映画『キングスマン』シリーズ感想

0

    JUGEMテーマ:映画

    公開当時、この映画に関心を持っていなかった。トンデモ武器やジョークさに時代遅れな印象を持っていたためだ。
    丁度、映画『007』シリーズ50周年企画作が公開され、洗練されリアリティを追求したものに重きを置いている方が斬新だった。

    今年のお正月映画として続編の公開もあり、『KINGSMAN THE SEACLET SERVICE』を観たところ……衝撃的な作品だった!!
    これがきっかけとなって、劇場に足を運んだ次第。

    ……前作程の大きな衝撃は無かったけれど、新旧ガラハッドの連係プレイに隙は無かった。

    !以下、ネタバレあり!

    KINGSMAN THE SEACLET SERVICE ――階級社会への皮肉

    公式サイト
    http://kingsman-movie.jp/

    良い意味で、『007』のハイテクとユーモア、『オースティン・パワーズ』のポップな色味を取り入れている映画。コテコテのイングランド・カルチャーだった。

    諸々、わざとらしく“イギリスらしさ”を象徴するなものが現れてくる。
    『007』でも”イギリスらしさ”を表現していた。それは場所などで表現され暗示的・象徴的なものだったが、『キングスマン』はもっと生活に密接なカルチャー寄りだ。

    諜報部員の基地となる場所が仕立て屋。ギネス(…はアイルランドだけど)にスコッチ(…はスコットランドだけど)、紳士の嗜みとしてのスーツに葉巻(最近は禁煙キャンペーンと規制もあって、喫煙シーンは少なかった)など。
    キングスマンのメンバーのコードネームは言わ ずもがな『アーサー王の死』などに代表される、円卓の騎士達に由来する。 でも文学的な示唆、物語を踏まえた暗示を持たせている訳ではなかった。

    格差社会

    イギリスが階級社会であることは有名な話。今もそれは変わらない。
    それが物語の真相の一端を担っている。

    「世界がちっとも良くならないのは、人類が多すぎるためだ」

    投資家・ヴァレンタインの世界を良くしたいという思いはなかなか上手くいかない。
    投資をしてもそれは即効性のあるものではないし、必ず何かの弊害――多くの人間の利害に纏わる駆け引き等―ーによって頓挫するのだろう。
    ヴァレンタインは失意と怒りからか、発想が選民思想となり、彼が線引きした世界に対して役に立たず数が多い低所得者層を大量虐殺することを目論む。

    ヴァレンタインの考えとは別に、富裕層は特権への執着と保身から賛同し、別の場所で低所得者層は置かれた境遇は搾取されたためと、互いの不満を相手に向けている。
    双方ともに特定の相手に直接ぶつけるものではなく、抽象的で匿名な存在としての富裕層、低所得者層に対してだが。

    片田舎の教会で低所得者層を煽る神父(牧師?)と熱気を帯びた人々の姿に、前回のアメリカ大統領選、トランプ氏の選挙活動の光景を見てしまうのは私だけだろうか?

    Manners maketh man

    Manners maketh man.(※1)

    良い言葉だと思った。この言葉は富裕層と低所得者層双方に向けられている。
    前述の階級社会に囚われ互いに非難し排他的になる人々に対を成すような、紳士の哲学。
    生まれ、家柄の問題ではなく、教養や礼節を身に着けることが人間(紳士)であると。

    低所得者層の人間はヴァレンタインの陰謀で礼節を失い攻撃的になり殺し合いをはじめてしまうが、主人公の一人・エグジーの機転から(偶発的に)鼻持ちならない金持ちと特権階級にしがみつく人々の頭が爆発する……!
    イギリスを代表する作曲家・エルガー(※2)の『威風堂々』に合わせて 展開されるこの痛快なシーンだけで、全てが吹き飛ばされてしまった……

    KINGSMAN THE GOLDEN CHERCLE ――麻薬問題をどう扱いたかったのか?

    公式サイト:
    http://www.foxmovies-jp.com/kingsman/

    前作に比べて、大きな衝撃は受けなかった……
    それにツッコミ所が多い。色々なフラグ回収――細かい設定の一貫性に乏しかったため。

    コテコテのアメリカンポップ&ウェスタン・カルチャーだったが、散漫な感じだった。
    アメリカの、時代も背景もバラバラな文化のパーツをつまみ食いしているようで洗練さが足りず、イギリスとタメを張れない。
    諜報部員とそれらカルチャーが結びつかないためだろう。

    さらに「弱者(低所得者層)を切り捨てる強者(富裕層)」という前作からの設定を踏襲しようとして、失敗した気がする。

    • イギリスを代表する文学の名前からとるキングスマンの諜報部員に対して、酒の名前という単純さが安っぽい。
    • キ ャラクターの扱いが雑である。紅一点ランスロットやハル・ベリーがもっと活躍して欲しかった…!
    • ゴールデン・サークルという言葉にゴールド・ラッシュへの暗示かと思ったが、24金の入墨の意匠に意味的重みは無かった……

    依存症問題

    用意周到なヴァレンタインの計画内容と比べ、今回の悪役・ポピーの動機は非常にお粗末だった。
    それは違法麻薬を合法化することで、億万長者としての名声を手に入れたいとするもの。

    「酒類は合法なのに、何故、麻薬は違法なのか?」

    そこから麻薬問題が提起されるが、それに対する明確な回答が用意されていない。
    社会に蔓延する問題をクローズアップしているけれど、問題点や改善するための試みであれ、煮詰められていなかった。

    せいぜいがウイスキーで財を成し諜報部の資金源としたステイツマンとの対立構造を暗示させるに留まっているように、私には感じられた。
    なぜなら麻薬の問題とは依存症問題でもあるため。
    依存症――特にアルコールに関する――問題はアメリカでは身近な、映画業界でも馴染みのある問題だった(※3)はず。にもかかわらず、アルコール依存症ついては全く言及されていなかった。

    麻薬に毒物を仕込み、それを摂取した世界中の人々の命を人質として米国大統領に条件をのむよう要求するポピー。
    しかし大統領は麻薬常習者と違法組織を一掃する好機と捉える。

    麻薬カルテルのキャラクターや常習者(薬物依存症患者)がアンダーグラウンドな存在に限られているため、余計に大統領秘書官の進言が結びつかない。(結局、領秘書官が使用した薬物も、理由はどうあれ違法なものだった。)
    医療用麻薬などの正規ルートに入り込んでいる描写が無ければ、非道さや危機感が募らないように私は感じた。(厳重に管理されているそれらに、ポピーの怪しい麻薬が入りこむような描写は無かった訳だが。)

    ちなみに薬物であれ酒であれ、依存症は明確な治療法が未だ確立されていない。それに一言で“依存症”といっても、そのタイプは様々でアプローチの仕方が異なる模様。
    デイミアン・トンプソン『依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実』では依存症を環境要因――4つの「入手しやすさ」(物理的、心理的、経済的、社会的)――から指摘していた。薬物も酒も。だが、麻薬には種類によって断ちやすいものと異常な執着をもたらすものがあり、一概には言えないという。(※4)

    『ゴールデン・サークル』ではワクチンが配布され「もう麻薬はしない!」と大団円で終わるが、依存症そのものの解決には至っていない……


    前述した階級社会に関連して、コモンクラス(一般市民)とハイソサイエティ(上流社会)では、実はテーブルマナーも異なるらしい。(※5)そのため、テーブルマナーで身分や教養が計られてしまうとか。
    回想で表現されていた、先代ガラハッド・ハリーのテーブルマナー講座。ナイフの持ち方を指南しているやりとりが前作の雰囲気を想起させて微笑ましい。
    前作の“Manner maketh man”を一貫して欲しかった。
    今回は“なんちゃってマナー”に留まっていることが残念。グラスをキンキン鳴らさないで。耳障りだから。

    1. 1 ひさしぶりに映画。「キングスマン」がおもしろかった! : Keri先生のシネマ英語塾
      http://blog.excite.co.jp/kerigarbo/24705991/ (2018/2/11確認)
    2. 2 エドワード・エルガー(Wikipedia / 日本語)
      https://ja.wikipedia.org/wiki/エドワード・エルガー (2018/2/11確認)
    3. 3 高橋祥友『「死にたい」気持ちをほぐしてくれるシネマセラピー上映中―精神科医がおススメ 自殺予防のための10本の映画』
      「死にたい」気持ちをほぐしてくれるシネマセラピー上映中―精神科医がおススメ 自殺予防のための10本の映画
    4. 4 

      依存症を環境要因と解釈している『依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実』で挙げられた麻薬はヘロイン。ベトナム戦争時のアメリカ兵が現地でヘロイン中毒になるが、帰国後(ヘロインが入手できない環境になって)それを克服していることを紹介。
      依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実

      『ナショナル ジオグラフィック日本版 2017年9月号 【特集】脳科学で克服する依存症』では、コカインによる脳の報酬系( https://ja.wikipedia.org/wiki/報酬系 (Wikipedia / 日本語) 2018/2/11確認 )と呼ばれる機能に作用してしまう点と高い依存性に言及。依存症患者はコカインを摂取しない環境にいても忘れられず、再び手をだしてしまう傾向があることを紹介。
      ナショナル ジオグラフィック日本版 2017年9月号 [雑誌]

      上記から、私は薬物依存症は環境要因だけではないと解釈している。

    5. 5 藤枝理子『もしも、エリザベス女王のお茶会に招かれたら?-英国流アフタヌーンティーを楽しむ エレガントなマナーとおもてなし40のルール-』
      もしも、エリザベス女王のお茶会に招かれたら?-英国流アフタヌーンティーを楽しむ エレガントなマナーとおもてなし40のルール-
    ブログランキング
    にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
    blogramによるブログ分析

    映画『スター・ウォーズ / 最後のジェダイ』感想

    0

      JUGEMテーマ:SF映画 一般

      映画『スター・ウォーズ / 最後のジェダイ』チラシ2

      公式サイト:
      http://starwars.disney.co.jp/movie/lastjedi.html

      赤いタイトルデザインから、フォースの暗黒面のニュアンスが色濃くなるのかと思っていた。だが違った。
      それは旧三部作の二作目『エピソード5 / 帝国の逆襲』(以下、『エピソード5』)が帝国の勝利とジェダイの試練であったイメージを起因とするものだ。
      実際、今回の『エピソード8 / 最後のジェダイ』(以下、『エピソード8』)は『エピソード5』を彷彿させる場面がある。
      しかし焼直しではなくリスペクトしている気がした。新しい方向に向かうために……

      ジェダイマスター

      前作『エピソード7 / フォースの覚醒』(以下、『エピソード7』)クライマックスの目玉か、ルーク再登場。
      彼は偏屈なじーさんになっていた!
      『エピソード6 / ジェダイの帰還(復讐)』にて、落ち着き?のある青年、「ジェダイ・マスター」となっていたようだが……?

