北川健次展「Prelude―記憶の庭へ」

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    JUGEMテーマ:コラージュ

    JUGEMテーマ:個展

    北川健次展「Prelude―記憶の庭へ」

    銀座・画廊香月にて。
    http://www.g-kazuki.com/

    〜2018/4/24(火)まで。

    再び、画廊香月での個展。
    実は去年もあったようだが、私は伺えなかった……

    築80年を超え、昭和初期のモダーンな雰囲気を今に残す奥野ビル(※1)。 レトロな空間が素敵だし、雰囲気が先生の作品に合っている。

    遒と△房められたコラージュオブジェは、『ルドルフ2世の驚異の世界展』を観に行った後の私には、ヴンダーカンマー、蒐集の極みの一部の様に見えてしまう。

    いつものように、気に入った作品の感想など。


    《美しきカリエラの〈眼〉のある肖像》

    DMに使われている作品。

    少女は湾曲したガラス越しにこちらを見ている。
    バロック――歪んだ真珠、それにちなんだ装飾過多の様式――を想起させるガラスは、そのいびつさ故に不安を掻き立てられ、ガラス越しという直視できない状態に、“隠された何かがある”ような緊張感を漂わせている気がした。

    サイコロに賭け事や占いのイメージをみる。
    私はそこから少女に対して、前者ならいかさま師を、後者なら先の見えない不可視なもの、運命の女神、予言者などを見出してしまう。

    《秘められた家族の肖像》

    見る者に対して横向きに座っていると思われる男性。その男性に寄り添う女性はこちらを見ている。男性と女性の顔を覆うように、ガラスのレンズが置かれている。そのレンズの縁は男性と女性の眼の縁を結ぶように配置されている、偶然の一致。
    サイコロの目のような、何かのゲームの数字版にある数は「2」「3」。そのすぐ脇に、斜めに置かれた小さなサイコロの目は「5」。単純に何か繋がりがあるのではないかと想像してしまう。
    小さなサイコロの傍から少年の目がこちらを覗き込んでいる……

    寓意的で暗示的な様に、 ブロンズィーノ《愛の勝利の寓意(愛のアレゴリー)》(※2)を思い出す。
    《美しきカリエラの〈眼〉のある肖像》同様に、ガラス越しの女性の視線。
    何かが隠されているような、思わせぶりにこちらを見ているように感じてしまう。
    そう考えてしまった時、女性は完全にファム・ファタール――男を破滅させる、運命の女――に見えてしまう。男性の肩に添えられた手は、まるで男性を支配してしまうことを暗示しているように映る。

    一番気に入った作品だったので、つい、饒舌になってしまった……

    先生と話していたら、この作品にはヴィスコンティ監督の映画『家族の肖像』(※3)のイメージがあったそう。

    《偽りの若きmontaigneの肖像機

    カンバスぎりぎりまでトリミングされた、横向きの女性の肖像に重なって配された歯車と用途不明の金具部品。 肖像の体軸に沿って配されたそれはまるで、横向きの女性がゼンマイ仕掛け――アンドロイド、すなわち『未来のイヴ』――であるように思えた。
    理想の美を再現しようとした試み……それが成功か失敗かは、見る人次第だろう。

    シンメトリックな造形ゆえに安定しているように思えるし、対称的なのに側面である女性像の不協和音……アンシンメトリーさが気になる作品だった。


    昔の作品などはもっと…ナイフみたいに尖っていたような気がしたが、現在の作品は何となく、観覧者に解釈を委ねるゆとりがあるように思ったり……
    それは観ている人間の内面を映し出している――観ている人が自身の内面を投影してしまう――ためだろう。

    先生は鑑賞者と作品の波長(のようなものだろうか?)が合う瞬間があるという趣旨の話をした。それは運命的な出会いか、必然か……

    袖振り合うも他生の縁、これら作品群を見て、他人がどんな感想を抱くのか聞いてみたい。

    北川健次先生オフィシャルサイト
    http://kenjikitagawa.jp/

    1. 1 築85年のアートな銀座「奥野ビル」から新たなデザイン&アートを発信 | 2017年記事
      http://sumau.com/2017/page_category/parent_information/urban_info/1372.html ( 2018/4/12 確認 )
    2. 2 ブロンズィーノ-愛の勝利の寓意(愛のアレゴリー)-(画像・壁紙)
      http://www.salvastyle.com/menu_mannierism/bronzino_amore.html ( 2018/4/12 確認 )
    3. 3 映画『家族の肖像』デジタル完全修復版 公式サイト|2017年2月11日 岩波ホールほか全国順次ロードショー
      http://www.zaziefilms.com/kazokunoshozo/ ( 2018/4/12 確認 )
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    映画『シェイプ・オブ・ウォーター』感想 ――水のかたち、愛のかたち

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      映画『シェイプ・オブ・ウォーター』チラシ

      公式サイト:
      http://www.foxmovies-jp.com/shapeofwater/

      大好きなギレルモ監督の作品。
      SFやファンタジー映画は受賞が難しいと言われるアカデミー賞(※1)において、作品賞を受賞した。(私の記憶の中では、せいぜい視覚効果賞くらい)
      見終わったあと、心にしっとりと染み入るものがある。

      極端な解釈をすれば、社会派な異類婚姻譚だった。

      スクリーンの中では、あらゆる表現に多様性がある。 アカデミー賞を受賞したのは、排他的でマイノリティにNOを突き付ける現政権に対するけん制だろうか…などと穿った見方をしてしまう。
      あるいは物語の中で、懐古趣味的な強いアメリカ「かくあるべし」に固執し行き過ぎた時の、閉塞感と挫折あるいは破滅を端的に表していることに気付いたのだろうか……

      声を失い手話ではなす主人公・イライザをはじめ、彼女をとりまく人々は、マイノリティであるが故に社会の底辺を生きる人々だ。
      黒人のゼルダ、時代の変化に取り残され失業している同性愛者・シャイルズなど。

      色々な考えが、断片的に浮かんでくる…下記はちょっとした考察。

      ギレルモ監督作品にお馴染みのダグ・ジョーンズ氏演じるクリーチャーは、パンフレットでは「不思議な生きもの」となっていたが、見た目から勝手に“魚人”とする。


      覆される“イメージ”

      映画全編を通して、青緑と深赤のコントラストが美しい。

      ギレルモ監督の前作『クリムゾン・ピーク』では深紅が印象的だったし……まるでそれに対を成すような色彩。
      『クリムゾン・ピーク』では色が登場人物の心象を象徴したり、今後の展開を暗示するものだった。

      緑はアメリカでは不吉の色(※2)とされていたり、赤には冒頭の火事、鮮血を意識させる。
      緑と赤に不吉なイメージを見いだしてしまう偏向した考えにたいして、釘を刺された気がした。

      物語――神話、童話

      ゼルダがデリラ――旧約聖書で粗暴な英雄を罠にかけた女性――に見立てられるも、 名前が裏切りを直接暗示することはない。寧ろ機転を利かせ、イライザに危機を端的に伝えた。

      アンデルセンの童話『赤い靴』や『人魚姫』を彷彿させる物語展開も、カタルシスを感じさせるものにはならない。

      卵と魚 ――融合

      鳥のイメージに結びつく卵と、魚(人)は、私の中では対のイメージを持っていた。
      空と海、空気と水、高く飛翔するものと深く潜るものといった具合に。
      ……もしかしたら、押井守作品に感化されている(※3)のかも。(私が)

      映画のシーンで、熱湯の中で茹でられてゆく卵と、イライザの浴槽の中で行っているセルフプレジャーのヴィジョンが重なる。
      卵は誕生を暗示させ、子を産む能力を備えている女性と密接に関係するだろう。つまり、卵はイライザを象徴するのかも知れない。

      そして魚人は言わずもがな。魚。
      魚人が卵を食べるのは、良質なタンパク質が必要な生きものであるためだけでなく、愛の成就のかたち、融合をも表わしているのではないだろうか?

      卵(復活)と魚(ΙΧΘΥΣ / イクトゥス)、といったキリストを暗示させるし、魚は女性性と結びつき(※4)卵も然り(※5)。
      魚人については「アマゾンの原住民は神として崇めていた」といわれていた。そして映画終盤では、それこそ神のような存在として描かれている。

      愛のかたち

      愛に理由はない等、古今東西、さまざまな表現がされていると思う。

      物語上に明確な動機付けはなく、イライザと魚人は交流から情愛が静かに育まれてゆく。

      それは水のように形をかえる。
      tap dance、love song、そしてmake loveといった具合に。

      どちらかの死による別離でもなく、イライザが『人魚姫』のように泡となって消えることもなく、『美女と野獣』のように魚人がイケメンに変身することはなかった。
      愛の成就、博士が指摘したアマゾンの神の恩恵は、愛を与えたものに与えられた。

      懐古趣味 ――素敵な音楽と「昔は今より酷かった!」

      愛情を伝える手段としての音楽は、「古き良きアメリカ」を象徴するアイコンでもある。
      モノトーンのブラウン管から流れる、快活で楽し気な音楽に象徴される、懐古趣味……
      その余韻に浸っていると、当時の日常の理不尽が描かれる。 当たり前のような暴力と人種差別と下世話な会話が繰り広げられていたり……
      全てが美化されたものではない。あの当時の現実の片鱗ではないだろうか。

      ただ、私はアメリカの「今」を知らない。 だから私は、日本の今の基準で見て、落ち着かない狭くて汚いトイレに嫌悪感を抱く。

      分煙意識も、禁煙キャンペーンも無かった時代、日本でも 煙草なんてそこら中で吸っていた。

      イライザにセクハラをする警備主任のストリックランド。

      民間企業でも個人情報保護やセキュリティ対策が重要な現在では信じられないような、ゆるゆるなセキュリティ。(まぁ、フィクションなのでこうしないとお話が進まないだろう。)

      男性原理的な成功への執着

      鼻持ちならないストリックランド。
      敵役で、イライザと何もかもが対照的である彼が、もう一人の主人公と言える。

      身だしなみはきちんとしていてお洒落なのだが、人間的にできていない。
      丁度、映画『キングスマン』シリーズを観た後だったので、“Manners maketh man”という言葉を送ってやりたいくらいに。
      おそらく当人も自覚があるのではないだろうか…自分のデスクで『ポジティブ思考』という自己啓発本を読んでいるくらいなのだから。

      彼は行き過ぎた男性原理の負の面の象徴だ。

      それを一番に表わしているように思えたのが、彼の下手なセックス。
      彼のベッドシーンは、愛ある行為というよりポルノまがいの代物で、強姦しているようにしか思えない。(※6)
      着衣のまま、激しくピストンしていた。

      イライザは服を脱ぎハグするところからはじまっている。セックスの仕方まで、イライザとは対照的なのだ。

      彼は持ち家があり、子供にも恵まれ、彼を愛する妻もいる。しかし、当の彼自身は、絵に描いたような理想の家庭を“演じている”だけだった。
      “成功する”という言葉に囚われ、“なぜ成功したいのか”が抜け落ちているように、私には見えた。
      例えば「家族を幸せにしたいから」などとは微塵も思っていないだろう。

