是蘭 水の地図

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    JUGEMテーマ:コラージュ

    是蘭 水の地図

    銀座・Gallery Art Point bis( http://art-point.jp/ )にて。

    北川健次先生に師事した是蘭さんの個展に久しぶりに伺った。
    会期終了間際だったので、要するに終わってしまったのだが……
    やっぱりしたためておきたい。

    小さな会場だったが、そこに飾られている作品は、どれもクオリティが高いものに感じられた。

    下記、気になった作品についての感想。


    ( おとの ) う月》

    達筆な書を反転させたと思しきものが印字されている。
    解読できないけれど読めそうな気がして、注視してしまう。
    和風モダンなインテリアのようなシックさに引かれた。

    《月下》

    目から引かれた赤い線は事件性があり、切り傷のようでもある。それはダリの映画《アンダルシアの犬》を連想させもした。
    縦横に交差する線は、どうしても十字架――宗教的・精神的なシンボリズム――のイメージを強くする。

    《異なる夜へ》

    最初、画面近くから見ていたため、気づかなかった。
    筆跡が残る、立方体のパターン。モノトーンの中に赤・黄・青が不規則に差し色として入っている……
    それは遠目から見ると顔だった。

    《鏡面より》

    DMになっている作品。こちらも《月下》に似た事件性を感じさせる。
    両方とも、垣間見える人物の顔はトリミングの影響で、男とも女ともつかない中世的な魅力を醸している。

    《Sweet test》

    体側に沿って下に下がった中世〜近代の衣装をまとった女性の手。
    それだけなのに、それだけであるが故に、事件性を臭わせる。つまり、その手の内には‶何か”が隠されているのではないかと……
    刃物や、もしかしたら毒瓶を忍ばせているかもしれないと。
    赤い色が余計にそうした連想を助長している。
    赤い色で描かれた、反転した「2」「7」という数字。意味はないかも知れない。だからこそ余計に暗示的な作品だった。


    以前伺った展示会での作品は、実験的なコラージュ作品が多かったように思う。
    今回はそれが洗練され、是蘭さんの独自性を感じた。(羨ましい…)

    是蘭氏Website:
    http://www.zelan.jp/

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    特別展『人体 神秘への挑戦』

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      JUGEMテーマ:展覧会

      特別展『人体 神秘への挑戦』チラシ

      公式サイト:
      http://jintai2018.jp

      上野・国立科学博物館( http://www.nmwa.go.jp/ )にて。
      〜2018/6/17まで。

      レオナルドの『人体解剖図』を見に行く。

      2009年、六本木・森美術館で行われた『医学と芸術展』における、生命の神秘の探求を、造形美や観る者に想起させるものとは異なるアプローチだった。

      何故、かくも人体への神秘に惹かれるのか。
      それは"temet nosce"――己を知れ――という人類の自己探求に他ならないと思う。

      人間の神秘とその原泉がどこにあるのかを解明しようとする先人たちの努力と、腐りやすいそれらをいかに他へ伝えるか――ムラージュにキンストレーキなどの人体模型、解剖図譜――など、多岐にわたる探求があった。


      レーウェンフックの顕微鏡を初めて見た。
      話は変わるが、それを見た時レーウェンフックのカメラオブスキュラ(暗箱)がフェルメールに影響を与えたことを思い出していた(※1)。

      当時の科学が芸術にも大きな影響を与えていたことを思い出させた。
      メダカの尾びれの赤血球の流れを捉えたレーウェンフックの顕微鏡は、現在の顕微鏡と遜色なかった。(若干ピンボケ気味だけど、流れは理解できる)

      レオナルド・ダ・ヴィンチ《『解剖手稿』より頭部断面、脳と眼の結びつき部分》

      ちょっと意外だった……脳部分の描き込みをしていないことに。
      否、脳という器官が一体何を司っているかが理解されていなかったため、脳が心を司っている重要な器官であるという認識がなかった可能性もある。(※2)
      レオナルドが解剖に関心を寄せていたのは、“人間の心をいかに絵画で表現するか”を模索する一環で人体構造を把握したかった(心がいかに人体に作用しているかを解明したかった)ためだ。

      特に人物の視線を重要視していたレオナルド。
      展示されている手稿からは眼球の周り――眼球の筋肉運動――に関心があることが伺える。
      精神の運動(喜怒哀楽)によって人間の顔が動く(表情)こと、つまり顔を描くという事は、人間の精神を描き出すことを意味していた。

      2017年に上野・国立西洋美術館『アルチンボルト展』で展示されていたレオナルドによる頭部素描もそのためのものだ。

      画期的なものである『解剖手稿』。ただし、現在の解剖学からすると間違って描写されている箇所も多い。今回展示されていない《子宮の中の胎児の素描》(※3)で描かれている子宮は牛のものである指摘がされているように。

      会場では、人体の器官系統ごとにエリアが区切られ、最初にレオナルドや他の画家・学者らによって残された図譜・研究所が展示され、次にリアルに解明された標本や模型、電子顕微鏡やMRIの写真、CGによる再現が展示されていた。
      技術の発展と、それに伴う発見の数々が垣間見れた。