      だがこれは、賢者(マスター)――静かな威厳を持ち合わせる男性像――のイメージから逸脱しているというわけではない。
      厳格さや真面目さだけでは、真の賢者ではないのだ。
      真の賢者はユーモアを持ち合わせている。
      『エピソード4 / 新たなる希望』でルークが出会うオビ・ワンは周囲の人間から「変わり者」と呼ばれ、『エピソード5』で教えを乞うたヨーダは出会った当初“子供っぽいじーさん”として出てくる。
      ルークもレイをおちょくるくらいのユーモアを身につけた模様。
      そしてカイロ・レンのこともあって、偏屈になったようだ。

      東洋の思想――ヨーガ

      フォースの考え方はユングの心理学から間接的に東洋思想を基にしていることは、度々指摘されている。禅やそのルーツのひとつであるヨーガの思想も汲んでいるのだろう。
      今回の『エピソード8』ではヨーガの思想とイメージを濃厚にしている。
      ハリウッドの間でもヨーガが定着した今、それをおざなりにはしないだろう。

      ジェダイの知識をしたためてあると思われる本はルークと、結果的にはヨーダの手によって焼きはらわれる。
      「多少知識はつくがの」とヨーダが言うように、実践に勝るものは無い。それはヨーガの考えの中にもある。(※1)

      ただ、映画終盤で宙に浮くのは……どうなのだろう……(笑)?
      100年くらい前のステレオタイプなイメージ(※2)をあえて取り入れるあたり、ジョークなのだろうか?
      私はインチキ臭い印象を受けてしまった。

      暗黒面と胎内回帰

      ユングの心理学における“影(シャドウ)”がすなわち“フォースの暗黒面”と呼ばれるものであろう。
      ユング心理学が言う“影”とは「自分が認めたくない自分」であり、それが“劣等コンプレックス”を引き起こす。

      『エピソード5』で、ルークは洞窟の中でダース・ベーダーの幻影と対峙して斃すも、切り落とした首(ヴェイダー)それが自分自身であるように、レイもまた暗い穴の先で自身の“負の面”――暗黒面と呼ばれるそれは、自身の中にあるコンプレックス――と向き合う。

      以前の感想でも思ったが、この物語は抑圧された子供たちの葛藤(試練と克服)が描かれるのだろうか?
      そのエピソードは、次作で完結するのか?

      家族への想いが諦めきれないレイは“孤独”に遭遇する。だがそれは、彼女自身分かっていながら心の奥底に閉じ込めたものだった。

      フィンは置かれた境遇、本人の気質もあると思うが、“クズ”という劣等感を持っている。
      でもキャプテン・ファズマとの戦闘ではその“クズ”さを受け入れながら、レジスタンスに貢献しようとする。

      癇癪持ちのカイロ・レンのコンプレックスは明確ではない。ただ、私は物語を観ていると、ジェダイを目指していたがルークにライトセイバーを向けられ、「暗黒面に堕ちた」と思い込んでしまったのではなかろうか……?
      祖父であるダース・ヴェイダーに憧れるも、本質的には違うので、ダース・ヴェイダーにもそれを越えることもできない。

      英雄の否定

      古典的英雄譚である『スター・ウォーズ』が、英雄的行為を否定する――かなり踏み込んだストーリーだと思った。
      『エピソード5』にあった英雄の“敗北という試練”ではない。

      少数の腕の立つ人間が命の危険を伴う――場合によっては命と引き換えになる――行為そのものを否定する。

      逃走するレジスタンスから追っ手を巻くため、レジスタンスの戦艦に照射しているマーカーを外すためにファーストオーダーの戦艦に乗り込むも、拘束され同伴したハッカーがレジスタンスの作戦内容を漏洩してしまう。
      彼らの英雄的行為は完遂されず、それによって窮地に追い込まれ、称賛されるものではなくなる。

      別の話と繋がるが、戦艦を囮に貨物船で脱出という作戦に『銀河英雄伝説』を思い出してしまった……
      『銀河英雄伝説』では、その作戦が功を奏し、民間人を救う英雄的行為となったのだが……

      権力組織の終焉

      ジェダイもシスも、その形を変えようとしている――変えざるをえないだろう。
      それを時代の流れ、と言い表せるのかも知れない。

      シス――帝国は皇帝パルパティーン(ダース・シディアス)を失った後、どの様な経緯を辿ったか私は把握していないが、後進組織のファーストオーダーも最高指導者・スノークを失う。
      皇帝パルパティーンはその不気味さや狡猾さで、ダース・ヴェイダーはその存在感――威圧感で充分、他者を屈服させることができたが、私にはスノークはカリスマを“演じて”カリスマになれなかったタイプに見える。
      『エピソード7』を観ていて、スノークが巨大な立体映像を用いて――矮小な自身を大きく見せることで――カリスマ化を図っている様にしか見えなかった。 既にファーストオーダーも、“オワコン”化していたのではないだろうか?
      カリスマを失った巨大組織を、カイロ・レンが率いてゆけるようにはとても思えない……

      カリスマ不在は組織の、その権力の終焉を意味する。

      私は度々、(特定の個人などに集中し、ヒエラルキー化する)権力の終焉と女性的性質と目される原理が関わりを持っていると考えている。(※3)

      映画『スター・ウォーズ / 最後のジェダイ』チラシ1

      女性の力の必要性

      今回の映画から鑑みるに、凄く重要なキャラクターとしてシナリオが用意されていたことが伺える、レイア(将軍もとい姫)。

      ジェダイではない、ジェダイの修行をした訳ではないレイア姫が、フォースの力を用いて生還するのは、ルークが「ジェダイの終わり」を悟っているのと関係があるのだろう。

      フォースを使うことに長けた者たちの中で――主に男性たちが――師と弟子という形から、組織だったヒエラルキーのあるものをつくり出した。
      それはライトサイド(ジェダイ)、ダークサイド(シス)双方ともに。(ただし、ダークサイド側は師弟関係が複数になると仲間内で殺し合いになるため、常に一組の師と弟子しかいないという。)

      それにしても、レイア姫もといキャリー・フィッシャー女史が亡くなられたのが残念な話で……
      レイア姫は映画『ローグ・ワン』のピーター・カッシングのようなフルCGでの再現や、カットシーンからの流用などはしないとの事(※4)。
      脚本を変えるのか、『ハリー・ポッター』シリーズのダンブルドア先生や『マトリックス』シリーズのオラクルのように、他の女優さんに代わるのだろうか?

      1. 1 『スターウォーズ』のヨガ的名言集5選|〜マスター・ヨーダ編〜 | yoga generation [ヨガジェネレーション]
        https://www.yoga-gene.com/philosophy/211858.html
      2. 2 空中浮揚 > 3 神秘主義・オカルト > 3.1 ヨギと空中浮揚 (Wikipedia)
        https://ja.wikipedia.org/wiki/空中浮揚#ヨギと空中浮揚
      3. 3 

        私は前提として、「権力」というものが“男性的原理”と目されるもの(所有原理、支配欲)であり、それに対を成すように”女性的原理”(関係原理、それは平等、寛容、博愛)が存在すると考えている。これは性別に縛られるものではないが、男は“男性的原理”を、女は“女性的原理”を自然に扱えるのは事実である。

        現代は様々な要因から、権力というヒエラルキーが終焉を迎えている(流動しやすくなっている)という。それは、現代が“女性的原理”を希求して止まない、そんな時代に突入したからではないだろうか?

        参考文献
        関係する女 所有する男 (講談社現代新書)
        権力の終焉
        女神的リーダーシップ   世界を変えるのは、女性と「女性のように考える」男性である
      4. 4 遺族発言から一転…『スター・ウォーズ』エピソード9にレイア姫の登場ナシ - シネマトゥデイ
        https://www.cinematoday.jp/news/N0091031
      ブログランキング
      にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
      blogramによるブログ分析

      映画『GODZILLA 怪獣惑星』感想

      0

        JUGEMテーマ:映画

        映画『GODZILLA 怪獣惑星』チラシ2

        公式サイト:
        http://godzilla-anime.com/

        !ネタバレあり!

        冒頭から人間の汚さ、弱さが描き出される。
        口減らしのために、過酷な環境の惑星へ移住する人々――志願した人々だと言うが、その殆どが高齢者――を乗せた移民挺は、降下中に爆破する。

        そこから回想に転じても、怪獣に対処できない人類、惑星外への移民船搭乗中にゴジラの襲撃を受け、大勢の人間が死んでゆく描写が続く……
        蹂躙され、一瞬で死んでゆく(直接死の描写は無いが)人間たちの中に、主人公・ハルオの両親もいた。

        移民船の中では、食糧の不足、新天地を見つけられないこと、飢えと寒さ、人工の狭い空間に長くいることで精神に異常をきたし自殺する人……
        船内の行き詰まった感、閉塞感は死に至る病――絶望そのものだった。

        それらの打開のため、主人公・ハルオの「ゴジラを斃せる」という提言を受けて、人類は地球へと帰還する。
        宇宙船内の時間軸では20年。
        地球ではウラシマ効果(※1)も相俟って、2万年の時間が経過していた――

        着陸したのは日本のの丹沢付近と思われるが、植生が変化し密林になっていた。
        一番感動したのは、“化石化したビル群”
        無人になった建築物に苔が生え次第に体積したものが化石化した模様。建築物そのものは朽ちて無くなっても、自然は人間がいたことを忘れていなかった……感慨深い描写だった。

        そしてゴジラとの遭遇。

        “アニメだからこそ”できるシーンの数々。
        小回りの利くバイク?でゴジラの周りを360°廻ったり、機体が大きいため的にされやすい飛行挺描写など。
        今までのゴジラシリーズの大半が、メカゴジラに代表される巨大兵器に(ゴジラと)ほぼ同サイズの別怪獣だったのに対し、“人間”がゴジラに立ち向かっている描写は、特撮では表現できない、アニメの利点だと思った。
        これはハリウッド版でさえ、表現していないものだと思う。(ちなみにゴジラは人間を食べないからね!)

        ゴジラの生態調査はゴジラ討伐に繋がる。
        人類の悲願を達成したかに思えたが、“ドォン”という重い音ともに、2万年の時を経た怪獣王――『ゴジラ』シリーズ史上最大の大きさ――が身を起こす。
        映画館での音響の効果もあって、“ドォン”という音に驚いた……同時に、それは震災の時の振動や、もしかしたら戦時中を生きた人々には死に直結する爆撃音のイメージに近かったのだと思い至る。

        ゴジラが一歩前に踏み出し、尾を回しただけで、調査隊が壊滅する……

        映画『GODZILLA 怪獣惑星』チラシ1

        1作完結かと思ったら、何と三部作……!
        しかも、次作ではメカゴジラまで現れるという。

        2万年という月日は、類人猿から現代人が進化した時間に相当。
        つまり、生物が進化するのに充分な時間。
        調査隊とは別の人影が、作中とエンドロール後にちらりと現れる。
        彼女は生き残った人類の末裔だろうか?
        あらゆる人種の混血が進んだためか、肌は浅黒い。
        言語体系が変化している可能性がある……彼女とコミュニケーションできるのか?


        いくつか疑問も残る。
        宇宙航行をするうえで、閉鎖的な環境になる以上、枯渇するのが目に見えている。
        植物工場(※2)やタンパク質確保のための昆虫食(※3)など、食糧の生産を促す施設の描写が特に無かった。

        ならば月軌道上に拠点を置き、怪獣の目を掻い潜りつつ物資調達をしながらゴジラをたおす機会を窺えば良かったのではないか?