      映画冒頭で魚人に食いちぎられた指は去勢の変化系にも思えるし、所有することが成功者の証とした新車の傷は、彼の男性原理的の傷であり、断たれたことを示している。

      成功を求めながら、根本的な部分が欠けていたため、努力しても(そもそもお門違いのため)無駄に終わり、身を亡ぼす。哀れな男の悲劇だった。

      断っておくが、これは「清貧者が救われる」という古い聖書解釈的な意味ではない。「本当に大切なものを大切にしたものが、互いに満たされ、昇華した」話だ。

      どうでもよい蛇足
      ギレルモ監督、決して美人とは言えない人を起用しても、すごく魅力的なキャラクターになる。凄い。
      魚人の姿にメガテンのアズミを思い出した……(パクリ疑惑とかではなく、偶然の一致として面白いと思っている。)
      1. 1 アカデミー賞はSFに厳しい?!アカデミー賞受賞を逃したSF映画
        https://ciatr.jp/topics/19166
      2. 2 

        アメリカでは何故、緑が不吉であるかはわからなかった……
        ヨーロッパにおいて、緑が深い森林の色であり、キリスト教前あるいは異教(自然崇拝)の色として徹底的に排除されたことを一因とするものもあった。

        参考文献
        small letter* labo 【追記しました】緑で手紙を書くとNGな理由
        http://letterlife.blog137.fc2.com/blog-entry-292.html
        映画の中の色彩  《緑の衣装は何を意味するのか?》 | 美しい生き方は20年のパリ生活が教えてくれた!90Days パリジェンヌ流ライフスタイル革命!
        https://ameblo.jp/11commerce/entry-11496030869.html
        浜本 隆志、伊藤 誠宏 編著『色彩の魔力 文化史・美学・心理学的アプローチ』
        色彩の魔力
        21世紀研究会編『色彩の世界地図』
        色彩の世界地図 (文春新書)
      3. 3 朝日新聞デジタル:「犬・鳥・魚」講座その2 ヒロインは不吉だ - 小原篤のアニマゲ丼 - 映画・音楽・芸能
        http://www.asahi.com/showbiz/column/animagedon/TKY201201220106.html
      4. 4 Fish(魚)
        http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/fish.html
      5. 5 Egg(卵)
        http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/egg.html
      6. 6 

        双方を双方でいたわりながら行うものがMAKE LOVE。“スローセックス”という言葉で日本でも認知度が上がってきていると思う。

        スローセックス実践入門――真実の愛を育むために (講談社+α新書)

        上記本で男性優位で射精だけを目的にした“ジャンクセックス”なるものは、一番ダメなセックスだった。

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      神聖ローマ帝国皇帝 ルドルフ2世の驚異の世界展

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        神聖ローマ帝国皇帝 ルドルフ2世の驚異の世界展

        公式サイト:
        http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/18_rudolf/

        またも開催期間終了間際に行ったので、終わってしまった展覧会の備忘録……
        アルチンボルト展の補完も兼ねて行ってきた。

        今回の展覧会で学べたことは、奇想の画家・アルチンボルトの発想の源であるクンストカンマー(驚異の部屋。様々な珍品を集めた博物陳列室。ヴンダーカンマー。ここでは展覧会に倣い、引用以外クンストカンマーに統一。)、その片鱗とルドルフ2世の人柄と、を垣間見た。

        当時最先端の知識であった占星術、錬金術への関心は、国策として学問を推奨した一環ではなく、ルドルフ2世の自己の欲求・自己実現のためという印象が、私には強かった。


        私はそれまで、マニエリスムの画家たちによる『オルフェウス』『ノアの方舟』を主題にした絵画を観た時、画面構成、深い森の描写と動物の種類の多さに圧倒されていた。
        アルチンボルト展を観てから、クンストカンマーや博物学的な視点から描かれた背景を知った上で鑑賞すると、1枚の絵画がひとつの動物園だったことが分かる。

        アルチンボルトの名画だけではない。
        絶滅前のドードー鳥の姿を描いたことで有名な鳥専門の画家・ルーラント・サーフェリー。ヤーコプ・フーフナーヘルの花蝶図を見ていると、後のバンクス花譜(※1)やキュー・ガーデンの植物誌『ボタニカル・マガジン』などの後のボタニカルアートに通じることがわかる。

        マニエリスムの画家たちの動植物への観察眼に、世界を理解しようとする情熱を感じた。

        ヨーリス・フーフナーヘル(※2) 《人生の短さの寓意(花と昆虫のいる二連画)》
        展覧会の宣伝を見て、私が一番見たかったもの。

        学術的な細密描写に加え、装飾性に優れた構図、寓意に満ちた――メメント・モリを強く意識させる――美しい絵だった。

        シンメトリックな美しさは、後のグロテスク様式(※3)の系譜だろうか?

        ヨーリス・フーフナーヘル《人生の短さの寓意(花と昆虫のいる二連画)》
        ヨーリス・フーフナーヘル《人生の短さの寓意(花と昆虫のいる二連画)》

        変態する蝶はそのまま変容の象徴で、魂、人の一生を暗示している。蝶が古代ギリシャ語で魂を示すことも含めていると思った。

        バルトロメウス・スプランガー《ヘラクレスとオムパレ》

        男性的原理の象徴のような、英雄ヘラクレスが女装することで有名なエピソードが主題(※4)。
        男女の役割を入れ替えた滑稽さよりも、両性具有的なもの、錬金術的な融合を暗示しているように、私には思えた。
        ヘラクレスとオムパレの顔は半面しか見えず、接吻あるいは融合しているような配置はからもそれが伺える。

        プラハ城に収蔵された彼ら(アルチンボルト、ルーラント・サーフェリー、ハンス・フォン・アーヘン、ヨーゼフ・ハインツ(父)、ヨリス・ホーフナーゲルと前述)の作品にはギリシア神話に題材を借りて男女の交歓を描く、エロティックな絵が数多く含まれていた。男と女という対照的存在の交わりは、当時、錬金術的な寓意をもっていた。錬金術とは、さまざまな素材を掛けあわせ、本来人工的には作りえないはずの金を精製しようというもの。その根底にある考えは、異質なもの同士を組み合わせて新たなものを作り出そうということだ多種多様なものを描き込んだ結果、最後に人の顔が出現するアルチンボルトの絵とも通じる。

        小宮正安『愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎』 2007年 p.113 カッコ内、亜綺羅追記。

        愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎 (集英社新書ヴィジュアル版)

        その融合がアルチンボルトのだまし絵を生むひとつの布石だった。

        ルドルフ2世の人物像について

        展覧会会場では、文芸に造詣が深い王として紹介されていたが、その略歴を見ると、あまり幸福な王とは思えなかった。

        暴君と言われた古代ローマ皇帝ネロ、狂王・ルードヴィッヒ2世の例に漏れず、政治的に無能とされる王は文化・芸術を愛好する傾向があるし……
        展覧会会場を廻っていていて、ルドルフもそうだったのだろうと考える。

        ルドルフ2世の人物像を知りたくて、会場を出たあと、簡単な書籍を斜め読みしてみたが……
        エピソードや人物像に、本もウェブもページを割いたものが皆無だった!(※5)

        いかにも無力な君主だった。失敗つづきで、ハンガリーやモラヴィアやオーストリアから愛想をつかされた。向こうみずな勅書を出して信教の自由を認めたために、宗教界に大混乱をきたした。軍にそむかれ、ドイツ軍がボヘミアの領界を侵しても見すごすしかなかった。あげくのはてはボヘミア王の王冠を弟のマティアスに奪われた。

        池内紀、南川三治郎『ハプスブルク物語』 1993年 p.43

        ハプスブルク物語 (とんぼの本)

        ルドルフ2世のクンストカンマーへの情熱は、現実逃避という解釈がされてる。
        今回の展覧会を観て私は、全てを放棄したのではなく、ルドルフ2世自身は良い王になりたかったのだと思う。(後の狂王程ではないという意味で)
        対立ではなく、ルドルフ2世が理解できる基準(占星術や錬金術)で分類された調和のとれた世界で。
        その理想がクンストカンマーだった、と。

        しかし、‘ルドルフ二世が夢見た、ヴンダーカンマーを通じての帝国再建は幻に終わった。政治の世界では、現実的な手腕が大手を振り始めていた。ルドルフ二世は奇人皇帝のレッテルを貼られ、失墜した(※6)’。

        ルドルフ2世の秩序ある混沌は、結局のところ現実世界には何の効力も無かった訳だ……

        私にクンストカンマーへの関心を高くさせたのは、昨年見た映画『エイリアン:コヴェナント』(以下、コヴェナント)に出てきた、ディヴィッドの研究室。
        クンストカンマーそのものだった。
        『コヴェナント』を観ていて、ディヴィッドのそれは、“エンジニア”の技術をを理解しようとする試みよりも、エイリアンという生命を生み出そうとする情熱よりも、「何か」を支配しようとする思いの方が強い印象を受けていた。
        アルチンボルト展でクンストカンマー(ヴンダーカンマー)を調べた時、私の中でそれが確信に変わった。

        そういえぱ、『エイリアン』シリーズにおける、デザインを手がけた、H・R・ギーガー氏。
        晩年の彼を捉えたドキュメンタリー映画『DARK STAR /H・R・ギーガーの世界』(以下、ギーガーの世界)で映し出されるギーガーの家は、自身の作品と本などが積み上がっていた。『ギーガーの世界』に出てきた精神科医は、戦争経験者の収集癖の強さを指摘していた。(※7)
        中世の貴族の流行もさることながら、ルドルフ2世にトラウマがあったのではないだろうか?