      流石に本物の人体は、別コーナー扱いになっていた。
      色々な意味で配慮しているのだろうけれど……難儀なものである。
      私はそれらを目の前にしても、不気味さを感じなかった。今、目の前にしているものと同じものが、自分の身体の中にあるという実感も……
      肺も心臓も、こんな小さなものが私の人体に入っていて、命を刻んでいたり、維持していると……私にはむしろそれが不思議だった。

      血の気もなく保存のため硬化している臓器に、当然ながら生々しさは感じられない。

      そして個人が特定されることはない匿名性が、臓器を物体として認識させる…… 
      それは私が無意識的に距離を置こうとしていたのかもしれない。

      寧ろ骨格の発達の参考として展示されていた、1〜5歳児の本物の人骨の方が生々しく、“死”を意識させられた。

      私がもう一つ、気になっていた事は、脳についての分野。
      別冊日経サイエンス『最新科学が解き明かす 脳と心』などを読んで、そのメカニズムの不思議や認知症、依存症などが脳の認知の問題であることに関心を持っていた。
      昨今、話題のAIの問題とも関連して……今現在の人工知能ディープラーニング――神経細胞(ニューロン)の仕組みを模したニューラルネットワークを多層にし、段階的に特徴を分析し学習する――は、まだ人間の思考を再現しきっている訳ではないので。
      しかし、そういった研究に対する言及は皆無だった。
      「展示する」ことを考えると、表現や資料の作成が難しいためかもしれない。

      最新科学が解き明かす 脳と心 (別冊日経サイエンス)

      だだ、ペンフィールドの「体部位再現図」をもとに製作された「ホムンクルス」の立体版は面白かった。
      運動野(動かすために使う領域)と感覚野(知覚するために使う領域)で占める比率が微妙に異なること、手指に使う領域の大きさから、その重要性が伺える。

      会場後半には、NHKの『人体 神秘の巨大ネットワーク』のスタジオで実際に使用された備品が展示されていた。
      レゴでできたタモリさんなど。

      レゴブロック タモリさん

      1989年の『驚異の小宇宙 人体』は、脳を司令塔に役割分担をすることを前提に、マクロな視点――各臓器・器官の機能について――で解説していた。
      今でもよく覚えているのは、免疫細胞についての回。CGで表現された免疫細胞は、体内の出来事なのにメカっぽいデザインで、SFのようだったことを覚えている。

      その時映像で見た、電子顕微鏡で写された体内のメカニズムが有機的で質感のあるCGになって、リアリティが増していた。
      さらに解明された“メッセージ物質”と呼ばれる、臓器同士が情報交換に使っているタンパク質について紹介し、人体はトップダウン的な指揮系統によって成り立っているのではなく、各臓器の連携・ネットワークがあるという事を解説していた。

      人体 ネットワークシンフォニー 4Kシアター

      会場では『ネットワークシンフォニー』と第し、騒がしくも面白い、メッセージ物質が織りなすネットワークをイメージした4K施設があった。
      高画質で表現されたメッセージ物質のクリアなイメージ映像と音と光による演出は「ネットは広大」という台詞を思い出す世界だった。


      色々と、比較・体感できる展示に楽しめるものだった。
      先人たちの探求や技術の発展によってもたらされたコレクションによって。
      4Kのより鮮やかで鮮明な映像技術もまた、体内で何が起こっているかを解析するのに役立ってゆくのだろう。
      まだまだ人間にとって人体は未知の世界だった。


      2018/6/24追記

      《『解剖手稿』より頭部断面、脳と眼の結びつき部分》を拝見して、これが一体何を示しているのか知りたく、前橋重二『レオナルド・ダ・ヴィンチ―人体解剖図を読み解く』を読了。

      レオナルド・ダ・ヴィンチ―人体解剖図を読み解く (とんぼの本)

      それによると、レオナルドは脳の役割(五感で得た感覚が1点に集まる場所、霊魂の居場所として)を理解していた模様。
      それは先人の知識、それを記した書物によるもののようだが。

      《脳と眼の結びつき部分》は、実際の解剖は行っておらず、そうした先人の書物から得た知識に基づいて描いた“空想解剖図”であった模様。

      中世の思想家たちは感覚・認知・記憶など脳の高次機能を、脳内にある「脳室」と関連づけて考察した。その伝統的な脳室論にレオナルドが文字どおり新しい狎擇蠍”を与えたのがこのイラスト。眉間の前頭洞と片方の眼球をそれぞれ正割する2層の断面図=トモグラフィを想像力で重ねあわせて描いたもの。X線による画像情報をコンピューターで処理するCTすなわちコンピューテッド・トモグラフィの遥かなる先駆けだ。右下には水平断層面も。

      前橋重二『レオナルド・ダ・ヴィンチ―人体解剖図を読み解く』 新潮社 2013 p.33

      《脳と眼の結びつき部分》 の紙面向かって左側、眼球の視線の先に薄っすら描かれていたのは、縦割りのタマネギの断面図。
      ‘タマネギのように頭部をカットせよ……重層構造がひとめで観察できるだろう’(※4)と記されているようだ。

      1. 1 【過去日記】北川健二『フェルメール絵画の謎の本質を読み解く』
      2. 2 紀元前4世紀から21世紀まで、脳研究2500年の歴史を辿る。 | 脳科学メディア
        http://japan-brain-science.com/archives/59
      3. 3 《子宮の中の胎児の素描》レオナルド・ダ・ヴィンチ|MUSEY[ミュージー]
        https://www.musey.net/5787
      4. 4 前橋重二『レオナルド・ダ・ヴィンチ―人体解剖図を読み解く』 新潮社 2013 p.33
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      映画『GODZILLA 決戦機動増殖都市』感想