        流浪の人型異星人・エクシフやビルザルドたちの目的が水と空気のある地球なら、人類は邪魔な先住民……人類が滅び、ゴジラを斃した後に移住しようとした、という穿った見方ができる。

        参考:
        INVESTIGATION REPORT|アニメーション映画『GODZILLA 怪獣惑星』OFFICIAL SITE > 映画前史
        http://godzilla-anime.com/investigation/

        否、彼らは宇宙の流浪の時間が長いから、彼ら基準で人間にもそれが可能だと思っただけなのかもしれない。
        しかしエクシフ達の“宇宙信仰”もビルザルド達の“科学技術”も、人間を真に救うものとはならなかった……
        それは現実世界の人間も同じか。

        ゴジラとパワードスーツの巨大立像

        初代『ゴジラ』は終戦後8年、戦争の傷痕を想起・追体験するもので、大人も対象にしたものだった。
        しかし高度経済成長期を経てその悲壮感も失せ、戦争を知らぬ世代が増え、次第に子供向けになってゆく……
        それをリセットし、原点回帰した『シン・ゴジラ』。
        東日本大震災から5年、冷静に受け止められるようになった時期に再び災害を想起させる。
        海から川を逆流してくる波、押し流される船や車、果ては家に、瓦礫に押しつぶされた人の姿など……震災以前は想像しえなかったもの、震災を経験したからこその映画表現だった。

        今回の『GODZILLA 怪獣惑星』(以下、“アニゴジ”)が再び子供向けへと転じてゆく布石とは思えない……ストーリー原案・脚本が『Fate/Zero』『魔法少女まどか☆マギカ』の虚淵玄だし。
        昭和から平成にかけて戦争の傷痕が薄れてゆく中、破壊神としてのゴジラは時代の風潮に合わせながら変質し、環境問題を絡めた自然の代弁者等を経て守護神のようになった。

        アニゴジは自然神寄りの存在だろうか?
        本作に登場するゴジラは、金属に極めて酷似した筋繊維の集積体で強い電磁気を発生させる特性を持つ体組織で、歴代最大となる膨大な質量を支えている。地球の生命淘汰(とうた)の果て、植物を起源に持つ超進化生命体として2万年の永き時を生きながらえた存在(※4) だという。
        植物……誰が私に行ったかは忘れたが、「地球の支配者は植物であり、人間の地球温暖化は植物が光合成に必要な二酸化炭素を生み出させるため」という趣旨の言葉。飛躍した話ではあるが。(因みに、私はこれを論拠に地球温暖化を肯定するものではない。)
        ただ、人間をはじめ地球上の動く生き物全て、何らかの形で植物の恩恵を賜っていると思うと、‘植物を起源に持つ超進化生命体’という設定に納得がいく。

        映画『アバター』では、惑星パンドラの植物は電気的な繋がりをもって動物やナヴィ族とも繋がりを持つことを視覚的に示していたが、私は“アニゴジ”のゴジラは同じ系譜のその別の形に思えた。

        ゴジラは人間に死をもたらし、それ故に己を憎む人間に斃される事さえも肯定するような、悟りきったような眼をしていた。あの眼にギャレス・エドワーズ監督の『GODZILLA』も思い出した。

        人間と目が合った時、ゴジラとは何か意思疎通ができたような……それは人間の欺瞞かも知れない。
        その目には、あるいは己の死さえ達観しているゴジラの内面が表現されているような気がした。

        1. 1 時間の遅れ (Wikipedia 日本語)
          https://ja.wikipedia.org/wiki/時間の遅れ
        2. 2 植物工場 (Wikipedia 日本語)
          https://ja.wikipedia.org/wiki/植物工場(2017/12/16 確認)
        3. 3 

          生態学的に見ると、昆虫が食べた植物のエネルギーを体質量(ボディマス)に変換する二次生産の効率は平均40%で、魚類の10%や恒温動物の1 - 3%に比べ非常に優れているため、昆虫類は生態学的および経済的に効率の良い動物性蛋白質の供給源となりうるため。

          新宇宙食シルクナゲットを食べてみる!- 宇宙実験室 JAXAクラブ
          http://www.jaxaclub.jp/space_lab/08/ (2017/12/16 確認)

        4. 4 アニメ・ゴジラの“顔”が明らかに 『GODZILLA怪獣惑星』予告編解禁 | ORICON NEWS
          https://www.oricon.co.jp/news/2095707/full/ (2017/12/16 確認)
        ブログランキング
        にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
        blogramによるブログ分析

        映画『シンクロナイズドモンスター(原題"Colossal")』感想 ――アル中だめんずうぉ〜か〜禁酒物語

        0

          JUGEMテーマ:映画

          映画『シンクロナイズドモンスター』チラシ

          公式サイト:
          http://synchronized-monster.com/

          色々と馬鹿馬鹿しい設定ながらも、なんだか微笑ましくもある映画だった。

          ダメウーマン⇔怪獣のシンクロ率100%という、日本版のコピーは、明らかに一定層をターゲットにしているし……

          怪獣が街で暴れたり、スペクタル・バトルが描かれることはない!
          何と音声だけが流れて、観客に想像させるという、潔いというか、ある意味斬新な手法だった。
          それは映画を観に来る人達が、怪獣映画、日本で言えば戦隊モノをすでに観ているという前提を踏まえたものだった。
          ハリウッド映画でも『トランスフォーマー』『パシフィック・リム』『GODZILLA(ギャレス・エドワーズ版)』然りを既知としている。直近では『パワー・レンジャー』か?(私は観ていないけど)

          ソウルの街並みに見立てられた小さな公園で、早朝ふらついてるとか、男女が取っ組み合いをしているとか……
          ダメ大人のおかしな行動が、まさか日付変更線の向こう側で大災害をもたらしているという、シンプルだけど突飛な発想に驚かされる。
          発想の勝利による低予算怪獣映画(※)だった。

          同時に、色々な解釈ができると思う。

          怪獣が肥大化した自意識の象徴と見立てられるし、遠く離れた異国の地の惨事はアルコール依存症の人間が周りに迷惑をかけていることに自覚がないことへのメタファーになっていたり……

          依存症問題

          求職中のライターであるグロリアはアルコール依存症で、度重なる問題行動から彼氏・ティムにフラれ、同棲していた家を追い出される。
          仕事なし、家なしになった彼女は逃げるように田舎に帰り、幼なじみのオスカーと再会した。
          彼が経営しているバーに案内されたグロリアは、酒瓶に目が止まってしまうと周りの音が次第に遠くフェードアウトしてゆく。 アルコール依存症の心理状態だった。

          ハリウッド映画でも、アルコールや薬物など、依存症に焦点をあてたものは枚挙に暇がないだろう。
          『「死にたい」気持ちをほぐしてくれるシネマセラピー上映中』では、アルコール依存症がハリウッド映画界――俳優だけでなく製作関係者の中でも――身近な問題であることを指摘していた。

          「死にたい」気持ちをほぐしてくれるシネマセラピー上映中―精神科医がおススメ 自殺予防のための10本の映画

          グロリアがアルコール依存症になった原因はネット私刑にあった模様。
          彼女が書いた記事が(どうも何かのブラックジョークを織り込んだものだったらしい)炎上したため、クビを切られた。
          それは実際にあった炎上問題にもヒントを得ているようだった。
          『ルポ ネットリンチで人生を壊された人たち』に取り上げられていた――SNSで何気なくつぶやいたブラックジョークがきっかけで、社会的地位と職を失った――女性の話が出ている。

          ルポ ネットリンチで人生を壊された人たち (光文社新書)

          社会問題を瞬時に取り入れる点が映画らしいと思うし、映画も“メディア”に関わる分野である以上、ネット私刑(炎上)は現代の身近な問題なのかも知れない。

          自己肯定感が低い人達

          そんなグロリアの周りには、白馬の王子、騎士のように、助力をしてくれるスポンサーのような男性が現れる。
          だが、実際は違った。

          ティムはグロリアを「自分の助けがないと何もできないダメ女」と見下しており、それによって優越感を感じていた。
          そのため、自分がいないことで彼女か自活し、自立し始めたしだことに焦りを覚え始める。
          おそらく彼は対等な人間関係を築こうとしていなかった。

          オスカーはグロリアが気付き指摘するように、自己嫌悪の裏返しとして関わっている。懐柔、支配という形で。

          他にもオスカーの男友達がいるが、ガースは薬物・アルコール依存症のようだったし、好青年・ジョエルはオスカーに何も言えない男だった。

          そんなグロリアの交際関係に『だめんず・うぉ〜か〜』『母がしんどい』に出てくるダメ男と、それにひっかかってしまう女性(著者)の姿が被る。

          だめんず・うぉ~か~ (1) (SPA! comics)母がしんどい

          今年出版された『酔うと化け物になる父がつらい』でも、アルコール依存症の父を持ち、生きづらさを抱えた著者が、やはりだめんずに引っかかり、訣別する話だった。

          酔うと化け物になる父がつらい(書籍扱いコミックス)

          だめんずに引っかかる女性がアダルトチルドレン傾向があること――そもそもアダルトチルドレンとは、アルコール依存症の親の家庭で育った子供が“生きづらさ”すなわち低い自己肯定感を抱え、更には同じ轍や別の依存症、DVなどを起こしやすい家庭を作る傾向があること、幸福感のある家庭を築きにくいこと――を考え合わせると、辻褄が合うように思える。

          グロリアの家族関係の問題があるという描写は無い。
          だが、依存症など後天的精神疾患は、家族関係(本人の気質もあるが)の問題に起因することが、最近指摘されている。
          それに彼女は都会から故郷に逃げ帰ってくるが、温かく受け止めてくれる家族の姿は皆無だった。

          だめんずのオスカーも実は例外ではなく、物に溢れた汚部屋――これも劣等感の現れ――の中で、家族に関するコンプレックスがあることを垣間見せるものがあった。

          グロリアは彼女の分身である怪獣が大暴れした様をニュース映像を通して客観的に見たことで、自戒し、お酒を断つ。
          更には緯度の反対側にまで行って、だめんずとの訣別となる。
          が、その描写は雑ではないか?

          上記、関連しそうな内容のコミックエッセイとこの映画に足りないのは、それをどう克服してゆくかというカウンセリング面の描写だと思う。
          怪獣はフィクションなので何でもありといってしまえばそこまでだが、リアリティと絡めてここまで描いてくれたのだから、もう一押し欲しかった。
          厄介なことに、依存症を克服することは現実には困難を極める。

          何故なら、どこの国にも酒はある。
          『依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実』が指摘するように、依存症は前述の個人の精神的な問題にとどまらず「入手しやすさ」が一因になっているのも事実だろう。
          世界はアルコール依存症という怪獣を生み出しやすい構造社会と言える。

          依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実

          エンディングで「あちゃー」と顔をしかめるグロリア。彼女はアルコール依存症を克服することができるのか⁉

          それにしてもグロリアことアン・ハサウェイ。
          大きな瞳をくりくり動かして、 顔芸を披露していた。
          とても可愛い。


          この間は民放で『シン・ゴジラ』地上波初放送だったし、ゴジラシリーズ初のアニメ作品『GODZILLA 怪獣惑星』が公開された。
          昨年から引き続き、怪獣映画がアツい。

          ちょっとアニゴジ観てくる!

