.239

                芳年

                イラストレーターの先駆としての芳年

                西洋絵画の技法を取り入れたこと以外にも気になったのが、芳年の先駆的表現。
                爆発した砲弾、雷鳴の表現が、コミックに見るものに近い。

                その発想の原点がどこにあるのかは私にはわからなかった。
                しかし、後世に与えた影響は想像に難くない。
                《那智山之大滝にて荒行図》(※8)は、摺刷後に胡粉を飛ばして表現した水しぶきが印象的だが、その表現にCLAMPを思い出した。

                晩年の芳年は、美人画に注力する。
                『風俗三十二相』(※9)は伝統的な美人画の揃物を踏襲している(※10)が、芳年の独自性がある。
                女性の身分によって着ているものが異なる。明治の“今”と江戸やそれ以前の“昔”のファッションを描画している。

                「寛政年間女郎の風俗」のように、描かれた女性の時代と身分を説明する副題が付されている。芳年の制作から百年近く前の寛政年間に始まり、享和・文化・文政・天保・弘化・嘉永・安政と各時代を描き、その後幕末の万延から慶応の約8年間を省略し、明治時代に続いている。江戸時代の女性が23作、明治時代の女性が9作で構成され、過ぎ去った時代への芳年のノスタルジーも込められている

                そこに芳年の生きた時代の変化を込めたこと、私はそれが自身の生涯の記録であると読む。あながち間違っていないと思うのだが、どうだろうか?


                血みどろに限らず、鮮やかな浮世絵の数々。
                最後の浮世絵師と呼ばれる芳年は、激動の時代の中で、アイデンティティを模索し続けた絵師だったと思う。
                乱世であるだけが神経衰弱の原因ではないだろうと、私は想像する。

                日本の伝統的な描き方、技法を保ちつつも、西洋絵画の表現の良さを積極的に取り入れて、自分自身の画を模索し続けていることが伺える。

                1.  "The Lonely House at Adachigahara in Ôshû (Ôshû Adachigahara hitotsuya no zu"
                  Museum of Fine Arts, Boston (English)
                  https://www.mfa.org/collections/object/the-lonely-house-at-adachigahara-in-%C3%B4sh%C3%BB-%C3%B4sh%C3%BB-adachigahara-hitotsuya-no-zu-493510 (2018/10/10 確認)
                2. 月百姿(Wikipedia / 日本語)
                  https://ja.wikipedia.org/wiki/月百姿 (2018/10/10 確認)
                3. 月百姿 烟中月 - 国立国会図書館デジタルコレクション
                  http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1306344 (2018/10/10 確認)
                4. NHKスペシャル | シリーズ 大江戸第3集不屈の復興!!町人が闘った“大火の都”
                  https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20180701 (2018/10/10 確認)
                5. 英名二十八衆句(Wikipedia / 日本語)
                  https://ja.wikipedia.org/wiki/英名二十八衆句 (2018/10/10 確認)
                6.  『芳年 ―激動の時代を生きた鬼才浮世絵師』会場キャプション
                7. コラム:明治の錦絵 | 錦絵でたのしむ江戸の名所
                  http://www.ndl.go.jp/landmarks/column/5.html (2018/10/10 確認)
                8. 那智山之大滝にて荒行図 - 千葉市美術館 収蔵品検索システム
                  http://www.ccma-net.jp/search/index.php?app=shiryo&mode=detail&list_id=73049&data_id=4097 (2018/10/10 確認)
                9. 風俗三十二相 - 国立国会図書館デジタルコレクション
                  http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1312944 (2018/10/10 確認)
                10. 芳年に直接影響を与えたと考えられる近い時期の作品としては、歌川国貞の『当世三十二相』『今様三十二相』、豊原国周の『当勢三十二想』が挙げられる。また、作品の題材や構図には師である歌川国芳からの学習や模倣も認められる。

                  風俗三十二相(Wikipedia / 日本語)
                  https://ja.wikipedia.org/wiki/風俗三十二相 (2018/10/10 確認)

                参考文献
                河出書房新社編集部『月岡芳年: 血と怪奇の異才絵師 (傑作浮世絵コレクション)』 河出書房新社 2014
                月岡芳年: 血と怪奇の異才絵師 (傑作浮世絵コレクション)
                日野原健司『月岡芳年 風俗三十二相 (謎解き浮世絵叢書)』町田市立国際版画美術館 2011
                月岡芳年 風俗三十二相 (謎解き浮世絵叢書)
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                FINAL FANTASYと天野喜孝の世界展