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        JUGEMテーマ:SF映画 一般

        映画『GODZILLA 決戦機動増殖都市』チラシ

        公式サイト:
        http://godzilla-anime.com/

        前回、ゴジラ史上最大の大きさのゴジラ――ゴジラ・アース体高300m――との邂逅により、壊滅した対ゴジラ戦術部隊。

        もはや対抗手段が無いと思われていたが、人類最後の希望としてあのメカゴジラが起動する。
        ディザーポスターのメカゴジラはデザインが刷新され、メカというよりは鋭利な刃物を重ねたようなデザインが斬新だった。

        とはいえ、発見したメカゴジラは二万年のゴジラに合わせた体高(50m)……一体どうやってそれを用いて戦うのかと疑問に思っていた。

        デザインが刷新されたゴジラはナノメタル――自律思考金属体――でできており、ゴジラと共に二万年の時間を経ていた。
        ナノメタルはゴジラ・アースの遺伝子から生まれた亜種を迎撃し取り込み、自己増殖をしていた。
        まるで共に進化して対抗手段を身に着けたニホンミツバチとスズメバチの関係を想像してしまう。

        ナノメタルを手に入れた主人公・ハルオたちは、史上最大のゴジラとの戦いに挑む。

        戦略は前作と同じだが、規模が違う。
        前回の調査隊は装備を揃えて挑むが、今回は装備を造る所から始まる。
        前線でゴジラの動きを予測しながら進め、刻々と変化する事態に合わせ、必要最低限の装備で出撃する等、リアリティのあるものだった。

        自然の地形ではなく、人工物――ナノメタルによる増殖都市――が作り上げた対ゴジラ戦を目的とした巨大要塞。

        自己増殖した巨大な空間は人工物のようなのに、何処か有機的な印象もある。

        その造形に映画『プロメテウス』を想起された。造形が似ているのではない。その空間が醸す雰囲気が似ている。
        冷たく、全てを飲み込んでしまうような、圧迫感がある、同じ造形の反復。
        ナノメタルに取り込まれた、逃げ遅れた人間の遺骸からも。

        ナノメタルは人間をも取り込み、同化することができた。

        ナノメタルを造り出した人型異星人・ビルザルドたちは自らの意思でナノメタルと同化し(人間では無くなってまで)、特攻してゴジラ・アースを斃そうとする。

        命令を遂行し、敵を撃破することは兵士として正しい。
        だが、行き過ぎた合理主義、スポ根、感情の否定がたどり着く、未来の無さ――人間存在の否定。
        「ゴジラを斃すためには、ゴジラのようなものにならなければならない」
        そういう考えに至ったビルザルドの人々は、人としての生を否定する。

        その言葉に、私は平野耕太『HELLSING』の吸血鬼アーカードが言った、「化物を斃すのはいつだって人間だ。人間でなければいけないのだ!」という慟哭を思い出した。

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        人であることを棄てることを望まなかったハルオの行動で、ゴジラは斃せず、またしても犠牲を払う……ただしゴジラが齎した破壊ではなく、追い縋った“毒”――フツアの少女はナノメタルをそう呼んだ――によってもたらされた、人間としての存在の危機だった。

        衛星軌道上にいる帰還した人類からの支援も期待できない上に、ビルザルド達を殺害したのが人間のハルオであることで、船内で暴動が起こってしまうのではないだろうか…現状維持を望む人間と老人ばかり残っているあの船内の人々に、未来はあるのだろうか?

        もう一つの人型異星人・エクシフのメトフィエスは、故郷を滅ぼした怪獣をキドラと呼んでいた――次作ではキングキドラが来てしまうのか!?
        エクシフに予言をもたらす石の存在とビルザルドの力を借りて復元させた聖遺物のようなコインがある。メトフィエスはキドラの来訪を知り、毒には毒を持って征すという考えのもと、邂逅させようとしているのだろうか?

        怪獣惑星となった地球に残った人類の末裔と思われるフツアの民。
        公式サイトでは“昆虫の遺伝子”とあった。
        残った人類が生体工学をもって生き残る術を身に付け、適応したのかと思った。

        だが、フツアの民と彼らの里にいた人間たちにだけに着いていた、キラキラしたものが燐粉だという……そのキーワードで想像してしまう。
        それってモスラではないか?

        特撮でもモスラと意思疎通ができる小美人は双子設定だった。
        フツアたちの会話のなかで“怪獣に挑み敗れた存在”があり、“卵”が残され、そこからの応答を待っているようだった。
        特撮のモスラが孵化する前の卵の発見から始まるように、もしかしたら次作で“卵”が孵るかもしれない。

        もし、ゴジラ、キングギドラ、モスラが現れるのなら――
        かつての三つ巴映画へのオマージュは、二万年の時を経て戻ってきた人類と、二万年の時を共に地球にいた人々に、どんな結末をもたらすのか。
        とても楽しみだ。

        メトフィリスが持っていた、聖遺物のようなコイン。
        不思議な図形だった。
        これはエクシフを象徴する図形らしい。(前作では私は気づかなかった)
        七芒星のような、しかし鋭角が互いに向かい合うようになっているため、十四芒星というべきだろうか?
        図形として、非常に興味深い。