          映画『シンクロナイズドモンスター』前売り特典、チラシ、蒲田
          1. 『パシフィック・リム』製作費$190,000,000(https://ja.wikipedia.org/wiki/パシフィック・リム_(映画))
            『シンクロナイズドモンスター』製作費$15,000,000(https://ja.wikipedia.org/wiki/シンクロナイズドモンスター)
          ブログランキング
          にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
          blogramによるブログ分析

          映画『おクジラさま ふたつの正義の物語(A WHALE OF A TALE)』感想

          0

            JUGEMテーマ:映画

            映画『おクジラさま』チラシ

            公式サイト:
            http://okujirasama.com/

            映画『ハーブ&ドロシー』『ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの』の佐々木監督の新たなドキュメンタリー。
            映画公開後、「捕鯨問題を取り上げる」と、アートとかけ離れた内容なので驚いたが、「公平な視点をもって撮りたい」とおっしゃっていたので、楽しみだった。


            映画の中で監督・佐々木氏の姿をほとんど見えない。
            元IP通信社のジャーナリストが多く出てくるのだが、“主人公”のような立ち位置にはいない。
            彼は“客観性”“中立”を具現化したような存在だった。

            シー・シェパードの活動家、太地町の漁師たち、何故か仲裁に入ってきた怪しい右翼団体の男性……
            登場する人物、誰もが主人公ではないが、誰もが主人公である映画だった。

            結論ありきのドキュメンタリーではなく、観る人に多角的に考えさせるドキュメンタリーだった。
            残念ながら人間というものは、自分の信じているもの以外受け付けないものだけど。(※1)

            捕鯨、反捕鯨の主張共に、言い分には不完全なものがある。
            人間は結局、物事をそのちっぽけな尺度でしか測ることができない。

            正しいことなど、どちらにもなかった。
            寧ろこの映画を観て、結論……模索しなければならない事は、捕鯨を肯定する人も否定する人も「折り合いをつけて共生する方法」あるいは「距離感」を見つけることだった。

            このブログでは前提知識として、クジラ類ハクジラ亜目の成体の体長が約4m以下のものをイルカとし、イルカ・クジラ漁を特に明確な線引きをしない場合、総じて「捕鯨」として記載していく。

            “アクション”、その先

            映画『ザ・コーヴ』(以下、『ザ・コーヴ』)の公開以降、イルカ漁の町・太地に押し寄せてきた反捕鯨活動家たち。
            彼らの「イルカを守れ」は、間違ったことは言っていない。
            しかし映画を観ていると、実態に即していないことが分かってくる。

            「イルカ(クジラ)は絶滅危惧種だから保護したい」のであれば、漁の対象になっているイルカは絶滅危惧種の種類では無い。

            そしてシー・シェパードが現場で訴えることはパフォーマンスを超えることができない。

            私が一番気になったのはその手法。

            シー・シェパード側の活動家は、イルカ漁の動画を撮っている人はイルカに「レイプされている」という擬人化を用い、漁師には「殺人鬼」とするナレーションを入れている。
            この手法――言葉という人間のコミュニケーションでダイレクトなもの――が、聴く人に人間同士の殺し合いのようなイメージを起こさせ、他の視点から見る“客観性”を排除する。
            それはイルカを救う活動をしているというよりも、漁に携わる人間への個人攻撃――誹謗中傷に聞こえてしまう。

            またシー・シェパード側が提案した別の方法にも疑問を覚える。
            「捕獲したイルカを買い取る」というが、それは漁師に言うべき話ではない。
            彼らには既にクライアントがおり、ビジネスである以上、それを覆せない。信頼に関わることなのだから。
            もしそれをするなら、漁師だけでなくビジネス相手――クライアントとも交渉すべきではないか?
            何より太地町のイルカ漁はスポーツハンティングとは違う。
            漁師の漁業で、彼らの生活がかかっている。

            グローバリズムと情報リテラシー

            反グローバリズム傾向が強まる現在――ナショナリズムの台頭への懸念――が叫ばれるなか、排他的になること、中傷することではないだろう。
            それは結局、人間のちっぽけな尺度に過ぎない。

            何故、イルカ漁がダメなのか?
            反捕鯨活動で取り上げられる様々な“論拠”――「知能が高い生き物だから食べちゃダメ」「水銀があるから食べちゃダメ」……

            知性が高い生き物を食べてはならないという発想(※2)が欧米にある。
            しかし、動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか?
            人間は確かに動物の知性が分かる。しかし、未だに全ての動物の知性を科学という小さな尺度で測り切れていない。(※3)
            まるで家畜にその知性が無いからと殺して良いともとれる価値観は人間の欺瞞に思える。
            これは私の想像だが、動物には人間とは違う知性に基づいて判断で行動していること、人間とは違う造形であるがゆえにとれる手段が限られているだけ――それが人間よりも劣っているとは言えないだろう。家畜も然り。

            その論拠の一つに、脳が人間に次ぐ大きさを持っているイルカは人間と同格と見なされる。
            まるで選民思想――ひいては自身の優位性という傲慢を促し、他を差別するもの――の延長のようで、不快なのだ。

            生き物を殺さないと私たちは食べれない。
            日本の価値観では動物と人間が同等な“命のサイクル”の上にあると見なしている。命の価値は何一つとして特別なものはない。
            汎神論的な命の繋がりを信じている私は、食物連鎖から逸脱した人間が優位であるという考え方は欺瞞に覚える。

            「他のものを食べればいい」というが、太地は農作物を作るには不適切な地理だった。農地・牧草地にする土地が少ない。

            また、クジラやイルカの体内の水銀保有から、水俣病と関連させて健康被害の可能性を論じられる傾向がある。
            しかし太地町に住む人たちが水銀中毒で短命であるという話は聞かない。


            映画を観る前に、この映画の書籍版を購入、読了。

            おクジラさま ふたつの正義の物語

            佐々木監督自身の視点・感想や、映画では描かれなかった諸々の経緯とデータが文章化されている。
            その中でも、人間中心主義問題、水銀問題について、佐々木監督が取材や調べてわかったことを簡単に書いている。

            歯クジラ類がメチル水銀(※4)の毒性を抑えるセレン(※5)を体内で準備し、結合させて無毒化する事故防衛力が備わっていたことを指摘していた。(※6)
            『ザ・コーヴ』ではそのことが一切触れられていない模様。

            映画『おクジラさま』書籍、パンフレット、プレス

            日本の問題点

            映画の中でも書籍でも語られているが、海外への情報発信の下手さを指摘している。
            情報発信が少なすぎること、日本語サイトしか無いこと……
            もっとも、イルカ漁に関わる人たちは漁師。情報発信の人手もなければ時間もない。

            よく比較に出されるフェロー諸島(ノルウェー)の捕鯨の場合、自治政府が捕鯨の専門サイトを立ち上げたり(※7)、警察や海上保安庁だけでなく海軍出動も派遣され、シー・シェパードの動向を監視したとか。

            日本も学ぶことが多いが、他にも問題がある。
            フェロー諸島の捕鯨はノルウェー国内で完結しているが、国外(南極)へ行ってミンククジラを調査捕鯨するのは日本くらいだ。
            調査捕鯨の目的、水産調査の結果は公開されていたが、PDFだった。(※8)凄く見づらい。
            こういった情報をhtml形式にしてもっとアクセスしやすくしないと、世界に対して誤解を招いたままになってしまうのではないか?

            調査がクジラである理由は、クジラが食物連鎖の頂点であるためらしいが、他の方法ではダメな理由が分からなかった。
            調査によってクジラが種類によって食べる魚の種類が異なること、更に季節によって食べるものが変わるという。
            日本食ブームで国家間の水産資源の争奪戦も懸念され、さらにクジラもライバル視しなければならないのか……(´・ω・`)
            ではこのデータ、‘生態系アプローチから見る海洋生物資源の管理’とはどんなもので、何を世界に対して提言しているのか、明言されていなかった。


            そもそも『ザ・コーヴ』は問題を混ぜこぜにしているのではなないか?
            地産地消をしていた太地町のイルカ漁と、日本政府の調査捕鯨を。これは全く別物と考えるべきだろう。
            太地町のイルカ漁の場合、日本の食卓を支えるものでは無く、地産地消として一定の地域の人々を支えているものであるというのが実態だった。

            調査捕鯨のクジラの場合、「もったいない精神」から、その肉は一部クジラ肉は食肉として提供されていた。
            それは絶滅危惧種ではないクジラで、捕獲量を厳しく管理して行われている。

            太地町の今後について

            野生のイルカを見ることができる観光施設としての入り江の活用を考えている模様。
            産業が乏しい小さな町の、人口減少に伴う漁師の不足と町おこしからの選択肢のひとつだった。
            それはシーシェパードのためでもなく、『ザ・コーヴ』で非難されたからでも無い。太地の人々が考えて導き出された結果だった。
            因みに捕鯨を完全に止めるとは言っていない。
            これが上手くいくことを切に願う。


            正直、この映画を見終わった後しばらく ( はらわた ) が煮えくり返っていた。
            それは『ザ・コーヴ』の2010年アカデミー賞受賞の時からあった蟠り……反論であれ分析であれ、それができない私自身の情報の少なさもあった。

            世界を良くしたいと願って参加する活動は、寧ろ何の役にも立たないどころか”お門違いなお遊び”状態の“不都合な事実”。
            本質を見誤る情報リテラシーの無さ、情報発信力の低さ。

            自国の尺度を自国ではない国に持ち込み非難するだけの外国人。
            理解されないと無視する、ある意味ムラ社会な日本人。(この問題を「文化の違い」という尺度で片付けている事は、情報発信の放棄ともとれる)

            『おクジラさま』を拝見して、映画『ザ・コーヴ』のおかしなところを理解した。これで安心して『ザ・コーヴ』を観れる。
            「イルカが可哀想」ではダメなのだ。それはただの感情論なのだから。つまり理性的……客観性も、公平さもない。


            クジラの天ぷら

            映画を観た後、イルカではなくミンククジラ(調査捕鯨のもの)に感謝を込めて「いただきます」
            独特の野生動物の味がした。
            それは家畜にはない深みのある味だった。
            ジビエの肉に近い。
            身が締まっていて、力強い。噛み応えがある。
            凄く“私は命を頂き生かされている”ことを、より意識させられた。
            私にはとても美味しかった。

            1. 1 

              我々の偏見(バイアス)は思った以上に強固。事実ですら完全に無視をする(フランス研究) : カラパイア / 2017年09月10日
              http://karapaia.com/archives/52245557.html (2017/11/7確認)

              Confirmation bias in human reinforcement learning: Evidence from counterfactual feedback processing / August 11, 2017
              http://journals.plos.org/ploscompbiol/article?id=10.1371/journal.pcbi.1005684#sec010 (2017/11/7確認)