        物を溜め込む習性――現代では一般市民が「片づけられない」“汚部屋”に悩んでいる傾向が強そうだ。

        わたなべぽん『やめてみた。 本当に必要なものが見えてくる暮らし方・考え方』など片付け本で指摘されるように、物への蒐集・執着はコンプレックスを補うための武装であり、結果、部屋が物で溢れかえる。

        やめてみた。 本当に必要なものが見えてくる暮らし方・考え方

        蒐集品が増えすぎてしまった結果、従来のように一つの空間ではヴンダーカンマーをまかないきれなくなったという事情もある。蒐集品の中にはプラハ城に運び込まれたのはよいが、結局荷解きされぬまま倉庫に眠ってしまったものも多数存在した。

        前述『愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎』 p.115

        ルドルフ2世は皇帝だからか、経済力も居住空間も申し分ない広さがあったため、生活に支障をきたすような汚部屋にはならなかったようだけど……

        そのコレクションも、ルドルフ2世の失脚と共に首都がウィーンに戻されたり、各国の侵略の戦利品として持ち出され、散り散りになった。
        ルドルフ2世の驚異の部屋はもうない。
        その片鱗が、今は私たちの目と想像力を楽しませてくれる。

        1. 1 Bunkamura25周年記念 キャプテン・クック探検航海と『バンクス花譜集』展 | Bunkamura
          http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/14_banks/index.html ( 2018/3/24 確認 )
        2. 2 Joris Hoefnagel
          https://artsandculture.google.com/entity/m050c85 ( 2018/3/24 確認 )
        3. 3 グロテスク(Wikipedia / 日本語)
          https://ja.wikipedia.org/wiki/グロテスク ( 2018/3/24 確認 )
        4. 4 

          同主題を扱った絵画は多々ある。

          《ヘラクレスとオンファレ》 | ルーヴル美術館 | パリ
          https://www.louvre.fr/jp/oeuvre-notices/《ヘラクレスとオンファレ》 ( 2018/3/24 確認 )

          作品詳細 | 東京富士美術館 > ヘラクレスとオンファレ
          http://www.fujibi.or.jp/our-collection/profile-of-works.html?work_id=485 ( 2018/3/24 確認 )

        5. 5 ルドルフ2世 (神聖ローマ皇帝)(Wikipedia / 日本語)
          https://ja.wikipedia.org/wiki/ルドルフ2世_(神聖ローマ皇帝) ( 2018/3/24 確認 )
        6. 6 前述『愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎』 p.126
        7. 7 

          映画の字幕では特に明言はされていなかったが、おそらく溜め込み障害(Hoarding Disorder)を指しているのかもしれない。

          強迫的ホーディング(Wikipedia / 日本語)
          https://ja.wikipedia.org/wiki/強迫的ホーディング ( 2018/3/24 確認 )

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        映画『キングスマン』シリーズ感想

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          公開当時、この映画に関心を持っていなかった。トンデモ武器やジョークさに時代遅れな印象を持っていたためだ。
          丁度、映画『007』シリーズ50周年企画作が公開され、洗練されリアリティを追求したものに重きを置いている方が斬新だった。

          今年のお正月映画として続編の公開もあり、『KINGSMAN THE SEACLET SERVICE』を観たところ……衝撃的な作品だった!!
          これがきっかけとなって、劇場に足を運んだ次第。

          ……前作程の大きな衝撃は無かったけれど、新旧ガラハッドの連係プレイに隙は無かった。

          !以下、ネタバレあり!

          KINGSMAN THE SEACLET SERVICE ――階級社会への皮肉

          公式サイト
          http://kingsman-movie.jp/

          良い意味で、『007』のハイテクとユーモア、『オースティン・パワーズ』のポップな色味を取り入れている映画。コテコテのイングランド・カルチャーだった。

          諸々、わざとらしく“イギリスらしさ”を象徴するなものが現れてくる。
          『007』でも”イギリスらしさ”を表現していた。それは場所などで表現され暗示的・象徴的なものだったが、『キングスマン』はもっと生活に密接なカルチャー寄りだ。

          諜報部員の基地となる場所が仕立て屋。ギネス(…はアイルランドだけど)にスコッチ(…はスコットランドだけど)、紳士の嗜みとしてのスーツに葉巻(最近は禁煙キャンペーンと規制もあって、喫煙シーンは少なかった)など。
          キングスマンのメンバーのコードネームは言わ ずもがな『アーサー王の死』などに代表される、円卓の騎士達に由来する。 でも文学的な示唆、物語を踏まえた暗示を持たせている訳ではなかった。

          格差社会

          イギリスが階級社会であることは有名な話。今もそれは変わらない。
          それが物語の真相の一端を担っている。

          「世界がちっとも良くならないのは、人類が多すぎるためだ」

          投資家・ヴァレンタインの世界を良くしたいという思いはなかなか上手くいかない。
          投資をしてもそれは即効性のあるものではないし、必ず何かの弊害――多くの人間の利害に纏わる駆け引き等―ーによって頓挫するのだろう。
          ヴァレンタインは失意と怒りからか、発想が選民思想となり、彼が線引きした世界に対して役に立たず数が多い低所得者層を大量虐殺することを目論む。

          ヴァレンタインの考えとは別に、富裕層は特権への執着と保身から賛同し、別の場所で低所得者層は置かれた境遇は搾取されたためと、互いの不満を相手に向けている。
          双方ともに特定の相手に直接ぶつけるものではなく、抽象的で匿名な存在としての富裕層、低所得者層に対してだが。

          片田舎の教会で低所得者層を煽る神父(牧師?)と熱気を帯びた人々の姿に、前回のアメリカ大統領選、トランプ氏の選挙活動の光景を見てしまうのは私だけだろうか?

          Manners maketh man

          Manners maketh man.(※1)

          良い言葉だと思った。この言葉は富裕層と低所得者層双方に向けられている。
          前述の階級社会に囚われ互いに非難し排他的になる人々に対を成すような、紳士の哲学。
          生まれ、家柄の問題ではなく、教養や礼節を身に着けることが人間(紳士)であると。

          低所得者層の人間はヴァレンタインの陰謀で礼節を失い攻撃的になり殺し合いをはじめてしまうが、主人公の一人・エグジーの機転から(偶発的に)鼻持ちならない金持ちと特権階級にしがみつく人々の頭が爆発する……!
          イギリスを代表する作曲家・エルガー(※2)の『威風堂々』に合わせて 展開されるこの痛快なシーンだけで、全てが吹き飛ばされてしまった……

          KINGSMAN THE GOLDEN CHERCLE ――麻薬問題をどう扱いたかったのか?

          公式サイト:
          http://www.foxmovies-jp.com/kingsman/

          前作に比べて、大きな衝撃は受けなかった……
          それにツッコミ所が多い。色々なフラグ回収――細かい設定の一貫性に乏しかったため。

          コテコテのアメリカンポップ&ウェスタン・カルチャーだったが、散漫な感じだった。
          アメリカの、時代も背景もバラバラな文化のパーツをつまみ食いしているようで洗練さが足りず、イギリスとタメを張れない。
          諜報部員とそれらカルチャーが結びつかないためだろう。

          さらに「弱者(低所得者層)を切り捨てる強者(富裕層)」という前作からの設定を踏襲しようとして、失敗した気がする。

          • イギリスを代表する文学の名前からとるキングスマンの諜報部員に対して、酒の名前という単純さが安っぽい。
          • キ ャラクターの扱いが雑である。紅一点ランスロットやハル・ベリーがもっと活躍して欲しかった…!
          • ゴールデン・サークルという言葉にゴールド・ラッシュへの暗示かと思ったが、24金の入墨の意匠に意味的重みは無かった……

          依存症問題

          用意周到なヴァレンタインの計画内容と比べ、今回の悪役・ポピーの動機は非常にお粗末だった。
          それは違法麻薬を合法化することで、億万長者としての名声を手に入れたいとするもの。

          「酒類は合法なのに、何故、麻薬は違法なのか?」

          そこから麻薬問題が提起されるが、それに対する明確な回答が用意されていない。
          社会に蔓延する問題をクローズアップしているけれど、問題点や改善するための試みであれ、煮詰められていなかった。

          せいぜいがウイスキーで財を成し諜報部の資金源としたステイツマンとの対立構造を暗示させるに留まっているように、私には感じられた。
          なぜなら麻薬の問題とは依存症問題でもあるため。
          依存症――特にアルコールに関する――問題はアメリカでは身近な、映画業界でも馴染みのある問題だった(※3)はず。にもかかわらず、アルコール依存症ついては全く言及されていなかった。

          麻薬に毒物を仕込み、それを摂取した世界中の人々の命を人質として米国大統領に条件をのむよう要求するポピー。
          しかし大統領は麻薬常習者と違法組織を一掃する好機と捉える。

          麻薬カルテルのキャラクターや常習者(薬物依存症患者)がアンダーグラウンドな存在に限られているため、余計に大統領秘書官の進言が結びつかない。(結局、領秘書官が使用した薬物も、理由はどうあれ違法なものだった。)
          医療用麻薬などの正規ルートに入り込んでいる描写が無ければ、非道さや危機感が募らないように私は感じた。(厳重に管理されているそれらに、ポピーの怪しい麻薬が入りこむような描写は無かった訳だが。)

          ちなみに薬物であれ酒であれ、依存症は明確な治療法が未だ確立されていない。それに一言で“依存症”といっても、そのタイプは様々でアプローチの仕方が異なる模様。
          デイミアン・トンプソン『依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実』では依存症を環境要因――4つの「入手しやすさ」(物理的、心理的、経済的、社会的)――から指摘していた。薬物も酒も。だが、麻薬には種類によって断ちやすいものと異常な執着をもたらすものがあり、一概には言えないという。(※4)

          『ゴールデン・サークル』ではワクチンが配布され「もう麻薬はしない!」と大団円で終わるが、依存症そのものの解決には至っていない……


          前述した階級社会に関連して、コモンクラス(一般市民)とハイソサイエティ(上流社会)では、実はテーブルマナーも異なるらしい。(※5)そのため、テーブルマナーで身分や教養が計られてしまうとか。
          回想で表現されていた、先代ガラハッド・ハリーのテーブルマナー講座。ナイフの持ち方を指南しているやりとりが前作の雰囲気を想起させて微笑ましい。
          前作の“Manner maketh man”を一貫して欲しかった。
          今回は“なんちゃってマナー”に留まっていることが残念。グラスをキンキン鳴らさないで。耳障りだから。

          1. 1 ひさしぶりに映画。「キングスマン」がおもしろかった! : Keri先生のシネマ英語塾
            http://blog.excite.co.jp/kerigarbo/24705991/ (2018/2/11確認)
          2. 2 エドワード・エルガー(Wikipedia / 日本語)
            https://ja.wikipedia.org/wiki/エドワード・エルガー (2018/2/11確認)
          3. 3 高橋祥友『「死にたい」気持ちをほぐしてくれるシネマセラピー上映中―精神科医がおススメ 自殺予防のための10本の映画』
            「死にたい」気持ちをほぐしてくれるシネマセラピー上映中―精神科医がおススメ 自殺予防のための10本の映画
          4. 4 

            依存症を環境要因と解釈している『依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実』で挙げられた麻薬はヘロイン。ベトナム戦争時のアメリカ兵が現地でヘロイン中毒になるが、帰国後(ヘロインが入手できない環境になって)それを克服していることを紹介。
            依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実

            『ナショナル ジオグラフィック日本版 2017年9月号 【特集】脳科学で克服する依存症』では、コカインによる脳の報酬系( https://ja.wikipedia.org/wiki/報酬系 (Wikipedia / 日本語) 2018/2/11確認 )と呼ばれる機能に作用してしまう点と高い依存性に言及。依存症患者はコカインを摂取しない環境にいても忘れられず、再び手をだしてしまう傾向があることを紹介。
            ナショナル ジオグラフィック日本版 2017年9月号 [雑誌]

            上記から、私は薬物依存症は環境要因だけではないと解釈している。

          5. 5 藤枝理子『もしも、エリザベス女王のお茶会に招かれたら?-英国流アフタヌーンティーを楽しむ エレガントなマナーとおもてなし40のルール-』
            もしも、エリザベス女王のお茶会に招かれたら?-英国流アフタヌーンティーを楽しむ エレガントなマナーとおもてなし40のルール-
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          映画『スター・ウォーズ / 最後のジェダイ』感想

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            JUGEMテーマ:SF映画 一般

            映画『スター・ウォーズ / 最後のジェダイ』チラシ2

            公式サイト:
            http://starwars.disney.co.jp/movie/lastjedi.html

            赤いタイトルデザインから、フォースの暗黒面のニュアンスが色濃くなるのかと思っていた。だが違った。
            それは旧三部作の二作目『エピソード5 / 帝国の逆襲』(以下、『エピソード5』)が帝国の勝利とジェダイの試練であったイメージを起因とするものだ。
            実際、今回の『エピソード8 / 最後のジェダイ』(以下、『エピソード8』)は『エピソード5』を彷彿させる場面がある。
            しかし焼直しではなくリスペクトしている気がした。新しい方向に向かうために……

            ジェダイマスター

            前作『エピソード7 / フォースの覚醒』(以下、『エピソード7』)クライマックスの目玉か、ルーク再登場。
            彼は偏屈なじーさんになっていた!
            『エピソード6 / ジェダイの帰還(復讐)』にて、落ち着き?のある青年、「ジェダイ・マスター」となっていたようだが……?