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        映画『ブラックパンサー』感想――渾身のアフリカン・カルチャー・リスペクト

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          JUGEMテーマ:SF映画 一般

          映画『ブラックパンサー』チラシ

          公式サイト:
          https://marvel.disney.co.jp/movie/blackpanther.html

          前回?映画『シビル・ウォー/キャプテン★アメリカ』で存在感のあるキャラクターだったブラックパンサー。
          満を持してその映画が登場。

          マーベル映画『アベンジャーズ』シリーズへの布石でもあるわけで、物語は堅苦しいことを抜きにして娯楽映画なのだが、最近の傾向らしく“社会派”な要素も含まれていた。
          アメリカ社会における低所得者層になりやすい、人種差別的な問題も含め……しかし、今回は割愛。

          この映画について感想を書こうとすると、実験的であり革新的にも感じた、アフリカ・カルチャーへのリスペクトについて、言及せざるをえないだろう。

          主要登場人物が白人以外

          2016年の第88回アカデミー賞は“白すぎるオスカー”と揶揄された(※1)。その反動ともとれる。
          寧ろ、今までこんなに黒人を起用した映画があっただろうか?
          それもアメリカ農奴制度や南北戦争、アパルトヘイトなどをテーマにした映画以外で。
          アクションシーンでは黒人特有の身体能力を遺憾なく発揮しているようにみえ、見ごたえがあった。

          水がない世界

          動物は水が無いと生きられない。命を繋ぐ存在だ。
          しかし、この映画で水は命を支える存在とは違う立ち位置にあるようだった。
          まるで死の象徴だった。

          決闘の場所が滝で、主人公ティ・チャラ(ブラックパンサー)が敵役・エリックによって王位をはく奪され、滝壺に落とされた。死に瀕したティ・チャラが蘇生する際は、正当な手続きとは異なる通過儀礼として、赤い土とは対を成すような白い雪(氷)に包まれていた。
          それにエリックは黒人が奴隷船での航海中に己の尊厳を守るために海に投身自殺したというエピソードを語る。

          流血禁止のディズニー映画なので一滴も流れないわけだが、そのため全体的に“乾いた”印象があった。
          エンドロールの映像はR&Bにのせて、ビビットなカラーの上に砂絵でアフリカン・テキスタイルに見る幾何学文様が展開されている点でも、水気のあるものを徹底的に排除したのだろうか。

          ……よく考えたら、アフリカの水事情は未だに良いとは言えないし、現実的ではないためかもしれない。水を引いたら象さんが水を飲むためにトイレを破壊しに来るらしい。(※2)

          アフリカン・カルチャー

          デザイン ――テキスタイル、装束、意匠

          映画全体の特筆すべきことだろう。
          ビビットなカラーとアースカラーのコントラスト、シンプルで素朴感がある幾何学文様。それが映画全体に彩を添える。
          ティ・チャラの妹・シュリの地下研究室に続く螺旋階段は、まるでDNAの二重螺旋構造のようだった。人類発祥の地であるアフリカへのリスペクトだろう。

          それはキャラクターの衣装にも表れている。(※3)
          ワガンダを支える五部族の装束は多様で興味深かった。それらは現実のアフリカ民族衣装がベースである事は言わずもがな。川の部族と呼ばれる族長は、スリ族やムルシ族のように皿を唇にはめていた。(あの装束は女性だけではなかったか?※4)

          ミュージック

          エンドロールではヨーロッパの古典音楽的なエピック・ミュージックと掛け合うように、アフリカのリズムが交差する。
          まるで二重螺旋構造のように、並列して合いそうで合わないリズム。
          アフリカ音楽に疎いので、私は聞いていると拍子(ビート)が奇数のように聞こえた。そのため、ヨーロッパ音楽の偶数の拍子の間を縫っているようだった。
          合致しそうでそうならない。そのもどかしさが気になる。
          日本は一拍一音の拍子でリズムに弱いと言われているためだろうか……(個人的な経験だが、このためフラメンコのリズムを理解するのに凄く時間がかかった)
          この拍子は何なのだろうか?

          アフリカの子どもたちに三拍子の曲を聴かせると,二拍の手拍子を叩く.曲が「1.2.3.1.2.3.」とリズムをとる間を,「1.2.1.2.」のタイミングで手拍子を入れる.音そのものではなく,曲と手拍子がぴったり一致しないことでできる微妙なタイミングのズレが,アフリカ人にとっての「リズム」そのものなのだそうだ.
          (中略)
          昔から,二拍子や四拍子は,歩くリズムだから体に染み付いている自然なリズムだが,三拍子という割り切れないリズムが,なぜ無理なく聞こえるのか不思議だったが,これは心臓の脈拍なのだそうだ.「心臓がドキドキする」という言い方をするが,実際の心音は「ドッキドッキ」という,三拍の真ん中を抜いたような三拍子を刻んでいる.心臓の筋肉が全身に血液を送り出す時の,やや時間をかけてギュッと絞りだす動き.逆に心臓に血液が流れこむ時の,一瞬の動き.心音は,その動きに合わせて動く心臓の弁の音なので,自然に三拍子を刻んでしまう.
          そして,心臓が三拍子を刻むと同時に,足が二拍子をとる.心臓を動かしながら歩き続けるのが,人間の基本的なリズムだと,アフリカ人は考える.だから上述のような手拍子を合わせるのだ.