            2. 2 人は動物をどのように観てきたか | 愛玩動物飼養管理士@試験対策ノート
              http://pet-breeding-man.com/2014/11/article9-1/ (2017/11/7確認)
            3. 3 

              フランス・ドゥ・ヴァール『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』
              動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか

            4. 4 メチル水銀(Wikipedia / 日本語)
              https://ja.wikipedia.org/wiki/メチル水銀 (2017/11/7確認)
            5. 5 セレン(Wikipedia / 日本語)
              https://ja.wikipedia.org/wiki/セレン (2017/11/7確認)
            6. 6 

              佐々木芽生『おクジラさま ふたつの正義の物語』 集英社 [第5章] p.185

              坂本 峰至『メチル水銀毒性とセレン』第43回日本毒性学会学術年会 (公開日:2016/8/8)
              http://doi.org/10.14869/toxpt.43.1.0_S8-1 (2017/11/7確認)

            7. 7 

              『シー・シェパードVSデンマーク 日本が学ぶべきフェロー諸島の対策』 WEDGE REPORT (公開日:2015/7/31)
              http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5223 (2017/11/7確認)

              WHALES AND WHALING IN THE FAROE ISLANDS(フェロー諸島自治政府の捕鯨専門サイト / English)
              http://www.whaling.fo/ (2017/11/7確認)

            8. 8 

              『捕鯨問題の真実』(pdf)
              http://www.icrwhale.org/pdf/04-B-k.pdf (2017/11/7確認)

              (一財)日本鯨類研究所 : パンフレット( http://www.icrwhale.org/04-B-l.html ) > 捕鯨問題の真実 English, Français, Español (2017/11/7確認)

              この情報、捕鯨反対派も肯定派も気になる日本側の主張、内容が良くまとまっているはずなのに、たどり着くまでに時間がかかった……
              まず、Google検索では出てこなかったし、pdf形式だからwebブラウザからではとても見づらい。
              おまけにpdfのタイトル名がどの言語ヴァージョンでもついてなく、あっても「スライド1」となっていた。(要するにパワーポイント使って作ったことが一目でわかる、編集してない。さらに現在、Google検索エンジンは、タイトルと本文が一致していないものを省く傾向がある。)
              つまり、一般の人に周知させる気、全くないという印象がある。
              これだから諸外国の何も知らない人にネタとして叩かれたりするんだよ……

            ブログランキング
            にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
            blogramによるブログ分析

            映画『エイリアン:コヴェナント』感想

            0

              JUGEMテーマ:映画

              映画『エイリアン:コヴェナント』チラシ2

              公式サイト:
              http://www.foxmovies-jp.com/alien/

              !問答無用でネタバレあり!
              ……というより、映画を観ていないと、ここに書いてあることが伝わりにくいかも汗


              第1作目『エイリアン』の原点に立ち返るようなパニックアクションだった。

              今回の登場人物たちはフェイスハガーやその原因を客観的に目撃した人間がいないので、突然体調を崩した人間の体内から、凶暴なものが現れる。
              何処に潜んでいるのかわからない、何故襲われるかもわからない。

              最善は、それに遭遇したらにげること――
              エイリアンが何物かよく知らないで下手に武器を手にして対抗すると、余計に自身に危害が及ぶ。

              勿論、全てが『エイリアン』の焼き直しではく、新しいデザインの外郭に覆われていない白く生々しいネオモーフに、黒いいつもデザイン(ゼノモーフ?)のエイリアンまで。
              エイリアンが知性のある生き物であることは分かっていたが、今回は頭を使うようになって、頭突きで強化ガラスを割ろうとしていた。

              前作『プロメテウス』以上に後味の悪いエンディング――前作からのアンドロイド・デヴィッドの罠にかかってしまった事――は、エイリアンが誕生する絶望よりもはるかに絶望的な臭いがする。

              死の芸術

              この映画で一番印象的だったのは、その芸術的な空間描写だった。

              ギーガーのドキュメンタリー映画『DARK STAR』を観たので、ギーガーの死を意識させる作風が、『エイリアン』に相応しいことを理解する。ギーガーの急逝で、どうなるのかと思っていた。

              今回は美術史におけるメメント・モリを強く意識させられた。

              • ディヴィットがショウ博士を埋葬したという場所は、明らかにベックリン《死の島》(※1)。

              • ディヴィットの研究施設はヴンダーカンマー(驚異の部屋)を彷彿させる。
                この世界を丸ごと捉えようとしたルネサンス的な一切智、万能主義のあり方を示したこの部屋は、同時に世界の全てをその手中に収めんとする野心の現れでもあった。(※2)

                愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎 (集英社新書ヴィジュアル版)
              • 元の“エンジニア”の用途は不明だがディヴィットが描いた巻物が積まれた書庫は古代ギリシア、ローマの図書室だろう。
                外の広場に転がる“エンジニア”の遺体の姿が、ポンペイの遺跡の石膏型を連想させて、そのイメージを強固にする。
              • ショウ博士は“エンジニア”の惑星へ向かう途中のコールドスリープ中に実験体にされ、その遺体はムラージュ(※3)か剥製(死蝋化?)にされていた。
                アナトミカル・ヴィーナス 解剖学の美しき人体模型
              • ショウ博士の墓で供えられた花はまるで鬼灯のよう。花の形は子宮のようだが堕胎のイメージにも結び付くし、それは前作『プロメテウス』でのことも暗示させる。……彼女の遺体の細胞が後のエイリアンエッグの材料となったのなら、デヴィッドはそれも踏まえて居るのだろうか?

              『エイリアン』はSFだが、ディティールは新しさよりも懐古趣味に満ちている。
              それが過去の遺物として“死”を連想させるのかも知れない。

              デヴィッドの名前の由来からも、聖書的な図像解釈は避けられない。
              『コヴェナント』公開前の公式ツイッターには、聖書の暗号を込めた数字がツイートされていた(※4)ようだし……
              映画全編を通して、そういうディティールに満ちている。

              違約

              映画タイトル「コヴェナント」の意味は“聖約”。
              侵しがたいイメージに反して、映画の中では入れ子のように様々な“約束”が違える。
              映画冒頭で、ダニエルズと船長の「湖畔に小屋を作る」ことが船長の死によって違えるのをはじめとし、人類移住計画のための惑星・オリガエ6への旅路は死の惑星への寄港により、クルーの殆どを失う。
              前作からの延長として、ディヴィットはショウ博士の「エンジニアは何故人類を滅ぼそうとしたのか?」の解答を得させず、ショウ博士の遺骸は墓にも納められず、実験体にしていた。

              そして冒頭の「湖畔の小屋」のキーワードが、エピローグでアントロイドがウォルターではなくディヴィットであることを確定させ、“違約”の不吉さを決定的にする。
              コヴェナント号は植民計画を遂行できず、ウォルターの研究・実験場と化し、コールドスリープ中の男女約2000人と人間の胚がエイリアンの宿主となるのだろう(クィーン・エイリアン誕生の布石か?)。

              人間そしてアンドロイドの誤解、勝手な解釈によって、“聖約”はどんどんかけ離れたものとなった。
              それはまるで、聖書に書かれた神との契約が人間の勝手な解釈で本来の意味を見失われ、失われていく過程に即しているように思えた。

              デヴィット / ウォルター

              前作からのアンドロイド・デヴィッドとその後継機であるウォルター、同じ顔(デザイン)で兄弟のような2体は、やはり意図的に関係があったのではないだろうか?
              デヴィッドとウォルターが繋がっていた、という意味ではない。

              ウォルターという名前は古語ゲルマン語の“支配”に由来し(※5)、デヴィッドはダビデ像――神の寵を賜り、羊飼いから身を起こした古代イスラエルの王――に由来する。

              古代イスラエルの初代王・サウルが神の寵を失いダビデが王になるように、ウォルターに替わってデヴィッドがコヴェナント号を支配できるのは、初めから仕組まれていたのではないかと……

              "My name is Ozymandias, King of Kings;
              Look on my Works, ye Mighty, and despair!"
              Nothing beside remains. Round the decay
              Of that colossal Wreck, boundless and bare
              The lone and level sands stretch far away.

              「我が名はオジマンディアス 王の中の王
              全能の神よ我が業をみよ そして絶望せよ」
              ほかには何も残っていない
              この巨大な遺跡のまわりには
              果てしない砂漠が広がっているだけだ

              オジマンディアス OZYMANDIAS :シェリー
              http://poetry.hix05.com/Shelley/shelley02.ozymandias.html (2017/10/9 確認)

              バイロンの詩と引用したデヴィッドに対し、その詩の作者がシェリーであることをウォルターが指摘する。
              この時既にデヴィッドは思い込みによって解釈を誤っていることを、示唆しているのだろう。
              絶対者として意のままに他を圧し、破壊と絶望を謳うようなニュアンスで詩を諳んじているが、意味は違うのかも知れない。

              コヴェナント号を掌握したデヴィッドは、2000人の男女が眠るコールドスリープの部屋に、ワーグナーの曲〈ヴァルハラ入城〉を聞きながら入室する。
              『ニーベルンゲンの指環』第1夜『ラインの黄金』の締め括りに流れるこの曲は、意気揚々と入城する神々の最後尾にローゲ(神々に破滅をもたらす北欧神話のロキ)が入る。そして本来あるべき黄金を奪われ涙する三人の泉の乙女の哀歌が重なっている。
              そしてこの曲は第4夜『神々の黄昏』のヴァルハラ炎上を暗示させる。

              即ち、破滅。

              旧約聖書において、ダビデ王――デヴィッドの名前の由来、ダビデ像――は様々な改革を成すも、それが神の国だったバビロンをダビデ(人間)の国としてしまい、神の寵――自身の権威――を失う。それ故にバビロンは滅んだという解釈をする。

              デヴィッドは数多くの“違約”をした。そのためデヴィッドにも破滅が訪れるのではないだろうか?


              エイリアンの謎が深まってしまった……

              コヴェナントのエンディングからリプリーの時間軸までは20年。もうワンクッションある模様。
              一作目の巨人・エンジニアの遺骸はミイラ化していたように思える。ならば“エンジニア”の種族は何処かで健在なのだろうか?
              あるいは……デヴィッドが行っている“創造”――エイリアンの創造――は、所詮“エンジニア”の二番煎じに過ぎないという象徴なのか?『プロメテウス』のエンディングもあるし……

              コールドスリープの部屋の扉を閉めるときデヴィットのコードが有効で、コヴェナント号の一連の事件はウェイランド社によって仕組まれたものではないかと邪推してしまう。
              ウェイランド社とエイリアンの関係の謎は深まるばかり……

              映画『エイリアン:コヴェナント』チラシ1

              『プロメテウス』を観た後、私はショウ博士とデヴィッドが向かうところは“死後世界”だと考えていた。(※6)
              ショウ博士たちがエンジニアの惑星にたどり着いても、既に全てが死に絶えているものと……
              そしてその遺跡から人類を滅ぼそうとした理由(それが例えば『プロメテウス』冒頭で黒い水を煽った“エンジニア”が何かの罪人で、その贖罪のために人類は生まれた、とか※7)が分かってから、デヴィッドが暴走するとか、エイリアンの卵を発見してしまう……などと想像していた。

              しかし”エンジニア”達の死はディヴィットによってもたらされてしまった……
              『プロメテウス』の冒頭、ショウ博士が夢で“死後世界”について父と話していたことを回想していた。
              『コヴェナント』で死の後にあった世界――それは現世の苦しみを癒す天国でも、行いについて裁かれる地獄でもなく、ただ暗い死だった。

              “エンジニア”による人類創造の理由は失われ、エイリアンと人類の関係とは人間の被造物・アンドロイドの違約によって生まれたもの、ということが‘人類とエイリアンの関係’なのだろうか?