            だがこれは、賢者(マスター)――静かな威厳を持ち合わせる男性像――のイメージから逸脱しているというわけではない。
            厳格さや真面目さだけでは、真の賢者ではないのだ。
            真の賢者はユーモアを持ち合わせている。
            『エピソード4 / 新たなる希望』でルークが出会うオビ・ワンは周囲の人間から「変わり者」と呼ばれ、『エピソード5』で教えを乞うたヨーダは出会った当初“子供っぽいじーさん”として出てくる。
            ルークもレイをおちょくるくらいのユーモアを身につけた模様。
            そしてカイロ・レンのこともあって、偏屈になったようだ。

            東洋の思想――ヨーガ

            フォースの考え方はユングの心理学から間接的に東洋思想を基にしていることは、度々指摘されている。禅やそのルーツのひとつであるヨーガの思想も汲んでいるのだろう。
            今回の『エピソード8』ではヨーガの思想とイメージを濃厚にしている。
            ハリウッドの間でもヨーガが定着した今、それをおざなりにはしないだろう。

            ジェダイの知識をしたためてあると思われる本はルークと、結果的にはヨーダの手によって焼きはらわれる。
            「多少知識はつくがの」とヨーダが言うように、実践に勝るものは無い。それはヨーガの考えの中にもある。(※1)

            ただ、映画終盤で宙に浮くのは……どうなのだろう……(笑)?
            100年くらい前のステレオタイプなイメージ(※2)をあえて取り入れるあたり、ジョークなのだろうか?
            私はインチキ臭い印象を受けてしまった。

            暗黒面と胎内回帰

            ユングの心理学における“影(シャドウ)”がすなわち“フォースの暗黒面”と呼ばれるものであろう。
            ユング心理学が言う“影”とは「自分が認めたくない自分」であり、それが“劣等コンプレックス”を引き起こす。

            『エピソード5』で、ルークは洞窟の中でダース・ベーダーの幻影と対峙して斃すも、切り落とした首(ヴェイダー)それが自分自身であるように、レイもまた暗い穴の先で自身の“負の面”――暗黒面と呼ばれるそれは、自身の中にあるコンプレックス――と向き合う。

            以前の感想でも思ったが、この物語は抑圧された子供たちの葛藤(試練と克服)が描かれるのだろうか?
            そのエピソードは、次作で完結するのか?

            家族への想いが諦めきれないレイは“孤独”に遭遇する。だがそれは、彼女自身分かっていながら心の奥底に閉じ込めたものだった。

            フィンは置かれた境遇、本人の気質もあると思うが、“クズ”という劣等感を持っている。
            でもキャプテン・ファズマとの戦闘ではその“クズ”さを受け入れながら、レジスタンスに貢献しようとする。

            癇癪持ちのカイロ・レンのコンプレックスは明確ではない。ただ、私は物語を観ていると、ジェダイを目指していたがルークにライトセイバーを向けられ、「暗黒面に堕ちた」と思い込んでしまったのではなかろうか……?
            祖父であるダース・ヴェイダーに憧れるも、本質的には違うので、ダース・ヴェイダーにもそれを越えることもできない。

            英雄の否定

            古典的英雄譚である『スター・ウォーズ』が、英雄的行為を否定する――かなり踏み込んだストーリーだと思った。
            『エピソード5』にあった英雄の“敗北という試練”ではない。

            少数の腕の立つ人間が命の危険を伴う――場合によっては命と引き換えになる――行為そのものを否定する。

            逃走するレジスタンスから追っ手を巻くため、レジスタンスの戦艦に照射しているマーカーを外すためにファーストオーダーの戦艦に乗り込むも、拘束され同伴したハッカーがレジスタンスの作戦内容を漏洩してしまう。
            彼らの英雄的行為は完遂されず、それによって窮地に追い込まれ、称賛されるものではなくなる。

            別の話と繋がるが、戦艦を囮に貨物船で脱出という作戦に『銀河英雄伝説』を思い出してしまった……
            『銀河英雄伝説』では、その作戦が功を奏し、民間人を救う英雄的行為となったのだが……

            権力組織の終焉

            ジェダイもシスも、その形を変えようとしている――変えざるをえないだろう。
            それを時代の流れ、と言い表せるのかも知れない。

            シス――帝国は皇帝パルパティーン(ダース・シディアス)を失った後、どの様な経緯を辿ったか私は把握していないが、後進組織のファーストオーダーも最高指導者・スノークを失う。
            皇帝パルパティーンはその不気味さや狡猾さで、ダース・ヴェイダーはその存在感――威圧感で充分、他者を屈服させることができたが、私にはスノークはカリスマを“演じて”カリスマになれなかったタイプに見える。
            『エピソード7』を観ていて、スノークが巨大な立体映像を用いて――矮小な自身を大きく見せることで――カリスマ化を図っている様にしか見えなかった。 既にファーストオーダーも、“オワコン”化していたのではないだろうか?
            カリスマを失った巨大組織を、カイロ・レンが率いてゆけるようにはとても思えない……

            カリスマ不在は組織の、その権力の終焉を意味する。

            私は度々、(特定の個人などに集中し、ヒエラルキー化する)権力の終焉と女性的性質と目される原理が関わりを持っていると考えている。(※3)

            映画『スター・ウォーズ / 最後のジェダイ』チラシ1

            女性の力の必要性

            今回の映画から鑑みるに、凄く重要なキャラクターとしてシナリオが用意されていたことが伺える、レイア(将軍もとい姫)。

            ジェダイではない、ジェダイの修行をした訳ではないレイア姫が、フォースの力を用いて生還するのは、ルークが「ジェダイの終わり」を悟っているのと関係があるのだろう。

            フォースを使うことに長けた者たちの中で――主に男性たちが――師と弟子という形から、組織だったヒエラルキーのあるものをつくり出した。
            それはライトサイド(ジェダイ)、ダークサイド(シス)双方ともに。(ただし、ダークサイド側は師弟関係が複数になると仲間内で殺し合いになるため、常に一組の師と弟子しかいないという。)
            私は、それらヒエラルキーに属さない女性がフォースを使うことで、固定化したヒエラルキーを解消させる――“自由”を望む――そんなシナリオを想像していた。

            それにしても、レイア姫もといキャリー・フィッシャー女史が亡くなられたのが残念な話で……
            レイア姫は映画『ローグ・ワン』のピーター・カッシングのようなフルCGでの再現や、カットシーンからの流用などはしないとの事(※4)。
            脚本を変えるのか、『ハリー・ポッター』シリーズのダンブルドア先生や『マトリックス』シリーズのオラクルのように、他の女優さんに代わるのだろうか?

            1. 1 『スターウォーズ』のヨガ的名言集5選|〜マスター・ヨーダ編〜 | yoga generation [ヨガジェネレーション]
              https://www.yoga-gene.com/philosophy/211858.html (2018/1/24 確認)
            2. 2 空中浮揚 > 3 神秘主義・オカルト > 3.1 ヨギと空中浮揚 (Wikipedia)
              https://ja.wikipedia.org/wiki/空中浮揚#ヨギと空中浮揚 (2018/1/24 確認)
            3. 3 

              私は前提として、「権力」というものが“男性的原理”と目されるもの(所有原理、支配欲)であり、それに対を成すように”女性的原理”(関係原理、それは平等、寛容、博愛)が存在すると考えている。これは性別に縛られるものではないが、男は“男性的原理”を、女は“女性的原理”を自然に扱えるのは事実である。

              現代は様々な要因から、権力というヒエラルキーが終焉を迎えている(流動しやすくなっている)という。それは、現代が“女性的原理”を希求して止まない、そんな時代に突入したからではないだろうか?

              参考文献
              関係する女 所有する男 (講談社現代新書)
              権力の終焉
              女神的リーダーシップ   世界を変えるのは、女性と「女性のように考える」男性である
            4. 4 遺族発言から一転…『スター・ウォーズ』エピソード9にレイア姫の登場ナシ - シネマトゥデイ
              https://www.cinematoday.jp/news/N0091031 (2018/1/24 確認)
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            映画『GODZILLA 怪獣惑星』感想

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              JUGEMテーマ:映画

              映画『GODZILLA 怪獣惑星』チラシ2

              公式サイト:
              http://godzilla-anime.com/

              !ネタバレあり!

              冒頭から人間の汚さ、弱さが描き出される。
              口減らしのために、過酷な環境の惑星へ移住する人々――志願した人々だと言うが、その殆どが高齢者――を乗せた移民挺は、降下中に爆破する。

              そこから回想に転じても、怪獣に対処できない人類、惑星外への移民船搭乗中にゴジラの襲撃を受け、大勢の人間が死んでゆく描写が続く……
              蹂躙され、一瞬で死んでゆく(直接死の描写は無いが)人間たちの中に、主人公・ハルオの両親もいた。

              移民船の中では、食糧の不足、新天地を見つけられないこと、飢えと寒さ、人工の狭い空間に長くいることで精神に異常をきたし自殺する人……
              船内の行き詰まった感、閉塞感は死に至る病――絶望そのものだった。

              それらの打開のため、主人公・ハルオの「ゴジラを斃せる」という提言を受けて、人類は地球へと帰還する。
              宇宙船内の時間軸では20年。
              地球ではウラシマ効果(※1)も相俟って、2万年の時間が経過していた――

              着陸したのは日本のの丹沢付近と思われるが、植生が変化し密林になっていた。
              一番感動したのは、“化石化したビル群”
              無人になった建築物に苔が生え次第に体積したものが化石化した模様。建築物そのものは朽ちて無くなっても、自然は人間がいたことを忘れていなかった……感慨深い描写だった。

              そしてゴジラとの遭遇。

              “アニメだからこそ”できるシーンの数々。
              小回りの利くバイク?でゴジラの周りを360°廻ったり、機体が大きいため的にされやすい飛行挺描写など。
              今までのゴジラシリーズの大半が、メカゴジラに代表される巨大兵器に(ゴジラと)ほぼ同サイズの別怪獣だったのに対し、“人間”がゴジラに立ち向かっている描写は、特撮では表現できない、アニメの利点だと思った。
              これはハリウッド版でさえ、表現していないものだと思う。(ちなみにゴジラは人間を食べないからね!)