          リズムとズレ – oldbadboy.com
          https://oldbadboy.com/2016/04/25/リズムとズレ/

          ボザノバなどのラテン音楽をよく聞くと,背後で主にクラベスという拍子木が,このケニケニのリズムを刻んでいるのがわかるはずだ.アフリカから奴隷として連れ去られ,南米で生きることになっても,故郷の心臓と足のリズムまで奪うことはできなかったのだ.

          リズムとズレ2 – oldbadboy.com
          https://oldbadboy.com/2016/06/20/リズムとズレ2/

          音楽の中にもそうした敬意を込めている、その力の入れようが見ている私にも強く伝わってきた。


          リスペクトしているとはいえ、消化不良気味な点は否めない。
          アフリカ・カルチャーといっても、どこか“なんちゃって感”がある。私が気になったのは壁の落書きとか、都市構造とか。

          壁の落書きに関しては、個人的には“治安の悪さ”の象徴が出発点のため、ダウンタウンのイメージと架空国家“ワガンダの歴史のイメージ”が結びつかない面があった。
          そこから“ストリートアート(※5)”として創造性や情報発信としての力の強さが見出され、“コミュニティーアート”として地域再生や可能性が模索されてきた昨今なので、もちろん“アート”として見れるのだが。
          ……比較的治安の良い都市でも、歴史ある街でも、世界のどこかには必ずスプレー落書きがあるからいいのか?

          都市構造に関して言えば、アフリカ大陸でも現代的な高層ビル群化が進んでいるところもあるので仕方ないと言ってしまえばそれまでだが、西洋文化の焼き直し的でアフリカの都市情景という印象が無い。
          そう思わせるのは、単に私が広大なアフリカの大地に高層な建物のイメージが結びつかないためだろう。
          もし外界から遮断され地下資源を活用する都市なら、私だったら地上は平屋づくり(高くても3階建てとか)で地下都市が広がっているとか考えてしまう。その方が灼熱の陽射しから逃れられるし、ある意味隠れられるし。

          王のあり方 ―― 一国の指導者として

          映画終盤、ティ・チャラはヴィブラニウムを人類共通の財産としてシェアすることを公表する素振りを見せている。
          ただ、自国の国益を第一に考えるのも、王の姿勢として必要なことだ。
          ヴィブラニウムを放出するよりも、寧ろ農業国としての掘削技術や、治水技術を先に提供すべきではないだろうか?

          ……とは言え、現在公開されている映画『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』の予告編を見る限り、世界規模の戦闘になる以上、対抗手段としてのヴィブラニウムを人類が手にしていないと人類は壊滅してしまうから、そのための布石だろう。

          さて、先日『インフィニティ・ウォー』も公開。
          ドクター・ストレンジも合流して、マーベルドリームチームが最強の敵に挑む……
          何だかスケールが大きすぎて、消化不良を起こしそうなんだけど……

          1. アカデミー賞は人種差別? 白人俳優しか候補にならず - BBCニュース (2016年01月22日)
            http://www.bbc.com/japanese/video-35379137 (2018/5/)
          2. 2  アフリカで水洗トイレをつくったら象が水を飲みに来る問題 | netgeek
            http://netgeek.biz/archives/95740
          3. トリビア満載!『ブラックパンサー』イースターエッグ・小ネタまとめ | Fan&'s Voice〈ファンズ・ボイス〉| ポップカルチャーのファンメディア
            http://fansvoice.jp/2018/03/30/blackpanther-easter-eggs/

            マーベル映画『ブラック・パンサー』の衣装を徹底解剖! | FUKROO [フクロー]
            https://fuk-roo.com/originals/1732

          4. 唇に大きな皿をはめたムルシ族!【少数民族巡りハイライト】 > 3 なぜ唇に皿を入れるのか?
              http://daiki55.com/mursi1/#i-3
          5. 「違法な」アートが街や企業を惹きつける理由−−ストリートアートで活気付く欧州の街を巡る | AMP[アンプ] - ビジネスインスピレーションメディア
            https://amp.review/2017/09/28/street-art/
          参考文献
          塚田健一『アフリカ音楽の正体』 音楽之友社 2016
          アフリカ音楽の正体
          福田明男『アフリカン・エスニック・デザイン』 柏書房 1992
          アフリカン・エスニック・デザイン
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          北川健次展「Prelude―記憶の庭へ」

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            JUGEMテーマ:コラージュ

            JUGEMテーマ:個展

            北川健次展「Prelude―記憶の庭へ」

            銀座・画廊香月にて。
            http://www.g-kazuki.com/

            〜2018/4/24(火)まで。

            再び、画廊香月での個展。
            実は去年もあったようだが、私は伺えなかった……

            築80年を超え、昭和初期のモダーンな雰囲気を今に残す奥野ビル(※1)。 レトロな空間が素敵だし、雰囲気が先生の作品に合っている。

            遒と△房められたコラージュオブジェは、『ルドルフ2世の驚異の世界展』を観に行った後の私には、ヴンダーカンマー、蒐集の極みの一部の様に見えてしまう。

            いつものように、気に入った作品の感想など。


            《美しきカリエラの〈眼〉のある肖像》

            DMに使われている作品。

            少女は湾曲したガラス越しにこちらを見ている。
            バロック――歪んだ真珠、それにちなんだ装飾過多の様式――を想起させるガラスは、そのいびつさ故に不安を掻き立てられ、ガラス越しという直視できない状態に、“隠された何かがある”ような緊張感を漂わせている気がした。