              1. 1 【完全解説】アルノルト・ベックリン「死の島」 山田視覚芸術研究室[近現代美術の基礎知識]
                https://www.ggccaatt.net/arnold-böcklin/ (2017/10/9 確認)
              2. 2 丁度、アルチンボルド展を観た後だったので、このラボがヴンダーカンマーの様相をしている理由が、デヴィッドのの野心――生命創造の探求心にある、その世界を掌握したような、全能感――があることを見出す。
              3. 3 

                16世紀ルネッサンス時代のイタリアで作られた、解剖した遺体を型どりした蝋の模型。

                ムラージュ(Wikipedia, 日本語)
                https://ja.wikipedia.org/wiki/ムラージュ (2017/10/9 確認)

              4. 4 徹底考察!『エイリアン: コヴェナント』解読記 ─ 謎の数字、聖書のストロングナンバーに置き換えると…? | THE RIVER
                https://theriver.jp/alien-covenant-code/ (2017/10/9 確認)
              5. 5 Walter/さらに怪しい人名辞典
                http://www2u.biglobe.ne.jp/~simone/more/pan_nz/walter.htm (2017/10/9 確認)
              6. 6 【過去日記】『映画『プロメテウス』考察――“信じる”という人間性』
              7. 7 【過去日記】『映画『プロメテウス』考察――神話における巨人の人類創生と人間が失った神性』
              ブログランキング
              にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
              blogramによるブログ分析

              映画『DARK STAR / H・R・ギーガーの世界』感想

              0

                JUGEMテーマ:映画

                映画『DARK STAR / H・R・ギーガーの世界』チラシ

                公式サイト:
                http://gigerdarkstar.com/

                生前からもはや神だった、H・R・ギーガーに密着したドキュメンタリー。
                映画『エイリアン: コヴェナント』を観る前に、敬意をこめて。

                映画『エイリアン』関連のことに言及するのはわずかだったけど……
                エイリアンの卵の割れ目が最初1本筋だったが、「ヴァギナみたい」という理由から、十字架を彷彿させる十文字にしたとか。
                ホドロフスキーの『DUNE』に関してはかすりもしなかった。(仕方ない)


                映し出されるのは、剪定されていない木々に覆われている家。
                鬱蒼とした庭にはギーガーのオブジェ作品が木々に埋もれるように配されている。
                扉が軋む音を立てて、暗い家の中――ギーガーの自宅――へ誘われる。

                まるでホラー映画の冒頭のよう。

                暗い彼の家は、彼の頭の中だった。

                蒐集癖の賜物の汚部屋。究極の秩序ある?混沌。
                彼自身の作品だけではく、地層のように山と積まれた本や書類?紙束。カラーボックスは重みに耐えかね歪んでいる。
                本物の人間の頭蓋骨に剥製など“死そのもの”の物品が、陳列されているのか無造作に置かれているだけなのか、置ける場所に置いてある。

                重苦しく、息ができない。(まるで私の実家のようだ)

                彼女の元パートナーで助手の証言によると、ある日家を訪れたらひどい臭いが充満していたので原因を探し当てたところ、水を貼ったバスタブの中から山羊の頭(本物)が出てきたこともあるそうだ。あと、家のドアを作品に使うライオンの骨が邪魔して開けられなくなったこともあるとか……

                「戦争経験者は収集癖が強い」と映画内でも精神科医が言っていた。
                それは執着、混乱など……人間の影や闇という言葉で表す暗い面だ。
                個人的にはただ「もったいない」という思いだけではなく、かつて手に入れられなかった本当に欲しかったものの“代用品”であるため、満足できないことも一因ではないかと思う事がある。それはもう二度と手に入らないもので……
                その“もの”はもしかしたら物質的なものだけではないかも知れない。

                物に囲まれ、遮光カーテンに覆われ、外の光の侵入を遮られた部屋は闇――悪ではない。人間の深部――の世界だった。

                道徳や秩序によって抑圧、排斥された暗い面。
                死を彷彿とさせると同時に、暗い画面に浮かび上がる赤子の顔の群に象徴されるような「胎内回帰」でもある。
                精神科医のギーガーの分析は的を得ていると思う。ただ、ひとくくりに“悪”という言葉で表して良いかについては、私は難色を示す。
                確かにサタニックなイメージもあるのだが、サタニック故に“悪”なのか?
                《The Spell (呪い )》の両脇にいる、白と黒の女性像の恍惚とした表情に悪意も性的な愉悦に依存しているような素振りもない。
                寧ろ神聖なものとしての荘厳さを漂わせている。

                私のその思いを補完するように、学芸員がギーガーの作品の中には“光”があると言っていた。(実際、ただ闇では何も見えない事になるだろう)

                ギーガーの創作の原点――アフガン戦争と反戦、恋人の死――死の衝撃を昇華するために描き続けた彼を、関係者はその「人間の闇の部分に踏みとどまって作品を作り続けた」と評する。

                人に霊感を与える存在として、多くのクリエイターが猫を飼う傾向がある。ギーガーも例外ではないようだ。
                全編を通してギーガーの飼い猫・ムギ(MÜGEE )が、映画の進行を先導するように映り込んでいる。
                混沌と暗闇の世界をすいすいと歩む姿は、まるでア・バオ・ア・クゥー(導きの獣)(※1)だ。
                ムギのお陰?で鑑賞者もギーガーの世界に飲み込まれずに済む(笑)

                ドキュメンタリー映画だが、この映画もギーガーの作品のように思えた。
                それはあらゆるものを飲み込むようなギーガーの――光を反射するものが無く、吸収してしまう闇の――世界ゆえだろうか?
                否、監督、制作者が映らないよう、さらに制作側の意図や情報が偏向しないように心がけているのだろう。バランスが取れたドキュメンタリーとして素晴らしい。

                私も行ったことがある、スイスのギーガー美術館
                向かいのバーに、私は滞在時間の都合上入れなかったのが残念……

                美術館で行われたサイン会では、タトゥーを入れたパンクな人々が集っていた。本だけでなく腕にペンで書いてもらう人、感極まって涙する人……シャツを脱ぐと背中全体に《Li 供佞彫られている人まで!
                ファンとの交流が心温まる。(そして凄く羨ましい)

                でも…まぁ……私はバーにある脊柱レリーフの製作風景を見れたのは嬉しい。

                美術館開館や自分の作品を使ったバーの制作だけでなく、幼少の頃に衝撃を受け創作のイメージの源泉となった幽霊列車を自宅の庭に走らせ、「好きなこと好き放題した」彼は言う。

                「やり残すことは何もない。満足だ。」

                ミケランジェロのような達観だった。

                ギーガーは彼の死生観――輪廻転生――を否定する。「いちから再びやり直すのは嫌だ」と。
                きっと彼はもう、転生して来ないだろう。


                この映画を撮り終えた後、ギーガーは亡くなった。

                玄関の階段、2階に上がる階段、地下室へ降りる階段――
                どれも年季が入っているため、人が使うとギシッ、ギシッと音がする。
                今にも踏み抜いてしまいそうな音だった。

                ギーガーの訃報を聞いたとき、自宅の階段から転落(※2)とのことだった。
                あれら階段のうち、一体どれだったのか……
                ホラーやサスペンス映画で、階段の軋む音は恐怖の来訪を暗示する。
                私は映画を鑑賞しながら、この音は運命を感じさせるものとして、緊張感のあるものだった。

                映画内でも、生前のギーガーは(シャイすぎて)インタビューを受けることが苦手だったことが窺える。
                そんな彼がドキュメンタリー映画に応じたのは、死に魅せられていた彼は己の死期さえ悟っていたからだろうか?

                1. 1 ア・バオ・ア・クゥー (Wikipedia/日本語)
                  https://ja.wikipedia.org/wiki/ア・バオ・ア・クゥー
                2. 2 「エイリアン」デザイナー、H・R・ギーガーさんが転落死 74歳
                  https://www.cinematoday.jp/news/N0062938
                ブログランキング
                にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
                blogramによるブログ分析

                映画『パッション・フラメンコ』感想

                0

                  JUGEMテーマ:フラメンコ

                  映画『パッション・フラメンコ』チラシ

                  フラメンコ界の巨匠6人への敬意を示した舞台『ボセス フラメンコ組曲』の制作・公演に密着したドキュメンタリー。
                  サラ・バラスの活動の軌跡、エンターテイナーとしての姿勢を垣間見るものだった。

                  フラメンコ界の巨匠6人――パコ・デ・ルシア(※1 / 昨年、彼のドキュメンタリーを見た)、アントニオ・ガデス(※2)、カルメン・アマジャ(※3)、カマロン・デ・ラ・イスラ(※4)、エンリケ・モレンテ(※5)、モライート(※6)に捧げられた舞台。
                  それは6人の巨匠を表しているのではなく、6人の巨匠が表現してきたものを受けてサラが得たものを表現して――“ボセス/声”として――届ける、というものだった。

                  • パコ・デ・ルシア――努力
                  • カルメン・アマジャ――反骨
                  • エンリケ・モレンテ――決意
                  • カマロン・デ・ラ・イスラ――自由
                  • アントニオ・ガデス――向上
                  • モライート――喜び

                  巨匠たちのイメージと彼女の半生のイメージが共鳴するドキュメンタリー。
                  インタビュー(声/ボセス)もまた、舞台の一部となっていた。

                  カウロス・サウラ監督映画『フラメンコ・フラメンコ』で真っ赤な衣装を纏い高速ステップを披露していた彼女。
                  現代バイラオーラの女王と形容される彼女が、先人の活躍した女性たち――カルメン・アマジャやフリーダ・ガーロら――に自身を重ね合わせ、女性ゆえの苦悩や故郷にいる幼い息子・ホセのことを想う母親の一面を垣間見せる。

                  新人時代の彼女は、来日し伊勢丹会館のエル・フラメンコ(現ガルロチ)の舞台に立っていたとは知らなかった……!
                  遠い異国の地(私にとってはこの国)で、バイラオーラとしてのキャリアを始めたということに驚いた。

                  「高層マンションに住みたかったけれど」

                  訪れたのは彼女が滞在していたらしい、都心の小綺麗な1DK(日当たりよくない?)。 ごめんなさい、日本の都市部住宅事情……

                  サラはそこで原点回帰、再認識したようだった。舞台を作るということの。

                  それは人に感動を与えるという事だったのだろう。

                  私が通っているフラメンコ教室の先生もおっしゃっていた。
                  「観客やカンテ、ギターさん、周りの人々から力を貰って、それを爆発させる」
                  バイレ(踊り手)ひとりが観客や周りの人間に感動を与えるのではない。