              ゴジラの生態調査はゴジラ討伐に繋がる。
              人類の悲願を達成したかに思えたが、“ドォン”という重い音ともに、2万年の時を経た怪獣王――『ゴジラ』シリーズ史上最大の大きさ――が身を起こす。
              映画館での音響の効果もあって、“ドォン”という音に驚いた……同時に、それは震災の時の振動や、もしかしたら戦時中を生きた人々には死に直結する爆撃音のイメージに近かったのだと思い至る。

              ゴジラが一歩前に踏み出し、尾を回しただけで、調査隊が壊滅する……

              映画『GODZILLA 怪獣惑星』チラシ1

              1作完結かと思ったら、何と三部作……!
              しかも、次作ではメカゴジラまで現れるという。

              2万年という月日は、類人猿から現代人が進化した時間に相当。
              つまり、生物が進化するのに充分な時間。
              調査隊とは別の人影が、作中とエンドロール後にちらりと現れる。
              彼女は生き残った人類の末裔だろうか?
              あらゆる人種の混血が進んだためか、肌は浅黒い。
              言語体系が変化している可能性がある……彼女とコミュニケーションできるのか?


              いくつか疑問も残る。
              宇宙航行をするうえで、閉鎖的な環境になる以上、枯渇するのが目に見えている。
              植物工場(※2)やタンパク質確保のための昆虫食(※3)など、食糧の生産を促す施設の描写が特に無かった。

              ならば月軌道上に拠点を置き、怪獣の目を掻い潜りつつ物資調達をしながらゴジラをたおす機会を窺えば良かったのではないか?

              流浪の人型異星人・エクシフやビルザルドたちの目的が水と空気のある地球なら、人類は邪魔な先住民……人類が滅び、ゴジラを斃した後に移住しようとした、という穿った見方ができる。

              参考:
              INVESTIGATION REPORT|アニメーション映画『GODZILLA 怪獣惑星』OFFICIAL SITE > 映画前史
              http://godzilla-anime.com/investigation/

              否、彼らは宇宙の流浪の時間が長いから、彼ら基準で人間にもそれが可能だと思っただけなのかもしれない。
              しかしエクシフ達の“宇宙信仰”もビルザルド達の“科学技術”も、人間を真に救うものとはならなかった……
              それは現実世界の人間も同じか。

              ゴジラとパワードスーツの巨大立像

              初代『ゴジラ』は終戦後8年、戦争の傷痕を想起・追体験するもので、大人も対象にしたものだった。
              しかし高度経済成長期を経てその悲壮感も失せ、戦争を知らぬ世代が増え、次第に子供向けになってゆく……
              それをリセットし、原点回帰した『シン・ゴジラ』。
              東日本大震災から5年、冷静に受け止められるようになった時期に再び災害を想起させる。
              海から川を逆流してくる波、押し流される船や車、果ては家に、瓦礫に押しつぶされた人の姿など……震災以前は想像しえなかったもの、震災を経験したからこその映画表現だった。

              今回の『GODZILLA 怪獣惑星』(以下、“アニゴジ”)が再び子供向けへと転じてゆく布石とは思えない……ストーリー原案・脚本が『Fate/Zero』『魔法少女まどか☆マギカ』の虚淵玄だし。
              昭和から平成にかけて戦争の傷痕が薄れてゆく中、破壊神としてのゴジラは時代の風潮に合わせながら変質し、環境問題を絡めた自然の代弁者等を経て守護神のようになった。

              アニゴジは自然神寄りの存在だろうか?
              本作に登場するゴジラは、金属に極めて酷似した筋繊維の集積体で強い電磁気を発生させる特性を持つ体組織で、歴代最大となる膨大な質量を支えている。地球の生命淘汰(とうた)の果て、植物を起源に持つ超進化生命体として2万年の永き時を生きながらえた存在(※4) だという。
              植物……誰が私に行ったかは忘れたが、「地球の支配者は植物であり、人間の地球温暖化は植物が光合成に必要な二酸化炭素を生み出させるため」という趣旨の言葉。飛躍した話ではあるが。(因みに、私はこれを論拠に地球温暖化を肯定するものではない。)
              ただ、人間をはじめ地球上の動く生き物全て、何らかの形で植物の恩恵を賜っていると思うと、‘植物を起源に持つ超進化生命体’という設定に納得がいく。

              映画『アバター』では、惑星パンドラの植物は電気的な繋がりをもって動物やナヴィ族とも繋がりを持つことを視覚的に示していたが、私は“アニゴジ”のゴジラは同じ系譜のその別の形に思えた。

              ゴジラは人間に死をもたらし、それ故に己を憎む人間に斃される事さえも肯定するような、悟りきったような眼をしていた。あの眼にギャレス・エドワーズ監督の『GODZILLA』も思い出した。

              人間と目が合った時、ゴジラとは何か意思疎通ができたような……それは人間の欺瞞かも知れない。
              その目には、あるいは己の死さえ達観しているゴジラの内面が表現されているような気がした。

              1. 1 時間の遅れ (Wikipedia 日本語)
                https://ja.wikipedia.org/wiki/時間の遅れ
              2. 2 植物工場 (Wikipedia 日本語)
                https://ja.wikipedia.org/wiki/植物工場(2017/12/16 確認)
              3. 3 

                生態学的に見ると、昆虫が食べた植物のエネルギーを体質量(ボディマス)に変換する二次生産の効率は平均40%で、魚類の10%や恒温動物の1 - 3%に比べ非常に優れているため、昆虫類は生態学的および経済的に効率の良い動物性蛋白質の供給源となりうるため。

                新宇宙食シルクナゲットを食べてみる!- 宇宙実験室 JAXAクラブ
                http://www.jaxaclub.jp/space_lab/08/ (2017/12/16 確認)

              4. 4 アニメ・ゴジラの“顔”が明らかに 『GODZILLA怪獣惑星』予告編解禁 | ORICON NEWS
                https://www.oricon.co.jp/news/2095707/full/ (2017/12/16 確認)
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              映画『シンクロナイズドモンスター(原題"Colossal")』感想 ――アル中だめんずうぉ〜か〜禁酒物語

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                JUGEMテーマ:映画

                映画『シンクロナイズドモンスター』チラシ

                公式サイト:
                http://synchronized-monster.com/

                色々と馬鹿馬鹿しい設定ながらも、なんだか微笑ましくもある映画だった。

                ダメウーマン⇔怪獣のシンクロ率100%という、日本版のコピーは、明らかに一定層をターゲットにしているし……

                怪獣が街で暴れたり、スペクタル・バトルが描かれることはない!
                何と音声だけが流れて、観客に想像させるという、潔いというか、ある意味斬新な手法だった。
                それは映画を観に来る人達が、怪獣映画、日本で言えば戦隊モノをすでに観ているという前提を踏まえたものだった。
                ハリウッド映画でも『トランスフォーマー』『パシフィック・リム』『GODZILLA(ギャレス・エドワーズ版)』然りを既知としている。直近では『パワー・レンジャー』か?(私は観ていないけど)

                ソウルの街並みに見立てられた小さな公園で、早朝ふらついてるとか、男女が取っ組み合いをしているとか……
                ダメ大人のおかしな行動が、まさか日付変更線の向こう側で大災害をもたらしているという、シンプルだけど突飛な発想に驚かされる。
                発想の勝利による低予算怪獣映画(※)だった。

                同時に、色々な解釈ができると思う。

                怪獣が肥大化した自意識の象徴と見立てられるし、遠く離れた異国の地の惨事はアルコール依存症の人間が周りに迷惑をかけていることに自覚がないことへのメタファーになっていたり……

                依存症問題

                求職中のライターであるグロリアはアルコール依存症で、度重なる問題行動から彼氏・ティムにフラれ、同棲していた家を追い出される。
                仕事なし、家なしになった彼女は逃げるように田舎に帰り、幼なじみのオスカーと再会した。
                彼が経営しているバーに案内されたグロリアは、酒瓶に目が止まってしまうと周りの音が次第に遠くフェードアウトしてゆく。 アルコール依存症の心理状態だった。

                ハリウッド映画でも、アルコールや薬物など、依存症に焦点をあてたものは枚挙に暇がないだろう。
                『「死にたい」気持ちをほぐしてくれるシネマセラピー上映中』では、アルコール依存症がハリウッド映画界――俳優だけでなく製作関係者の中でも――身近な問題であることを指摘していた。

                「死にたい」気持ちをほぐしてくれるシネマセラピー上映中―精神科医がおススメ 自殺予防のための10本の映画

                グロリアがアルコール依存症になった原因はネット私刑にあった模様。
                彼女が書いた記事が(どうも何かのブラックジョークを織り込んだものだったらしい)炎上したため、クビを切られた。
                それは実際にあった炎上問題にもヒントを得ているようだった。
                『ルポ ネットリンチで人生を壊された人たち』に取り上げられていた――SNSで何気なくつぶやいたブラックジョークがきっかけで、社会的地位と職を失った――女性の話が出ている。

                ルポ ネットリンチで人生を壊された人たち (光文社新書)

                社会問題を瞬時に取り入れる点が映画らしいと思うし、映画も“メディア”に関わる分野である以上、ネット私刑(炎上)は現代の身近な問題なのかも知れない。

                自己肯定感が低い人達

                そんなグロリアの周りには、白馬の王子、騎士のように、助力をしてくれるスポンサーのような男性が現れる。
                だが、実際は違った。

                ティムはグロリアを「自分の助けがないと何もできないダメ女」と見下しており、それによって優越感を感じていた。
                そのため、自分がいないことで彼女か自活し、自立し始めたしだことに焦りを覚え始める。
                おそらく彼は対等な人間関係を築こうとしていなかった。

                オスカーはグロリアが気付き指摘するように、自己嫌悪の裏返しとして関わっている。懐柔、支配という形で。

                他にもオスカーの男友達がいるが、ガースは薬物・アルコール依存症のようだったし、好青年・ジョエルはオスカーに何も言えない男だった。

                そんなグロリアの交際関係に『だめんず・うぉ〜か〜』『母がしんどい』に出てくるダメ男と、それにひっかかってしまう女性(著者)の姿が被る。

                だめんず・うぉ~か~ (1) (SPA! comics)母がしんどい

                今年出版された『酔うと化け物になる父がつらい』でも、アルコール依存症の父を持ち、生きづらさを抱えた著者が、やはりだめんずに引っかかり、訣別する話だった。

                酔うと化け物になる父がつらい(書籍扱いコミックス)

                だめんずに引っかかる女性がアダルトチルドレン傾向があること――そもそもアダルトチルドレンとは、アルコール依存症の親の家庭で育った子供が“生きづらさ”すなわち低い自己肯定感を抱え、更には同じ轍や別の依存症、DVなどを起こしやすい家庭を作る傾向があること、幸福感のある家庭を築きにくいこと――を考え合わせると、辻褄が合うように思える。

                グロリアの家族関係の問題があるという描写は無い。
                だが、依存症など後天的精神疾患は、家族関係(本人の気質もあるが)の問題に起因することが、最近指摘されている。
                それに彼女は都会から故郷に逃げ帰ってくるが、温かく受け止めてくれる家族の姿は皆無だった。

                だめんずのオスカーも実は例外ではなく、物に溢れた汚部屋――これも劣等感の現れ――の中で、家族に関するコンプレックスがあることを垣間見せるものがあった。

                グロリアは彼女の分身である怪獣が大暴れした様をニュース映像を通して客観的に見たことで、自戒し、お酒を断つ。
                更には緯度の反対側にまで行って、だめんずとの訣別となる。
                が、その描写は雑ではないか?