            サイコロに賭け事や占いのイメージをみる。
            私はそこから少女に対して、前者ならいかさま師を、後者なら先の見えない不可視なもの、運命の女神、予言者などを見出してしまう。

            《秘められた家族の肖像》

            見る者に対して横向きに座っていると思われる男性。その男性に寄り添う女性はこちらを見ている。男性と女性の顔を覆うように、ガラスのレンズが置かれている。そのレンズの縁は男性と女性の眼の縁を結ぶように配置されている、偶然の一致。
            サイコロの目のような、何かのゲームの数字版にある数は「2」「3」。そのすぐ脇に、斜めに置かれた小さなサイコロの目は「5」。単純に何か繋がりがあるのではないかと想像してしまう。
            小さなサイコロの傍から少年の目がこちらを覗き込んでいる……

            寓意的で暗示的な様に、 ブロンズィーノ《愛の勝利の寓意(愛のアレゴリー)》(※2)を思い出す。
            《美しきカリエラの〈眼〉のある肖像》同様に、ガラス越しの女性の視線。
            何かが隠されているような、思わせぶりにこちらを見ているように感じてしまう。
            そう考えてしまった時、女性は完全にファム・ファタール――男を破滅させる、運命の女――に見えてしまう。男性の肩に添えられた手は、まるで男性を支配してしまうことを暗示しているように映る。

            一番気に入った作品だったので、つい、饒舌になってしまった……

            先生と話していたら、この作品にはヴィスコンティ監督の映画『家族の肖像』(※3)のイメージがあったそう。

            《偽りの若きmontaigneの肖像機

            カンバスぎりぎりまでトリミングされた、横向きの女性の肖像に重なって配された歯車と用途不明の金具部品。 肖像の体軸に沿って配されたそれはまるで、横向きの女性がゼンマイ仕掛け――アンドロイド、すなわち『未来のイヴ』――であるように思えた。
            理想の美を再現しようとした試み……それが成功か失敗かは、見る人次第だろう。

            シンメトリックな造形ゆえに安定しているように思えるし、対称的なのに側面である女性像の不協和音……アンシンメトリーさが気になる作品だった。


            昔の作品などはもっと…ナイフみたいに尖っていたような気がしたが、現在の作品は何となく、観覧者に解釈を委ねるゆとりがあるように思ったり……
            それは観ている人間の内面を映し出している――観ている人が自身の内面を投影してしまう――ためだろう。

            先生は鑑賞者と作品の波長(のようなものだろうか?)が合う瞬間があるという趣旨の話をした。それは運命的な出会いか、必然か……

            袖振り合うも他生の縁、これら作品群を見て、他人がどんな感想を抱くのか聞いてみたい。

            北川健次先生オフィシャルサイト
            http://kenjikitagawa.jp/

            1. 1 築85年のアートな銀座「奥野ビル」から新たなデザイン&アートを発信 | 2017年記事
              http://sumau.com/2017/page_category/parent_information/urban_info/1372.html ( 2018/4/12 確認 )
            2. 2 ブロンズィーノ-愛の勝利の寓意(愛のアレゴリー)-(画像・壁紙)
              http://www.salvastyle.com/menu_mannierism/bronzino_amore.html ( 2018/4/12 確認 )
            3. 3 映画『家族の肖像』デジタル完全修復版 公式サイト|2017年2月11日 岩波ホールほか全国順次ロードショー
              http://www.zaziefilms.com/kazokunoshozo/ ( 2018/4/12 確認 )
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            映画『シェイプ・オブ・ウォーター』感想 ――水のかたち、愛のかたち

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              映画『シェイプ・オブ・ウォーター』チラシ

              公式サイト:
              http://www.foxmovies-jp.com/shapeofwater/

              大好きなギレルモ監督の作品。
              SFやファンタジー映画は受賞が難しいと言われるアカデミー賞(※1)において、作品賞を受賞した。(私の記憶の中では、せいぜい視覚効果賞くらい)
              見終わったあと、心にしっとりと染み入るものがある。

              極端な解釈をすれば、社会派な異類婚姻譚だった。

              スクリーンの中では、あらゆる表現に多様性がある。 アカデミー賞を受賞したのは、排他的でマイノリティにNOを突き付ける現政権に対するけん制だろうか…などと穿った見方をしてしまう。
              あるいは物語の中で、懐古趣味的な強いアメリカ「かくあるべし」に固執し行き過ぎた時の、閉塞感と挫折あるいは破滅を端的に表していることに気付いたのだろうか……

              声を失い手話ではなす主人公・イライザをはじめ、彼女をとりまく人々は、マイノリティであるが故に社会の底辺を生きる人々だ。
              黒人のゼルダ、時代の変化に取り残され失業している同性愛者・シャイルズなど。

              色々な考えが、断片的に浮かんでくる…下記はちょっとした考察。

              ギレルモ監督作品にお馴染みのダグ・ジョーンズ氏演じるクリーチャーは、パンフレットでは「不思議な生きもの」となっていたが、見た目から勝手に“魚人”とする。


              覆される“イメージ”