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                  JUGEMテーマ:展覧会

                  『FINAL FANTASYと天野喜孝の世界展』チラシ

                  公式サイト:
                  http://amano-exhibition.jp/

                  またしても終わってしまった展示会……の備忘録。

                  FINAL FANTASY30周年企画。
                  天野喜孝氏の世界というより、完全にFINAL FANTASYの世界だった。

                  会場に流れる8ビット音源が懐かしい。

                  FINAL FANTASY XIII ライトニング 原画、衣装

                  ファミコン時代のジャケットの原画、キャラクターデザイン画に、キャラクターのコスチュームの再現まで。
                  衣装があったのは、会期初めにはコスプレイベントがあったためのようだ。

                  原画の余白に書かれているエネミー名がゲームと違っていたり、試行錯誤や変更の形跡を見て、開発者の様々な思いを想像してみる。
                  ドットでは再現できなかった繊細な細部など、発見があって見ていて楽しい。

                  2DCGでは表現できない、水彩独自の風合いと手書きが、今となってはよりアートだと思った。

                  電子データと比較して優劣をつける必要はないのだが、コピーや印刷で同じものは再現できないオリジナリティを越えることはできないと思う。

                  プロジェクション・マッピングによる展示の試みもあったが、画像が淡々とスライドショーで流れるだけだった。私には目が回るだけで世界観を堪能するには至らなかった……
                  勝手ながら、キャラクターが動き出すようなものを想像していたので、残念。

                  アーティストとしての天野喜孝、パブリックアート作品と最新作も展示。
                  発色の良いアクリル画は、その大きさもあって迫力がある。

                  天野喜孝《Quatre Chevaux》

                  《Quatre Chevaux》は黙示録四騎士のそれから離れて、天野氏の独自解釈に基づく容姿だった。

                  画面下部から中央にかけてを占める馬たちは、画面から飛び出してくるような勢いがある。

                  なびく鬣の形状は燃え上がる炎のようだった。

                  欲を言えば……『グイン・サーガ』シリーズの原画も展示して欲しかった。
                  図録には掲載されているのに……

                  天野喜孝《DEVA LOKA》

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                  是蘭 水の地図

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                    JUGEMテーマ:コラージュ

                    是蘭 水の地図

                    銀座・Gallery Art Point bis( http://art-point.jp/ )にて。

                    北川健次先生に師事した是蘭さんの個展に久しぶりに伺った。
                    会期終了間際だったので、要するに終わってしまったのだが……
                    やっぱりしたためておきたい。

                    小さな会場だったが、そこに飾られている作品は、どれもクオリティが高いものに感じられた。

                    下記、気になった作品についての感想。


                    ( おとの ) う月》

                    達筆な書を反転させたと思しきものが印字されている。
                    解読できないけれど読めそうな気がして、注視してしまう。
                    和風モダンなインテリアのようなシックさに引かれた。

                    《月下》

                    目から引かれた赤い線は事件性があり、切り傷のようでもある。それはダリの映画《アンダルシアの犬》を連想させもした。
                    縦横に交差する線は、どうしても十字架――宗教的・精神的なシンボリズム――のイメージを強くする。

                    《異なる夜へ》

                    最初、画面近くから見ていたため、気づかなかった。
                    筆跡が残る、立方体のパターン。モノトーンの中に赤・黄・青が不規則に差し色として入っている……
                    それは遠目から見ると顔だった。

                    《鏡面より》

                    DMになっている作品。こちらも《月下》に似た事件性を感じさせる。
                    両方とも、垣間見える人物の顔はトリミングの影響で、男とも女ともつかない中世的な魅力を醸している。

                    《Sweet test》

                    体側に沿って下に下がった中世〜近代の衣装をまとった女性の手。
                    それだけなのに、それだけであるが故に、事件性を臭わせる。つまり、その手の内には‶何か”が隠されているのではないかと……
                    刃物や、もしかしたら毒瓶を忍ばせているかもしれないと。
                    赤い色が余計にそうした連想を助長している。
                    赤い色で描かれた、反転した「2」「7」という数字。意味はないかも知れない。だからこそ余計に暗示的な作品だった。


                    以前伺った展示会での作品は、実験的なコラージュ作品が多かったように思う。
                    今回はそれが洗練され、是蘭さんの独自性を感じた。(羨ましい…)

                    是蘭氏Website:
                    http://www.zelan.jp/

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                    特別展『人体 神秘への挑戦』