                上記、関連しそうな内容のコミックエッセイとこの映画に足りないのは、それをどう克服してゆくかというカウンセリング面の描写だと思う。
                怪獣はフィクションなので何でもありといってしまえばそこまでだが、リアリティと絡めてここまで描いてくれたのだから、もう一押し欲しかった。
                厄介なことに、依存症を克服することは現実には困難を極める。

                何故なら、どこの国にも酒はある。
                『依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実』が指摘するように、依存症は前述の個人の精神的な問題にとどまらず「入手しやすさ」が一因になっているのも事実だろう。
                世界はアルコール依存症という怪獣を生み出しやすい構造社会と言える。

                依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実

                エンディングで「あちゃー」と顔をしかめるグロリア。彼女はアルコール依存症を克服することができるのか⁉

                それにしてもグロリアことアン・ハサウェイ。
                大きな瞳をくりくり動かして、 顔芸を披露していた。
                とても可愛い。


                この間は民放で『シン・ゴジラ』地上波初放送だったし、ゴジラシリーズ初のアニメ作品『GODZILLA 怪獣惑星』が公開された。
                昨年から引き続き、怪獣映画がアツい。

                ちょっとアニゴジ観てくる!

                映画『シンクロナイズドモンスター』前売り特典、チラシ、蒲田
                1. 『パシフィック・リム』製作費$190,000,000(https://ja.wikipedia.org/wiki/パシフィック・リム_(映画))
                  『シンクロナイズドモンスター』製作費$15,000,000(https://ja.wikipedia.org/wiki/シンクロナイズドモンスター)
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                映画『おクジラさま ふたつの正義の物語(A WHALE OF A TALE)』感想

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                  JUGEMテーマ:映画

                  映画『おクジラさま』チラシ

                  公式サイト:
                  http://okujirasama.com/

                  映画『ハーブ&ドロシー』『ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの』の佐々木監督の新たなドキュメンタリー。
                  映画公開後、「捕鯨問題を取り上げる」と、アートとかけ離れた内容なので驚いたが、「公平な視点をもって撮りたい」とおっしゃっていたので、楽しみだった。


                  映画の中で監督・佐々木氏の姿をほとんど見えない。
                  元IP通信社のジャーナリストが多く出てくるのだが、“主人公”のような立ち位置にはいない。
                  彼は“客観性”“中立”を具現化したような存在だった。

                  シー・シェパードの活動家、太地町の漁師たち、何故か仲裁に入ってきた怪しい右翼団体の男性……
                  登場する人物、誰もが主人公ではないが、誰もが主人公である映画だった。

                  結論ありきのドキュメンタリーではなく、観る人に多角的に考えさせるドキュメンタリーだった。
                  残念ながら人間というものは、自分の信じているもの以外受け付けないものだけど。(※1)

                  捕鯨、反捕鯨の主張共に、言い分には不完全なものがある。
                  人間は結局、物事をそのちっぽけな尺度でしか測ることができない。

                  正しいことなど、どちらにもなかった。
                  寧ろこの映画を観て、結論……模索しなければならない事は、捕鯨を肯定する人も否定する人も「折り合いをつけて共生する方法」あるいは「距離感」を見つけることだった。

                  このブログでは前提知識として、クジラ類ハクジラ亜目の成体の体長が約4m以下のものをイルカとし、イルカ・クジラ漁を特に明確な線引きをしない場合、総じて「捕鯨」として記載していく。

                  “アクション”、その先

                  映画『ザ・コーヴ』(以下、『ザ・コーヴ』)の公開以降、イルカ漁の町・太地に押し寄せてきた反捕鯨活動家たち。
                  彼らの「イルカを守れ」は、間違ったことは言っていない。
                  しかし映画を観ていると、実態に即していないことが分かってくる。

                  「イルカ(クジラ)は絶滅危惧種だから保護したい」のであれば、漁の対象になっているイルカは絶滅危惧種の種類では無い。

                  そしてシー・シェパードが現場で訴えることはパフォーマンスを超えることができない。

                  私が一番気になったのはその手法。

                  シー・シェパード側の活動家は、イルカ漁の動画を撮っている人はイルカに「レイプされている」という擬人化を用い、漁師には「殺人鬼」とするナレーションを入れている。
                  この手法――言葉という人間のコミュニケーションでダイレクトなもの――が、聴く人に人間同士の殺し合いのようなイメージを起こさせ、他の視点から見る“客観性”を排除する。
                  それはイルカを救う活動をしているというよりも、漁に携わる人間への個人攻撃――誹謗中傷に聞こえてしまう。

                  またシー・シェパード側が提案した別の方法にも疑問を覚える。
                  「捕獲したイルカを買い取る」というが、それは漁師に言うべき話ではない。
                  彼らには既にクライアントがおり、ビジネスである以上、それを覆せない。信頼に関わることなのだから。
                  もしそれをするなら、漁師だけでなくビジネス相手――クライアントとも交渉すべきではないか?
                  何より太地町のイルカ漁はスポーツハンティングとは違う。
                  漁師の漁業で、彼らの生活がかかっている。

                  グローバリズムと情報リテラシー

                  反グローバリズム傾向が強まる現在――ナショナリズムの台頭への懸念――が叫ばれるなか、排他的になること、中傷することではないだろう。
                  それは結局、人間のちっぽけな尺度に過ぎない。

                  何故、イルカ漁がダメなのか?
                  反捕鯨活動で取り上げられる様々な“論拠”――「知能が高い生き物だから食べちゃダメ」「水銀があるから食べちゃダメ」……

                  知性が高い生き物を食べてはならないという発想(※2)が欧米にある。
                  しかし、動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか?
                  人間は確かに動物の知性が分かる。しかし、未だに全ての動物の知性を科学という小さな尺度で測り切れていない。(※3)
                  まるで家畜にその知性が無いからと殺して良いともとれる価値観は人間の欺瞞に思える。
                  これは私の想像だが、動物には人間とは違う知性に基づいて判断で行動していること、人間とは違う造形であるがゆえにとれる手段が限られているだけ――それが人間よりも劣っているとは言えないだろう。家畜も然り。

                  その論拠の一つに、脳が人間に次ぐ大きさを持っているイルカは人間と同格と見なされる。
                  まるで選民思想――ひいては自身の優位性という傲慢を促し、他を差別するもの――の延長のようで、不快なのだ。

                  生き物を殺さないと私たちは食べれない。
                  日本の価値観では動物と人間が同等な“命のサイクル”の上にあると見なしている。命の価値は何一つとして特別なものはない。
                  汎神論的な命の繋がりを信じている私は、食物連鎖から逸脱した人間が優位であるという考え方は欺瞞に覚える。

                  「他のものを食べればいい」というが、太地は農作物を作るには不適切な地理だった。農地・牧草地にする土地が少ない。

                  また、クジラやイルカの体内の水銀保有から、水俣病と関連させて健康被害の可能性を論じられる傾向がある。
                  しかし太地町に住む人たちが水銀中毒で短命であるという話は聞かない。


                  映画を観る前に、この映画の書籍版を購入、読了。

                  おクジラさま ふたつの正義の物語

                  佐々木監督自身の視点・感想や、映画では描かれなかった諸々の経緯とデータが文章化されている。
                  その中でも、人間中心主義問題、水銀問題について、佐々木監督が取材や調べてわかったことを簡単に書いている。

                  歯クジラ類がメチル水銀(※4)の毒性を抑えるセレン(※5)を体内で準備し、結合させて無毒化する事故防衛力が備わっていたことを指摘していた。(※6)
                  『ザ・コーヴ』ではそのことが一切触れられていない模様。

                  映画『おクジラさま』書籍、パンフレット、プレス

                  日本の問題点

                  映画の中でも書籍でも語られているが、海外への情報発信の下手さを指摘している。
                  情報発信が少なすぎること、日本語サイトしか無いこと……
                  もっとも、イルカ漁に関わる人たちは漁師。情報発信の人手もなければ時間もない。

                  よく比較に出されるフェロー諸島(ノルウェー)の捕鯨の場合、自治政府が捕鯨の専門サイトを立ち上げたり(※7)、警察や海上保安庁だけでなく海軍出動も派遣され、シー・シェパードの動向を監視したとか。

                  日本も学ぶことが多いが、他にも問題がある。
                  フェロー諸島の捕鯨はノルウェー国内で完結しているが、国外(南極)へ行ってミンククジラを調査捕鯨するのは日本くらいだ。
                  調査捕鯨の目的、水産調査の結果は公開されていたが、PDFだった。(※8)凄く見づらい。
                  こういった情報をhtml形式にしてもっとアクセスしやすくしないと、世界に対して誤解を招いたままになってしまうのではないか?