                  そしてその感動は力となる。

                  レット症候群の啓蒙活動

                  それは舞台での表現に止まらない。
                  サラはレット症候群(※7)の啓蒙活動にも参加している。

                  よく、有名人の慈善活動は売名行為のようにとられるが、己の知名度を活用するのではない。観客の感動に訴えているのだ。
                  感動している人間は協力してくれることを、よく知っている。
                  拍手が最高潮になったとき、彼女は支援を呼び掛けるTシャツを着る。
                  効果的な瞬間を理解しているのは、エンターテイナーのプロ故だ。

                  そして私も、レット症候群を認識する機会を得た。

                  リアリティの非日常 / 幻想の日常

                  興味深かったのは、コントラストが激しい舞台風景とフラットな陰影で写し出される日常の対比。
                  パリ、メキシコ、ニューヨーク、東京、そして母国スペインの故郷・カディスの風景は、都市ごとの空気の違いを極力感じさせない。
                  スペインにいても、その言葉でイメージされる強烈な日差しは見えない。青い空と黒い影も。
                  曇りや雨、雪の日。何処か色褪せたように感じる、アンニュイな都市の情景。それが日常というものなのかもしれないが……

                  まるでフェルメールの絵画のような、ちょっとピンぼけしている(※8)街の情景は注視しても掴みづらく、それ故に注視しえしまう。幽玄だった。

                  それに対を成すのが舞台の照明。
                  黒い影と映し出される彩度がはっきりとした、衣装の色。
                  そこに明暗がはっきりするスペインの空気を垣間見る。

                  最後を飾る、ステージ中央から拍手喝采の観客席を映すシーン。
                  スポットの光と迫ってくる拍手の音に力を貰うような圧倒される光景だった。

                  1. 1 Paco de Lucía(1947 – 2014)
                    ギタリスト。フラメンコだけでなく、ジャズ分野でも活躍。
                    https://ja.wikipedia.org/wiki/パコ・デ・ルシア (Wikipedia, 日本語) (2017/9/12 確認)
                  2. ※2 Antonio Gades(1936 – 2004)
                    バイラオール(フラメンコダンサー)。振付師、俳優としても多数の映画などに出演。
                    https://en.wikipedia.org/wiki/Antonio_Gades (Wikipedia, English) (2017/9/12 確認)
                  3. ※3 Carmen Amaya (1913 – 1963)
                    バイラオーラ(フラメンコダンサー)。圧倒的な表現力で“伝説”“女王”と呼ばれる。女性で初めてパンツスタイルでフラメンコを踊った。
                  4. 4 Camarón de la Isla(1950 – 1992)
                    カンタオール(フラメンコ歌手)。
                    https://en.wikipedia.org/wiki/Camarón_de_la_Isla (Wikipedia, English) (2017/9/12 確認)
                    知ってなきゃ洒落になんないフラメンコ歌手 カマロン・デ・ラ・イスラ| ならんひーた
                    http://blog.naranjita.com/?eid=1075244 (2017/9/12 確認)
                  5. 5 Enrique Morente(1942 – 2010)
                    カンタオール(フラメンコ歌手)。
                    https://en.wikipedia.org/wiki/Enrique_Morente (Wikipedia, English) (2017/9/12 確認)
                    知ってなきゃ洒落になんないフラメンコ歌手 エンリケ・モレンテ | ならんひーた
                    http://blog.naranjita.com/?eid=1075258 (2017/9/12 確認)
                  6. 6 Moraíto Chico II(1956 -2011)
                    ギタリスト。
                  7. 7 レット症候群
                    https://ja.wikipedia.org/wiki/レット症候群 (Wikipedia, 日本語) (2017/9/12 確認)
                  8. 8 フェルメールの絵画に見られるソフトフォーカスによるピントが合わない絵画を見て、鑑賞者の脳は焦点を合わせようとするが、絵そのものがピンボケしているので、その像は永遠に結ばれない。視神経と脳のズレがもどかしく、人はそれに注視してしまう。
                    【過去日記】北川健二『フェルメール絵画の謎の本質を読み解く』
                  ブログランキング
                  にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
                  blogramによるブログ分析

                  アルチンボルド展

                  0

                    JUGEMテーマ:展覧会

                    『アルチンボルド展』(2017)チラシ

                    公式サイト:
                    http://arcimboldo2017.jp/

                    上野・国立西洋美術館( http://www.nmwa.go.jp/ )にて。
                    〜2017/9/24まで。

                    花や果物で構成された肖像画を描いた、アルチンボルトの作品と、その奇想・奇天烈の原泉を垣間見る。

                    入ってすぐのところに掛かってる《紙の自画像(紙の男)》。巻紙で構成されたアルチンボルトの肖像画。
                    紙で構成されているという点が興味深かった。
                    アルチンボルトはそこに何をしたかったのだろう?
                    やっぱり絵を描く?文字を書く?
                    そんな示唆に富んだ自画像に思えた。

                    一緒に観に行った知人と「これをペーパーアーティストが手掛けたら、本当に立体化できるのではなかろうか?」と話し合う。
                    そんな想像力を掻き立てる作品は、この会場ではまだ序の口だった。

                    ジュゼッぺ・アルチンボルド《自画像(紙の男)》

                    「合成肖像画」と呼ばれる、アルチンボルトの代名詞のような作風。その奇想に圧倒される。

                    本物を見る醍醐味はやはり、画集では見られない細部を堪能すること。

                    顔にばかり視線が向かってしまうが、《四季「春」》の人物が着ている服は深緑色の葉で構成されていた。
                    画集では黒い背景と同化して認識できなかった細部。
                    顔部分で緻密な髪や眼の描写に注視してしまうが、皮膚を構成する花は輪郭をぼかしていた。
                    そのおかげで表情も理解しやすいし、他の要所(パーツ)に目がいくようだった。

                    《四代元素「大地」》は動物の顔の集合体。
                    下だけ何故、皮なのか?
                    その図像は真っ先に、ネメアの獅子、金羊毛の皮を思い出す。解説を読むと、それを意図した描写であるようだ。
                    そしてハプスブルク家ゆかりの獅子の紋章と金羊毛騎士団を表しているらしい。
                    皮と衣、その関連性も意識した上での構成だろう。
                    連作で、四季と四代元素が対応しているという。

                    • 《春》《大気》 … にぎやかな陽気
                    • 《夏》《火》 … 燃え盛る暑さ
                    • 《秋》《大地》 … 豊穣の大地
                    • 《冬》《水》 …凍てつく森と海

                    でも、連作なのにカンヴァスの大きさがまちまちなのは何でだろう……
                    あえて揃えようとは思わなかったのか?描く度に手に入るカンヴァスの大きさが異なってしまったのだろうか……?

                    博物学――コレクションと世界征服

                    アルチンボルトは他の追随を許さない独自の作風を産み出した。
                    それを促すものは彼の身近な場所にあったようだ。

                    参考資料として出品されていた、アルチンボルトが宮廷画家として仕えたオーストリア・アぷスブルグ家の豪華な装飾が施された食器の数々。
                    ギリシア神話のモティーフや、当時は珍しい動物の姿を象ったもの……中には本物の生き物から型を取り(!)鋳造したものまで。
                    そして「ヴンダーカンマー(驚異の部屋)」と呼ばれる、皇帝の蒐集品を展示した場所があったという。

                    アルチンボルトは、宮廷の日常生活の身近にあるものを素材にしながら、ひたすら肖像画を描いた。その構図や画風は斬新であるが、かれは肖像画という伝統的なキャンバスのなかに、宇宙の森羅万象を凝縮させた。それは顔が人間の知性、性格、表情を集約させたものであるばかりではなく、宇宙的なコスモロジーを包括するものであったからにほかならない。

                    浜本隆志 柏木治 森貴史『ヨーロッパ人相学―顔が語る西洋文化史』 p.190

                    ヨーロッパ人相学―顔が語る西洋文化史

                    アルチンボルトは現代のように体系的に分類されていない博物館ともいえるヴンダーカンマー、王のための動物園で、“本物”を見る機会に恵まれた。
                    ゆえに、ここまで緻密な描写で動植物を描くことができたらしい。
                    アルチンボルトのこの絵画から描かれた図鑑もあったとは……!

                    世界を表している四季と四代元素の表現を取り入れた肖像画を描いたのも、それがクライアントの世界の覇者たらんとする意思を汲んだこと、同時にアルチンボルトの皇帝(時の王・マクシミリアン鏡)への賛美だった。

                    人間の探求――脳の認識、心の問題

                    また、レオナルド×ミケランジェロ展との関連があった。(ちなみに、アルチンボルト展の半券提示で入場料割引が受けられる)

                    アルチンボルトのこれら肖像画は、レオナルド素描の鷲鼻のくしゃ顔じいさんの素描からヒントを得ているもよう。
                    父親がレオナルドと縁があり、素描のコレクションを見ていたらしい。
                    そう言われてアルチンボルトの鼻の部分を注視すると、何となく全ての作品が、鷲鼻のように思えた。

                    ルネサンスの“万能人”レオナルドは、著書『絵画論』で精神の運動(喜怒哀楽)によって人間の顔が動く(表情)こと、人間の精神を描き出すことについて言及していた。(※1)

                    人間の内面を描くこと――

                    展覧会の会場ではヴンダーカンマーと博物学の関係性の指摘があった。 博物学――その知的探求の中に、人相学も入っていたと思われる。

                    人相学は占いや今の心理学、精神分析的な様相があった。
                    そのルーツは観相学――‘外面(自然)、とくに顔の特徴や身体の全体的相貌を観察することによって、人の見えざる部分を知ろうとする(※2)’もの――で、偽アリストテレス『人相学』によって体系的に論じられた疑似科学だった。

                    顔は人間の内面を映し出しているもの――
                    レオナルドに倣い、それを踏まえてアルチンボルトは「合成肖像画」を描いていたようである。

                    この展覧会が始まった頃、NHKで顔を認識するということの不思議について特集した番組があった。(※3)

                    人間が人間の顔(それとおぼしきもの)を注視、識別する不思議、それと絡めて人工知能(ディープラーニング)による顔認証システム(画像解析)についても取り上げていた。
                    そしてこのアルチンボルト展も取り上げられていた。

                    アルチンボルトによるさかさ絵――一見すると野菜が詰められた籠や肉が盛られた大皿だが、逆さにすると人物像になる――は、寓意に満ちていると同時に、遊び心に溢れたものだ。
                    野菜が詰められた籠の絵は、番組内で幼児が顔と認識する――それも「普通の顔ではない」ことまで――理解するということを脳波から検証していた。

                    シミュラクラ現象(※4)の事もアルチンボルトは理解していたようだ。

                    ジュゼッぺ・アルチンボルド《コック/肉》

                    参考として、だまし絵の世界は、多くの追随者が現れた。 ダリもその一人に入れていいのかも知れない(※5)。あと、合成肖像画を思わせるコラージュ作品を多数制作しているシュヴァンクマイエル(※6)。更にシュヴァンクマイエルに影響を受けたクエイ兄弟はもろに《司書》を思わせる(※7)人形が出てくるアニメーションを作っていた。