              映画全編を通して、青緑と深赤のコントラストが美しい。

              ギレルモ監督の前作『クリムゾン・ピーク』では深紅が印象的だったし……まるでそれに対を成すような色彩。
              『クリムゾン・ピーク』では色が登場人物の心象を象徴したり、今後の展開を暗示するものだった。

              緑はアメリカでは不吉の色(※2)とされていたり、赤には冒頭の火事、鮮血を意識させる。
              緑と赤に不吉なイメージを見いだしてしまう偏向した考えにたいして、釘を刺された気がした。

              物語――神話、童話

              ゼルダがデリラ――旧約聖書で粗暴な英雄を罠にかけた女性――に見立てられるも、 名前が裏切りを直接暗示することはない。寧ろ機転を利かせ、イライザに危機を端的に伝えた。

              アンデルセンの童話『赤い靴』や『人魚姫』を彷彿させる物語展開も、カタルシスを感じさせるものにはならない。

              卵と魚 ――融合

              鳥のイメージに結びつく卵と、魚(人)は、私の中では対のイメージを持っていた。
              空と海、空気と水、高く飛翔するものと深く潜るものといった具合に。
              ……もしかしたら、押井守作品に感化されている(※3)のかも。(私が)

              映画のシーンで、熱湯の中で茹でられてゆく卵と、イライザの浴槽の中で行っているセルフプレジャーのヴィジョンが重なる。
              卵は誕生を暗示させ、子を産む能力を備えている女性と密接に関係するだろう。つまり、卵はイライザを象徴するのかも知れない。

              そして魚人は言わずもがな。魚。
              魚人が卵を食べるのは、良質なタンパク質が必要な生きものであるためだけでなく、愛の成就のかたち、融合をも表わしているのではないだろうか?

              卵(復活)と魚(ΙΧΘΥΣ / イクトゥス)、といったキリストを暗示させるし、魚は女性性と結びつき(※4)卵も然り(※5)。
              魚人については「アマゾンの原住民は神として崇めていた」といわれていた。そして映画終盤では、それこそ神のような存在として描かれている。

              愛のかたち

              愛に理由はない等、古今東西、さまざまな表現がされていると思う。

              物語上に明確な動機付けはなく、イライザと魚人は交流から情愛が静かに育まれてゆく。

              それは水のように形をかえる。
              tap dance、love song、そしてmake loveといった具合に。

              どちらかの死による別離でもなく、イライザが『人魚姫』のように泡となって消えることもなく、『美女と野獣』のように魚人がイケメンに変身することはなかった。
              愛の成就、博士が指摘したアマゾンの神の恩恵は、愛を与えたものに与えられた。

              懐古趣味 ――素敵な音楽と「昔は今より酷かった!」

              愛情を伝える手段としての音楽は、「古き良きアメリカ」を象徴するアイコンでもある。
              モノトーンのブラウン管から流れる、快活で楽し気な音楽に象徴される、懐古趣味……
              その余韻に浸っていると、当時の日常の理不尽が描かれる。 当たり前のような暴力と人種差別と下世話な会話が繰り広げられていたり……
              全てが美化されたものではない。あの当時の現実の片鱗ではないだろうか。

              ただ、私はアメリカの「今」を知らない。 だから私は、日本の今の基準で見て、落ち着かない狭くて汚いトイレに嫌悪感を抱く。

              分煙意識も、禁煙キャンペーンも無かった時代、日本でも 煙草なんてそこら中で吸っていた。

              イライザにセクハラをする警備主任のストリックランド。

              民間企業でも個人情報保護やセキュリティ対策が重要な現在では信じられないような、ゆるゆるなセキュリティ。(まぁ、フィクションなのでこうしないとお話が進まないだろう。)

              男性原理的な成功への執着

              鼻持ちならないストリックランド。
              敵役で、イライザと何もかもが対照的である彼が、もう一人の主人公と言える。

              身だしなみはきちんとしていてお洒落なのだが、人間的にできていない。
              丁度、映画『キングスマン』シリーズを観た後だったので、“Manners maketh man”という言葉を送ってやりたいくらいに。
              おそらく当人も自覚があるのではないだろうか…自分のデスクで『ポジティブ思考』という自己啓発本を読んでいるくらいなのだから。

              彼は行き過ぎた男性原理の負の面の象徴だ。

              それを一番に表わしているように思えたのが、彼の下手なセックス。
              彼のベッドシーンは、愛ある行為というよりポルノまがいの代物で、強姦しているようにしか思えない。(※6)
              着衣のまま、激しくピストンしていた。

              イライザは服を脱ぎハグするところからはじまっている。セックスの仕方まで、イライザとは対照的なのだ。

              彼は持ち家があり、子供にも恵まれ、彼を愛する妻もいる。しかし、当の彼自身は、絵に描いたような理想の家庭を“演じている”だけだった。
              “成功する”という言葉に囚われ、“なぜ成功したいのか”が抜け落ちているように、私には見えた。
              例えば「家族を幸せにしたいから」などとは微塵も思っていないだろう。