                  調査がクジラである理由は、クジラが食物連鎖の頂点であるためらしいが、他の方法ではダメな理由が分からなかった。
                  調査によってクジラが種類によって食べる魚の種類が異なること、更に季節によって食べるものが変わるという。
                  日本食ブームで国家間の水産資源の争奪戦も懸念され、さらにクジラもライバル視しなければならないのか……(´・ω・`)
                  ではこのデータ、‘生態系アプローチから見る海洋生物資源の管理’とはどんなもので、何を世界に対して提言しているのか、明言されていなかった。


                  そもそも『ザ・コーヴ』は問題を混ぜこぜにしているのではなないか?
                  地産地消をしていた太地町のイルカ漁と、日本政府の調査捕鯨を。これは全く別物と考えるべきだろう。
                  太地町のイルカ漁の場合、日本の食卓を支えるものでは無く、地産地消として一定の地域の人々を支えているものであるというのが実態だった。

                  調査捕鯨のクジラの場合、「もったいない精神」から、その肉は一部クジラ肉は食肉として提供されていた。
                  それは絶滅危惧種ではないクジラで、捕獲量を厳しく管理して行われている。

                  太地町の今後について

                  野生のイルカを見ることができる観光施設としての入り江の活用を考えている模様。
                  産業が乏しい小さな町の、人口減少に伴う漁師の不足と町おこしからの選択肢のひとつだった。
                  それはシーシェパードのためでもなく、『ザ・コーヴ』で非難されたからでも無い。太地の人々が考えて導き出された結果だった。
                  因みに捕鯨を完全に止めるとは言っていない。
                  これが上手くいくことを切に願う。


                  正直、この映画を見終わった後しばらく ( はらわた ) が煮えくり返っていた。
                  それは『ザ・コーヴ』の2010年アカデミー賞受賞の時からあった蟠り……反論であれ分析であれ、それができない私自身の情報の少なさもあった。

                  世界を良くしたいと願って参加する活動は、寧ろ何の役にも立たないどころか”お門違いなお遊び”状態の“不都合な事実”。
                  本質を見誤る情報リテラシーの無さ、情報発信力の低さ。

                  自国の尺度を自国ではない国に持ち込み非難するだけの外国人。
                  理解されないと無視する、ある意味ムラ社会な日本人。(この問題を「文化の違い」という尺度で片付けている事は、情報発信の放棄ともとれる)

                  『おクジラさま』を拝見して、映画『ザ・コーヴ』のおかしなところを理解した。これで安心して『ザ・コーヴ』を観れる。
                  「イルカが可哀想」ではダメなのだ。それはただの感情論なのだから。つまり理性的……客観性も、公平さもない。


                  クジラの天ぷら

                  映画を観た後、イルカではなくミンククジラ(調査捕鯨のもの)に感謝を込めて「いただきます」
                  独特の野生動物の味がした。
                  それは家畜にはない深みのある味だった。
                  ジビエの肉に近い。
                  身が締まっていて、力強い。噛み応えがある。
                  凄く“私は命を頂き生かされている”ことを、より意識させられた。
                  私にはとても美味しかった。

                  1. 1 

                    我々の偏見(バイアス)は思った以上に強固。事実ですら完全に無視をする(フランス研究) : カラパイア / 2017年09月10日
                    http://karapaia.com/archives/52245557.html (2017/11/7確認)

                    Confirmation bias in human reinforcement learning: Evidence from counterfactual feedback processing / August 11, 2017
                    http://journals.plos.org/ploscompbiol/article?id=10.1371/journal.pcbi.1005684#sec010 (2017/11/7確認)

                  2. 2 人は動物をどのように観てきたか | 愛玩動物飼養管理士@試験対策ノート
                    http://pet-breeding-man.com/2014/11/article9-1/ (2017/11/7確認)
                  3. 3 

                    フランス・ドゥ・ヴァール『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』
                    動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか

                  4. 4 メチル水銀(Wikipedia / 日本語)
                    https://ja.wikipedia.org/wiki/メチル水銀 (2017/11/7確認)
                  5. 5 セレン(Wikipedia / 日本語)
                    https://ja.wikipedia.org/wiki/セレン (2017/11/7確認)
                  6. 6 

                    佐々木芽生『おクジラさま ふたつの正義の物語』 集英社 [第5章] p.185

                    坂本 峰至『メチル水銀毒性とセレン』第43回日本毒性学会学術年会 (公開日:2016/8/8)
                    http://doi.org/10.14869/toxpt.43.1.0_S8-1 (2017/11/7確認)

                  7. 7 

                    『シー・シェパードVSデンマーク 日本が学ぶべきフェロー諸島の対策』 WEDGE REPORT (公開日:2015/7/31)
                    http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5223 (2017/11/7確認)

                    WHALES AND WHALING IN THE FAROE ISLANDS(フェロー諸島自治政府の捕鯨専門サイト / English)
                    http://www.whaling.fo/ (2017/11/7確認)

                  8. 8 

                    『捕鯨問題の真実』(pdf)
                    http://www.icrwhale.org/pdf/04-B-k.pdf (2017/11/7確認)

                    (一財)日本鯨類研究所 : パンフレット( http://www.icrwhale.org/04-B-l.html ) > 捕鯨問題の真実 English, Français, Español (2017/11/7確認)

                    この情報、捕鯨反対派も肯定派も気になる日本側の主張、内容が良くまとまっているはずなのに、たどり着くまでに時間がかかった……
                    まず、Google検索では出てこなかったし、pdf形式だからwebブラウザからではとても見づらい。
                    おまけにpdfのタイトル名がどの言語ヴァージョンでもついてなく、あっても「スライド1」となっていた。(要するにパワーポイント使って作ったことが一目でわかる、編集してない。さらに現在、Google検索エンジンは、タイトルと本文が一致していないものを省く傾向がある。)
                    つまり、一般の人に周知させる気、全くないという印象がある。
                    これだから諸外国の何も知らない人にネタとして叩かれたりするんだよ……

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                  映画『エイリアン:コヴェナント』感想

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                    JUGEMテーマ:映画

                    映画『エイリアン:コヴェナント』チラシ2

                    公式サイト:
                    http://www.foxmovies-jp.com/alien/

                    !問答無用でネタバレあり!
                    ……というより、映画を観ていないと、ここに書いてあることが伝わりにくいかも汗


                    第1作目『エイリアン』の原点に立ち返るようなパニックアクションだった。

                    今回の登場人物たちはフェイスハガーやその原因を客観的に目撃した人間がいないので、突然体調を崩した人間の体内から、凶暴なものが現れる。
                    何処に潜んでいるのかわからない、何故襲われるかもわからない。

                    最善は、それに遭遇したらにげること――
                    エイリアンが何物かよく知らないで下手に武器を手にして対抗すると、余計に自身に危害が及ぶ。

                    勿論、全てが『エイリアン』の焼き直しではく、新しいデザインの外郭に覆われていない白く生々しいネオモーフに、黒いいつもデザイン(ゼノモーフ?)のエイリアンまで。
                    エイリアンが知性のある生き物であることは分かっていたが、今回は頭を使うようになって、頭突きで強化ガラスを割ろうとしていた。

                    前作『プロメテウス』以上に後味の悪いエンディング――前作からのアンドロイド・デヴィッドの罠にかかってしまった事――は、エイリアンが誕生する絶望よりもはるかに絶望的な臭いがする。

                    死の芸術

                    この映画で一番印象的だったのは、その芸術的な空間描写だった。

                    ギーガーのドキュメンタリー映画『DARK STAR』を観たので、ギーガーの死を意識させる作風が、『エイリアン』に相応しいことを理解する。ギーガーの急逝で、どうなるのかと思っていた。

                    今回は美術史におけるメメント・モリを強く意識させられた。

                    • ディヴィットがショウ博士を埋葬したという場所は、明らかにベックリン《死の島》(※1)。

                    • ディヴィットの研究施設はヴンダーカンマー(驚異の部屋)を彷彿させる。
                      この世界を丸ごと捉えようとしたルネサンス的な一切智、万能主義のあり方を示したこの部屋は、同時に世界の全てをその手中に収めんとする野心の現れでもあった。(※2)

                      愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎 (集英社新書ヴィジュアル版)
                    • 元の“エンジニア”の用途は不明だがディヴィットが描いた巻物が積まれた書庫は古代ギリシア、ローマの図書室だろう。
                      外の広場に転がる“エンジニア”の遺体の姿が、ポンペイの遺跡の石膏型を連想させて、そのイメージを強固にする。
                    • ショウ博士は“エンジニア”の惑星へ向かう途中のコールドスリープ中に実験体にされ、その遺体はムラージュ(※3)か剥製(死蝋化?)にされていた。
                      アナトミカル・ヴィーナス 解剖学の美しき人体模型
                    • ショウ博士の墓で供えられた花はまるで鬼灯のよう。花の形は子宮のようだが堕胎のイメージにも結び付くし、それは前作『プロメテウス』でのことも暗示させる。……彼女の遺体の細胞が後のエイリアンエッグの材料となったのなら、デヴィッドはそれも踏まえて居るのだろうか?

                    『エイリアン』はSFだが、ディティールは新しさよりも懐古趣味に満ちている。
                    それが過去の遺物として“死”を連想させるのかも知れない。

                    デヴィッドの名前の由来からも、聖書的な図像解釈は避けられない。
                    『コヴェナント』公開前の公式ツイッターには、聖書の暗号を込めた数字がツイートされていた(※4)ようだし……
                    映画全編を通して、そういうディティールに満ちている。

                    違約

                    映画タイトル「コヴェナント」の意味は“聖約”。
                    侵しがたいイメージに反して、映画の中では入れ子のように様々な“約束”が違える。
                    映画冒頭で、ダニエルズと船長の「湖畔に小屋を作る」ことが船長の死によって違えるのをはじめとし、人類移住計画のための惑星・オリガエ6への旅路は死の惑星への寄港により、クルーの殆どを失う。
                    前作からの延長として、ディヴィットはショウ博士の「エンジニアは何故人類を滅ぼそうとしたのか?」の解答を得させず、ショウ博士の遺骸は墓にも納められず、実験体にしていた。

                    そして冒頭の「湖畔の小屋」のキーワードが、エピローグでアントロイドがウォルターではなくディヴィットであることを確定させ、“違約”の不吉さを決定的にする。
                    コヴェナント号は植民計画を遂行できず、ウォルターの研究・実験場と化し、コールドスリープ中の男女約2000人と人間の胚がエイリアンの宿主となるのだろう(クィーン・エイリアン誕生の布石か?)。

                    人間そしてアンドロイドの誤解、勝手な解釈によって、“聖約”はどんどんかけ離れたものとなった。
                    それはまるで、聖書に書かれた神との契約が人間の勝手な解釈で本来の意味を見失われ、失われていく過程に即しているように思えた。

                    デヴィット / ウォルター

                    前作からのアンドロイド・デヴィッドとその後継機であるウォルター、同じ顔(デザイン)で兄弟のような2体は、やはり意図的に関係があったのではないだろうか?
                    デヴィッドとウォルターが繋がっていた、という意味ではない。

                    ウォルターという名前は古語ゲルマン語の“支配”に由来し(※5)、デヴィッドはダビデ像――神の寵を賜り、羊飼いから身を起こした古代イスラエルの王――に由来する。

                    古代イスラエルの初代王・サウルが神の寵を失いダビデが王になるように、ウォルターに替わってデヴィッドがコヴェナント号を支配できるのは、初めから仕組まれていたのではないかと……

                    "My name is Ozymandias, King of Kings;
                    Look on my Works, ye Mighty, and despair!"
                    Nothing beside remains. Round the decay
                    Of that colossal Wreck, boundless and bare
                    The lone and level sands stretch far away.