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                      JUGEMテーマ:展覧会

                      特別展『人体 神秘への挑戦』チラシ

                      公式サイト:
                      http://jintai2018.jp

                      上野・国立科学博物館( http://www.nmwa.go.jp/ )にて。
                      〜2018/6/17まで。

                      レオナルドの『人体解剖図』を見に行く。

                      2009年、六本木・森美術館で行われた『医学と芸術展』における、生命の神秘の探求を、造形美や観る者に想起させるものとは異なるアプローチだった。

                      何故、かくも人体への神秘に惹かれるのか。
                      それは"temet nosce"――己を知れ――という人類の自己探求に他ならないと思う。

                      人間の神秘とその原泉がどこにあるのかを解明しようとする先人たちの努力と、腐りやすいそれらをいかに他へ伝えるか――ムラージュにキンストレーキなどの人体模型、解剖図譜――など、多岐にわたる探求があった。


                      レーウェンフックの顕微鏡を初めて見た。
                      話は変わるが、それを見た時レーウェンフックのカメラオブスキュラ(暗箱)がフェルメールに影響を与えたことを思い出していた(※1)。

                      当時の科学が芸術にも大きな影響を与えていたことを思い出させた。
                      メダカの尾びれの赤血球の流れを捉えたレーウェンフックの顕微鏡は、現在の顕微鏡と遜色なかった。(若干ピンボケ気味だけど、流れは理解できる)

                      レオナルド・ダ・ヴィンチ《『解剖手稿』より頭部断面、脳と眼の結びつき部分》

                      ちょっと意外だった……脳部分の描き込みをしていないことに。
                      否、脳という器官が一体何を司っているかが理解されていなかったため、脳が心を司っている重要な器官であるという認識がなかった可能性もある。(※2)
                      レオナルドが解剖に関心を寄せていたのは、“人間の心をいかに絵画で表現するか”を模索する一環で人体構造を把握したかった(心がいかに人体に作用しているかを解明したかった)ためだ。

                      特に人物の視線を重要視していたレオナルド。
                      展示されている手稿からは眼球の周り――眼球の筋肉運動――に関心があることが伺える。
                      精神の運動(喜怒哀楽)によって人間の顔が動く(表情)こと、つまり顔を描くという事は、人間の精神を描き出すことを意味していた。

                      2017年に上野・国立西洋美術館『アルチンボルト展』で展示されていたレオナルドによる頭部素描もそのためのものだ。

                      画期的なものである『解剖手稿』。ただし、現在の解剖学からすると間違って描写されている箇所も多い。今回展示されていない《子宮の中の胎児の素描》(※3)で描かれている子宮は牛のものである指摘がされているように。

                      会場では、人体の器官系統ごとにエリアが区切られ、最初にレオナルドや他の画家・学者らによって残された図譜・研究所が展示され、次にリアルに解明された標本や模型、電子顕微鏡やMRIの写真、CGによる再現が展示されていた。
                      技術の発展と、それに伴う発見の数々が垣間見れた。

                      流石に本物の人体は、別コーナー扱いになっていた。
                      色々な意味で配慮しているのだろうけれど……難儀なものである。
                      私はそれらを目の前にしても、不気味さを感じなかった。今、目の前にしているものと同じものが、自分の身体の中にあるという実感も……
                      肺も心臓も、こんな小さなものが私の人体に入っていて、命を刻んでいたり、維持していると……私にはむしろそれが不思議だった。

                      血の気もなく保存のため硬化している臓器に、当然ながら生々しさは感じられない。

                      そして個人が特定されることはない匿名性が、臓器を物体として認識させる…… 
                      それは私が無意識的に距離を置こうとしていたのかもしれない。

                      寧ろ骨格の発達の参考として展示されていた、1〜5歳児の本物の人骨の方が生々しく、“死”を意識させられた。

                      私がもう一つ、気になっていた事は、脳についての分野。
                      別冊日経サイエンス『最新科学が解き明かす 脳と心』などを読んで、そのメカニズムの不思議や認知症、依存症などが脳の認知の問題であることに関心を持っていた。
                      昨今、話題のAIの問題とも関連して……今現在の人工知能ディープラーニング――神経細胞(ニューロン)の仕組みを模したニューラルネットワークを多層にし、段階的に特徴を分析し学習する――は、まだ人間の思考を再現しきっている訳ではないので。
                      しかし、そういった研究に対する言及は皆無だった。
                      「展示する」ことを考えると、表現や資料の作成が難しいためかもしれない。