                    番組では会場でフォトジェニックなイベントスペースであったアルチンボルトメーカーについても取り上げられていた。顔を野菜や果物で構成してくれるという。

                    私が行った時はすごく人が並んでいたので、諦めたのだけど……人工知能という観点からも興味深いものだったかも。
                    web上で写真解析でのジェネレーターがあれば良いのに……

                    参考文献

                    芸術新潮 2017年 07 月号

                    芸術新潮 2017年 07 月号 特集:奇妙奇天烈 アルチンボルド

                    1. 1 加藤朝鳥『レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画論』 Ⅺ 姿態に就いて三七二 p.212
                    2. 2 浜本隆志 柏木治 森貴史『ヨーロッパ人相学―顔が語る西洋文化史』 p.28
                    3. 3 (^o^)顔面白TV
                      http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=10758
                    4. シミュラクラ現象(Wikipedia)
                      https://ja.wikipedia.org/wiki/シュミラクラ現象
                    5. Mae West's Face which May be Used as a Surrealist Apartment | The Art Institute of Chicago
                      http://www.artic.edu/aic/collections/artwork/65819
                    6. JanSvankmajer.com
                      http://www.jansvankmajer.com/
                    7. Cabinet of Jan Svankmajer – Quay Brothers
                      https://youtu.be/ehfRYQ0K-vM
                    ブログランキング
                    にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ
                    blogramによるブログ分析

                    レオナルド×ミケランジェロ展

                    0

                      JUGEMテーマ:展覧会

                      レオナルド×ミケランジェロ展

                      公式サイト:

                      http://mimt.jp/lemi/

                      東京・丸の内 三菱一号館美術館( http://mimt.jp/ )にて。
                      〜2017/9/24まで。

                      入ってすぐの所に今回の目玉作品、レオナルド・ダ・ヴィンチ《少女の頭部/〈岩窟の聖母〉の天使のための習作》とミケランジェロ・ブオナローティ《〈レダと白鳥〉の頭部のための習作》が、各々の肖像画と共に並べられている。

                      胸が熱くなる。
                      筆跡から、巨匠がどんな風に筆を走らせたのか想像してしまうから。

                      “万能人”レオナルドと“神のごとき”ミケランジェロが、この絵に込めた試行錯誤と集中力を垣間見るようで……

                      それにしても、赤く染めた紙に赤いチョークで描かれていたのは何故だろう?

                      ちょっと調べて分かったことは、‘フィレンツェ では赤チョークが好まれ、 青い紙はヴェネツィアで多く用いられる、といった地域差(※1)’があったという事だけだった。
                      …… フィレンツェとヴェネツィアのアイデンティティとしての色だったのだろうか?

                      《レダと白鳥》

                      展示されている二人の作品が、会場の中で対を成すように思えた。
                      それはこの二人の巨匠が全く異なる視点から芸術を捉えていたため。

                      理性を用いて究極の美(理想)を探求したレオナルド。
                      感情を劇的に表現することで人間本来の姿(現実)を捉えようとしたミケランジェロ。
                      ラファエロ《アテネの学堂》では、その顔がプラトンとアリストテレスにあてられている二人。
                      二人の巨匠の表現方法を、古代の哲学(イデアという理想があると説いたプラトンと、それを否定したアリストテレス)に照らし合わせる、ラファエロも博学だと思った。

                      素描や諸々の資料からもそれが理解できるが、それを如実に表しているのが、2人の巨匠が挑んだ同主題『レダと白鳥』だろう。

                      2012年に催されていたレオナルド・ダ・ヴィンチ美の理想でも、この主題は参考作品として展示されていた。(今回展示されていたものとは違う画家の手によるものだった)

                      レオナルド・ダ・ヴィンチに基づく《レダと白鳥》フランチェスコ・フリーナ(帰属)《レダと白鳥(失われたミケランジェロ作品に基づく)》

                      伝統的な構図ながら女性的な曲線美を強調するS字型に立つレダを描くレオナルドのものと、身体を丸めることで曲線美を強調するミケランジェロの作品。私はレオナルドの女性像が好きだが、この絵はミケランジェロの方が斬新な構図で、好きだ。

                      絵画か、彫刻か――

                      芸術の捉え方も、その表現方法も異なる二人。
                      画家であったレオナルドと、(本来は)彫刻家であったミケランジェロ。

                      この違い、例のデッサンにも表れている。
                      レオナルドが(左利きだったため)左上から右下に線を引き、その密度で濃淡、明暗を表現している。
                      対して、ミケランジェロは師匠であるドメニコ・ギルランダイオのデッサンのやり方を踏襲し、クロスハッチングという線を重ね合わせる技法を用い、直線だけでなく人体の丸みや凹みに沿わせて線を曲線にし、立体感を強調している。(※2)

                      当時、彫刻と絵画のどちらがより優れた芸術であるかを論じ合う、比較芸術論争(パラゴーネ。イタリア語で比較の意)が起こっており、当時の人々は彫刻の方が優位であると考えていた。
                      彫刻は立体であり制作には労力がいること、素材は大理石など耐久性があり、経年劣化に強いため、という理由だった。
                      一方、絵画は彫刻と比べ工数がかからず、彫刻の下絵のようなもの、という認識だったように、私は記憶している。

                      当時はまだヨーロッパでも芸術家の地位は低く、画家は彫刻家よりも低かった。

                      これもうろ覚えなのだが、確かレオナルドは画家の地位向上の布石として『絵画論』を書いたのではなかったか?

                      レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画論 改訂版

                      会場の壁面の所々には、レオナルドとミケランジェロの比較芸術論争についての見解がちりばめられていた。
                      絵画と彫刻のレオナルドの挑戦的な発言に対し、やんわりと大人な対応をかえすミケランジェロ……
                      イメージでは逆だったのだが。

                      一説では、レオナルドとミケランジェロは不仲だったともいわれている。
                      レオナルドは『絵画論』の文章に「絵画は優雅だが、彫刻家は汚い労働者のようだ」とあったため、それがミケランジェロの癇に障った(※3)とか、レオナルドからダンテについて意見を求められた時、ミケランジェロは 馬鹿にされたと思った(※4)から等、色々あるようだが……

                      とはいえ、互いの才能を認めていなかった訳ではないようだ。

                      両巨匠がフィレンツェにいた時(1503〜1505)、ミケランジェロはレオナルド《聖アンナと聖母子》における三角形の安定構造と流れるような視線の導線に感心し、レオナルドはミケランジェロ《ダヴィデ》を見て、その構造を研究するように素描を残したらしい。
                      その延長であろう、レオナルド《ヘラクレス》の素描には、ミケランジェロ《ダヴィデ》の影響を受けた力強い筋肉描写は、今までのレオナルドとはちょっと違う作風に思える。筋骨隆々。ムキムキ。

                      素描

                      そんな二人が唯一、共通認識をしていたであろう、素描、その大切さ。
                      その観点からも、素描展は重要なものに思う。

                      レオナルドは馬を一頭所有していたよう(※5)だし、沢山の馬の素描を遺している。
                      この展覧会でもレオナルドの馬の脚の素描が多数展示されていた。
                      当時の馬は貴重品で、今でいう高級外車(それこそフェラーリ?)みたいなものだった。レオナルド、それを所有できたのか……!?
                      馬の素描の数の多さから、学生の頃に教授から「レオナルドはかなりの馬好きだったのではないか?」と言っていた。……高級外車マニア?

                      ミケランジェロも馬の脚の素描を描いており、そちらも展示されていた。ミケランジェロは馬を所有していたのだろうか?

                      教授からは「(レオナルドは)馬は貴族の所有物であることが多かったので、見せてもらっていたのではないか?」と聞いた気がする……
                      ミケランジェロもまた、貴族から馬を見せてもらえる機会はあっただろう。


                      こんなにも偉人たちの息遣いがリアルに聴こえてくるのは、それを記録した文献が今も残っているため。

                      レオナルド手稿、ミケランジェロの手紙、そしてjジョルジョ・ヴァザーリ『芸術家列伝』。

                      芸術家列伝3 ― レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ (白水Uブックス1124)ミケランジェロとヴァザーリ (イラストで読む「芸術家列伝」)

                      それら文献の翻訳に目を通すと、レオナルドやミケランジェロをはじめ、国際都市であったフィレンツェに集った才人達のエネルギッシュで大らかなエピソードに、読んでいてワクワクさせられる。

                      そのワクワク感は時代を超えて、日本のマンガにもなっている……みのる『神のごときミケランジェロさん』は(作者の愛あふれるミケランジェロへの独断と偏見を)今様に表現していて、面白かった。

                      神のごときミケランジェロさん (少年チャンピオン・コミックス・タップ!)

                      それにしても、何年か前にレオナルドの真筆とされた《美しき姫君》(※6)が出品中止とされたのは残念な話で……個人蔵ゆえ、致し方無いのかも知れないが……
                      その美術収集家が絵から感じ取ったという、ただならぬ気配を私も感じてみたかった。

                      完成作品ではない素描を見るという事。
                      天才たちの試行錯誤を知る・学ぶ良い機会である。

                      素描の参考作品として、有名すぎるレオナルド手稿のファクシミリ版も展示されていた。本物ではないが、精巧に再現された原寸大の複製品は、貴重な資料を傷めずに研究への貢献や、今回の素描展ではレオナルドの考えとその時代を補完してくれる。

                      1. 1 石鍋 真澄 『フィレンツェ・ルネサンスの素描』 成城大学大学院文学研究科−紀要−美學美術史論集【第18輯】2010年3月 発行 p.68
                      2. 2 古山 浩一『ミケランジェロとヴァザーリ』芸術新聞社 2014 p.46
                      3. 3 同上『ミケランジェロとヴァザーリ』 p.42
                      4. 4 前橋重二「想像力の人レオナルド vs.感受性の人ミケランジェロ 時空を超える素描対決!」芸術新潮 2017年 08 月号
                      5. 5 ジョルジョ・ヴァザーリ『芸術家列伝3 ― レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ』
                      6. 6 《美しき姫君》レオナルド・ダ・ヴィンチ|MUSEY[ミュージー]
                        http://musey.net/1756
                      ブログランキング
                      にほんブログ村 美術ブログ 美術鑑賞・評論へ
                      blogramによるブログ分析


                      search this blog

                      PR

                      Site

                      Lux†Nox

                      Collection

                      Click to Donate

                      Useful

                      OTTAVA(オッターヴァ)

                      calendar

                      S M T W T F S
                          123
                      45678910
                      11121314151617
                      18192021222324
                      25262728   
                      << February 2018 >>

                      selected entries

                      categories

                      archives

                      recent comment

                      recent trackback

                      recommend

                      パンズ・ラビリンス DVD-BOX
                      パンズ・ラビリンス DVD-BOX (JUGEMレビュー »)

                      大人向けダークファンタジー。
                      しかし、子供の頃を思い出させるディティール。
                      現実と幻想、決して交差せずとも互いに影響しあう。
                      そこで彼女は何を得るのか。

                      recommend

                      links

                      profile

                      others

                      mobile

                      qrcode

                      powered

                      みんなのブログポータル JUGEM

                      punto