                    「我が名はオジマンディアス 王の中の王
                    全能の神よ我が業をみよ そして絶望せよ」
                    ほかには何も残っていない
                    この巨大な遺跡のまわりには
                    果てしない砂漠が広がっているだけだ

                    オジマンディアス OZYMANDIAS :シェリー
                    http://poetry.hix05.com/Shelley/shelley02.ozymandias.html (2017/10/9 確認)

                    バイロンの詩と引用したデヴィッドに対し、その詩の作者がシェリーであることをウォルターが指摘する。
                    この時既にデヴィッドは思い込みによって解釈を誤っていることを、示唆しているのだろう。
                    絶対者として意のままに他を圧し、破壊と絶望を謳うようなニュアンスで詩を諳んじているが、意味は違うのかも知れない。

                    コヴェナント号を掌握したデヴィッドは、2000人の男女が眠るコールドスリープの部屋に、ワーグナーの曲〈ヴァルハラ入城〉を聞きながら入室する。
                    『ニーベルンゲンの指環』第1夜『ラインの黄金』の締め括りに流れるこの曲は、意気揚々と入城する神々の最後尾にローゲ(神々に破滅をもたらす北欧神話のロキ)が入る。そして本来あるべき黄金を奪われ涙する三人の泉の乙女の哀歌が重なっている。
                    そしてこの曲は第4夜『神々の黄昏』のヴァルハラ炎上を暗示させる。

                    即ち、破滅。

                    旧約聖書において、ダビデ王――デヴィッドの名前の由来、ダビデ像――は様々な改革を成すも、それが神の国だったバビロンをダビデ(人間)の国としてしまい、神の寵――自身の権威――を失う。それ故にバビロンは滅んだという解釈をする。

                    デヴィッドは数多くの“違約”をした。そのためデヴィッドにも破滅が訪れるのではないだろうか?


                    エイリアンの謎が深まってしまった……

                    コヴェナントのエンディングからリプリーの時間軸までは20年。もうワンクッションある模様。
                    一作目の巨人・エンジニアの遺骸はミイラ化していたように思える。ならば“エンジニア”の種族は何処かで健在なのだろうか?
                    あるいは……デヴィッドが行っている“創造”――エイリアンの創造――は、所詮“エンジニア”の二番煎じに過ぎないという象徴なのか?『プロメテウス』のエンディングもあるし……

                    コールドスリープの部屋の扉を閉めるときデヴィットのコードが有効で、コヴェナント号の一連の事件はウェイランド社によって仕組まれたものではないかと邪推してしまう。
                    ウェイランド社とエイリアンの関係の謎は深まるばかり……

                    映画『エイリアン:コヴェナント』チラシ1

                    『プロメテウス』を観た後、私はショウ博士とデヴィッドが向かうところは“死後世界”だと考えていた。(※6)
                    ショウ博士たちがエンジニアの惑星にたどり着いても、既に全てが死に絶えているものと……
                    そしてその遺跡から人類を滅ぼそうとした理由(それが例えば『プロメテウス』冒頭で黒い水を煽った“エンジニア”が何かの罪人で、その贖罪のために人類は生まれた、とか※7)が分かってから、デヴィッドが暴走するとか、エイリアンの卵を発見してしまう……などと想像していた。

                    しかし”エンジニア”達の死はディヴィットによってもたらされてしまった……
                    『プロメテウス』の冒頭、ショウ博士が夢で“死後世界”について父と話していたことを回想していた。
                    『コヴェナント』で死の後にあった世界――それは現世の苦しみを癒す天国でも、行いについて裁かれる地獄でもなく、ただ暗い死だった。

                    “エンジニア”による人類創造の理由は失われ、エイリアンと人類の関係とは人間の被造物・アンドロイドの違約によって生まれたもの、ということが‘人類とエイリアンの関係’なのだろうか?

                    1. 1 【完全解説】アルノルト・ベックリン「死の島」 山田視覚芸術研究室[近現代美術の基礎知識]
                      https://www.ggccaatt.net/arnold-böcklin/ (2017/10/9 確認)
                    2. 2 丁度、アルチンボルド展を観た後だったので、このラボがヴンダーカンマーの様相をしている理由が、デヴィッドのの野心――生命創造の探求心にある、その世界を掌握したような、全能感――があることを見出す。
                    3. 3 

                      16世紀ルネッサンス時代のイタリアで作られた、解剖した遺体を型どりした蝋の模型。

                      ムラージュ(Wikipedia, 日本語)
                      https://ja.wikipedia.org/wiki/ムラージュ (2017/10/9 確認)

                    4. 4 徹底考察!『エイリアン: コヴェナント』解読記 ─ 謎の数字、聖書のストロングナンバーに置き換えると…? | THE RIVER
                      https://theriver.jp/alien-covenant-code/ (2017/10/9 確認)
                    5. 5 Walter/さらに怪しい人名辞典
                      http://www2u.biglobe.ne.jp/~simone/more/pan_nz/walter.htm (2017/10/9 確認)
                    6. 6 【過去日記】『映画『プロメテウス』考察――“信じる”という人間性』
                    7. 7 【過去日記】『映画『プロメテウス』考察――神話における巨人の人類創生と人間が失った神性』
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                    映画『DARK STAR / H・R・ギーガーの世界』感想

                    0

                      JUGEMテーマ:映画

                      映画『DARK STAR / H・R・ギーガーの世界』チラシ

                      公式サイト:
                      http://gigerdarkstar.com/

                      生前からもはや神だった、H・R・ギーガーに密着したドキュメンタリー。
                      映画『エイリアン: コヴェナント』を観る前に、敬意をこめて。

                      映画『エイリアン』関連のことに言及するのはわずかだったけど……
                      エイリアンの卵の割れ目が最初1本筋だったが、「ヴァギナみたい」という理由から、十字架を彷彿させる十文字にしたとか。
                      ホドロフスキーの『DUNE』に関してはかすりもしなかった。(仕方ない)


                      映し出されるのは、剪定されていない木々に覆われている家。
                      鬱蒼とした庭にはギーガーのオブジェ作品が木々に埋もれるように配されている。
                      扉が軋む音を立てて、暗い家の中――ギーガーの自宅――へ誘われる。

                      まるでホラー映画の冒頭のよう。

                      暗い彼の家は、彼の頭の中だった。

                      蒐集癖の賜物の汚部屋。究極の秩序ある?混沌。
                      彼自身の作品だけではく、地層のように山と積まれた本や書類?紙束。カラーボックスは重みに耐えかね歪んでいる。
                      本物の人間の頭蓋骨に剥製など“死そのもの”の物品が、陳列されているのか無造作に置かれているだけなのか、置ける場所に置いてある。

                      重苦しく、息ができない。(まるで私の実家のようだ)

                      彼女の元パートナーで助手の証言によると、ある日家を訪れたらひどい臭いが充満していたので原因を探し当てたところ、水を貼ったバスタブの中から山羊の頭(本物)が出てきたこともあるそうだ。あと、家のドアを作品に使うライオンの骨が邪魔して開けられなくなったこともあるとか……

                      「戦争経験者は収集癖が強い」と映画内でも精神科医が言っていた。
                      それは執着、混乱など……人間の影や闇という言葉で表す暗い面だ。
                      個人的にはただ「もったいない」という思いだけではなく、かつて手に入れられなかった本当に欲しかったものの“代用品”であるため、満足できないことも一因ではないかと思う事がある。それはもう二度と手に入らないもので……
                      その“もの”はもしかしたら物質的なものだけではないかも知れない。

                      物に囲まれ、遮光カーテンに覆われ、外の光の侵入を遮られた部屋は闇――悪ではない。人間の深部――の世界だった。

                      道徳や秩序によって抑圧、排斥された暗い面。
                      死を彷彿とさせると同時に、暗い画面に浮かび上がる赤子の顔の群に象徴されるような「胎内回帰」でもある。
                      精神科医のギーガーの分析は的を得ていると思う。ただ、ひとくくりに“悪”という言葉で表して良いかについては、私は難色を示す。
                      確かにサタニックなイメージもあるのだが、サタニック故に“悪”なのか?
                      《The Spell (呪い )》の両脇にいる、白と黒の女性像の恍惚とした表情に悪意も性的な愉悦に依存しているような素振りもない。
                      寧ろ神聖なものとしての荘厳さを漂わせている。

                      私のその思いを補完するように、学芸員がギーガーの作品の中には“光”があると言っていた。(実際、ただ闇では何も見えない事になるだろう)

                      ギーガーの創作の原点――アフガン戦争と反戦、恋人の死――死の衝撃を昇華するために描き続けた彼を、関係者はその「人間の闇の部分に踏みとどまって作品を作り続けた」と評する。

                      人に霊感を与える存在として、多くのクリエイターが猫を飼う傾向がある。ギーガーも例外ではないようだ。
                      全編を通してギーガーの飼い猫・ムギ(MÜGEE )が、映画の進行を先導するように映り込んでいる。
                      混沌と暗闇の世界をすいすいと歩む姿は、まるでア・バオ・ア・クゥー(導きの獣)(※1)だ。
                      ムギのお陰?で鑑賞者もギーガーの世界に飲み込まれずに済む(笑)

                      ドキュメンタリー映画だが、この映画もギーガーの作品のように思えた。
                      それはあらゆるものを飲み込むようなギーガーの――光を反射するものが無く、吸収してしまう闇の――世界ゆえだろうか?
                      否、監督、制作者が映らないよう、さらに制作側の意図や情報が偏向しないように心がけているのだろう。バランスが取れたドキュメンタリーとして素晴らしい。

                      私も行ったことがある、スイスのギーガー美術館
                      向かいのバーに、私は滞在時間の都合上入れなかったのが残念……

                      美術館で行われたサイン会では、タトゥーを入れたパンクな人々が集っていた。本だけでなく腕にペンで書いてもらう人、感極まって涙する人……シャツを脱ぐと背中全体に《Li 供佞彫られている人まで!
                      ファンとの交流が心温まる。(そして凄く羨ましい)

                      でも…まぁ……私はバーにある脊柱レリーフの製作風景を見れたのは嬉しい。

                      美術館開館や自分の作品を使ったバーの制作だけでなく、幼少の頃に衝撃を受け創作のイメージの源泉となった幽霊列車を自宅の庭に走らせ、「好きなこと好き放題した」彼は言う。

                      「やり残すことは何もない。満足だ。」

                      ミケランジェロのような達観だった。

                      ギーガーは彼の死生観――輪廻転生を否定する――を語る。「いちから再びやり直すのは嫌だ」と。
                      きっと彼はもう、転生して来ないだろう。


                      この映画を撮り終えた後、ギーガーは亡くなった。

                      玄関の階段、2階に上がる階段、地下室へ降りる階段――
                      どれも年季が入っているため、人が使うとギシッ、ギシッと音がする。
                      今にも踏み抜いてしまいそうな音だった。

                      ギーガーの訃報を聞いたとき、自宅の階段から転落(※2)とのことだった。
                      あれら階段のうち、一体どれだったのか……
                      ホラーやサスペンス映画で、階段の軋む音は恐怖の来訪を暗示する。
                      私は映画を鑑賞しながら、この音は運命を感じさせるものとして、緊張感のあるものだった。

                      映画内でも、生前のギーガーは(シャイすぎて)インタビューを受けることが苦手だったことが窺える。
                      そんな彼がドキュメンタリー映画に応じたのは、死に魅せられていた彼は己の死期さえ悟っていたからだろうか?

                      1. 1 ア・バオ・ア・クゥー (Wikipedia/日本語)
                        https://ja.wikipedia.org/wiki/ア・バオ・ア・クゥー (2017/9/21 確認)
                      2. 2 「エイリアン」デザイナー、H・R・ギーガーさんが転落死 74歳
                        https://www.cinematoday.jp/news/N0062938 (2017/9/21 確認)
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