                      最新科学が解き明かす 脳と心 (別冊日経サイエンス)

                      だだ、ペンフィールドの「体部位再現図」をもとに製作された「ホムンクルス」の立体版は面白かった。
                      運動野(動かすために使う領域)と感覚野(知覚するために使う領域)で占める比率が微妙に異なること、手指に使う領域の大きさから、その重要性が伺える。

                      会場後半には、NHKの『人体 神秘の巨大ネットワーク』のスタジオで実際に使用された備品が展示されていた。
                      レゴでできたタモリさんなど。

                      レゴブロック タモリさん

                      1989年の『驚異の小宇宙 人体』は、脳を司令塔に役割分担をすることを前提に、マクロな視点――各臓器・器官の機能について――で解説していた。
                      今でもよく覚えているのは、免疫細胞についての回。CGで表現された免疫細胞は、体内の出来事なのにメカっぽいデザインで、SFのようだったことを覚えている。

                      その時映像で見た、電子顕微鏡で写された体内のメカニズムが有機的で質感のあるCGになって、リアリティが増していた。
                      さらに解明された“メッセージ物質”と呼ばれる、臓器同士が情報交換に使っているタンパク質について紹介し、人体はトップダウン的な指揮系統によって成り立っているのではなく、各臓器の連携・ネットワークがあるという事を解説していた。

                      人体 ネットワークシンフォニー 4Kシアター

                      会場では『ネットワークシンフォニー』と第し、騒がしくも面白い、メッセージ物質が織りなすネットワークをイメージした4K施設があった。
                      高画質で表現されたメッセージ物質のクリアなイメージ映像と音と光による演出は「ネットは広大」という台詞を思い出す世界だった。


                      色々と、比較・体感できる展示に楽しめるものだった。
                      先人たちの探求や技術の発展によってもたらされたコレクションによって。
                      4Kのより鮮やかで鮮明な映像技術もまた、体内で何が起こっているかを解析するのに役立ってゆくのだろう。
                      まだまだ人間にとって人体は未知の世界だった。


                      2018/6/24追記

                      《『解剖手稿』より頭部断面、脳と眼の結びつき部分》を拝見して、これが一体何を示しているのか知りたく、前橋重二『レオナルド・ダ・ヴィンチ―人体解剖図を読み解く』を読了。

                      レオナルド・ダ・ヴィンチ―人体解剖図を読み解く (とんぼの本)

                      それによると、レオナルドは脳の役割(五感で得た感覚が1点に集まる場所、霊魂の居場所として)を理解していた模様。
                      それは先人の知識、それを記した書物によるもののようだが。

                      《脳と眼の結びつき部分》は、実際の解剖は行っておらず、そうした先人の書物から得た知識に基づいて描いた“空想解剖図”であった模様。

                      中世の思想家たちは感覚・認知・記憶など脳の高次機能を、脳内にある「脳室」と関連づけて考察した。その伝統的な脳室論にレオナルドが文字どおり新しい狎擇蠍”を与えたのがこのイラスト。眉間の前頭洞と片方の眼球をそれぞれ正割する2層の断面図=トモグラフィを想像力で重ねあわせて描いたもの。X線による画像情報をコンピューターで処理するCTすなわちコンピューテッド・トモグラフィの遥かなる先駆けだ。右下には水平断層面も。

                      前橋重二『レオナルド・ダ・ヴィンチ―人体解剖図を読み解く』 新潮社 2013 p.33

                      《脳と眼の結びつき部分》 の紙面向かって左側、眼球の視線の先に薄っすら描かれていたのは、縦割りのタマネギの断面図。
                      ‘タマネギのように頭部をカットせよ……重層構造がひとめで観察できるだろう’(※4)と記されているようだ。

                      1.  【過去日記】北川健二『フェルメール絵画の謎の本質を読み解く』
                      2. 紀元前4世紀から21世紀まで、脳研究2500年の歴史を辿る。 | 脳科学メディア
                        http://japan-brain-science.com/archives/59(2018/6/16 確認)
                      3. 《子宮の中の胎児の素描》レオナルド・ダ・ヴィンチ|MUSEY[ミュージー]
                        https://www.musey.net/5787(2018/6/16 確認)
                      4.  前橋重二『レオナルド・ダ・ヴィンチ―人体解剖図を読み解く』 新潮社 2013 p.33
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                      しかし、子供の頃を思い出させるディティール。
                      現実と幻想、決して交差せずとも互いに影響しあう。
                      そこで彼女は何を得るのか。

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