              映画冒頭で魚人に食いちぎられた指は去勢の変化系にも思えるし、所有することが成功者の証とした新車の傷は、彼の男性原理的の傷であり、断たれたことを示している。

              成功を求めながら、根本的な部分が欠けていたため、努力しても(そもそもお門違いのため)無駄に終わり、身を亡ぼす。哀れな男の悲劇だった。

              断っておくが、これは「清貧者が救われる」という古い聖書解釈的な意味ではない。「本当に大切なものを大切にしたものが、互いに満たされ、昇華した」話だ。

              どうでもよい蛇足
              ギレルモ監督、決して美人とは言えない人を起用しても、すごく魅力的なキャラクターになる。凄い。
              魚人の姿にメガテンのアズミを思い出した……(パクリ疑惑とかではなく、偶然の一致として面白いと思っている。)
              1. 1 アカデミー賞はSFに厳しい?!アカデミー賞受賞を逃したSF映画
                https://ciatr.jp/topics/19166
              2. 2 

                アメリカでは何故、緑が不吉であるかはわからなかった……
                ヨーロッパにおいて、緑が深い森林の色であり、キリスト教前あるいは異教(自然崇拝)の色として徹底的に排除されたことを一因とするものもあった。

                参考文献
                small letter* labo 【追記しました】緑で手紙を書くとNGな理由
                http://letterlife.blog137.fc2.com/blog-entry-292.html
                映画の中の色彩  《緑の衣装は何を意味するのか?》 | 美しい生き方は20年のパリ生活が教えてくれた!90Days パリジェンヌ流ライフスタイル革命!
                https://ameblo.jp/11commerce/entry-11496030869.html
                浜本 隆志、伊藤 誠宏 編著『色彩の魔力 文化史・美学・心理学的アプローチ』
                色彩の魔力
                21世紀研究会編『色彩の世界地図』
                色彩の世界地図 (文春新書)
              3. 3 朝日新聞デジタル:「犬・鳥・魚」講座その2 ヒロインは不吉だ - 小原篤のアニマゲ丼 - 映画・音楽・芸能
                http://www.asahi.com/showbiz/column/animagedon/TKY201201220106.html
              4. 4 Fish(魚)
                http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/fish.html
              5. 5 Egg(卵)
                http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/egg.html
              6. 6 

                双方を双方でいたわりながら行うものがMAKE LOVE。“スローセックス”という言葉で日本でも認知度が上がってきていると思う。

                スローセックス実践入門――真実の愛を育むために (講談社+α新書)

                上記本で男性優位で射精だけを目的にした“ジャンクセックス”なるものは、一番ダメなセックスだった。

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              神聖ローマ帝国皇帝 ルドルフ2世の驚異の世界展

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                JUGEMテーマ:展覧会

                神聖ローマ帝国皇帝 ルドルフ2世の驚異の世界展

                公式サイト:
                http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/18_rudolf/

                またも開催期間終了間際に行ったので、終わってしまった展覧会の備忘録……
                アルチンボルト展の補完も兼ねて行ってきた。

                今回の展覧会で学べたことは、奇想の画家・アルチンボルトの発想の源であるクンストカンマー(驚異の部屋。様々な珍品を集めた博物陳列室。ヴンダーカンマー。ここでは展覧会に倣い、引用以外クンストカンマーに統一。)、その片鱗とルドルフ2世の人柄と、を垣間見た。

                当時最先端の知識であった占星術、錬金術への関心は、国策として学問を推奨した一環ではなく、ルドルフ2世の自己の欲求・自己実現のためという印象が、私には強かった。


                私はそれまで、マニエリスムの画家たちによる『オルフェウス』『ノアの方舟』を主題にした絵画を観た時、画面構成、深い森の描写と動物の種類の多さに圧倒されていた。
                アルチンボルト展を観てから、クンストカンマーや博物学的な視点から描かれた背景を知った上で鑑賞すると、1枚の絵画がひとつの動物園だったことが分かる。

                アルチンボルトの名画だけではない。
                絶滅前のドードー鳥の姿を描いたことで有名な鳥専門の画家・ルーラント・サーフェリー。ヤーコプ・フーフナーヘルの花蝶図を見ていると、後のバンクス花譜(※1)やキュー・ガーデンの植物誌『ボタニカル・マガジン』などの後のボタニカルアートに通じることがわかる。

                マニエリスムの画家たちの動植物への観察眼に、世界を理解しようとする情熱を感じた。

                ヨーリス・フーフナーヘル(※2) 《人生の短さの寓意(花と昆虫のいる二連画)》
                展覧会の宣伝を見て、私が一番見たかったもの。

                学術的な細密描写に加え、装飾性に優れた構図、寓意に満ちた――メメント・モリを強く意識させる――美しい絵だった。

                シンメトリックな美しさは、後のグロテスク様式(※3)の系譜だろうか?

                ヨーリス・フーフナーヘル《人生の短さの寓意(花と昆虫のいる二連画)》
                ヨーリス・フーフナーヘル《人生の短さの寓意(花と昆虫のいる二連画)》

                変態する蝶はそのまま変容の象徴で、魂、人の一生を暗示している。蝶が古代ギリシャ語で魂を示すことも含めていると思った。

                バルトロメウス・スプランガー《ヘラクレスとオムパレ》

                男性的原理の象徴のような、英雄ヘラクレスが女装することで有名なエピソードが主題(※4)。
                男女の役割を入れ替えた滑稽さよりも、両性具有的なもの、錬金術的な融合を暗示しているように、私には思えた。
                ヘラクレスとオムパレの顔は半面しか見えず、接吻あるいは融合しているような配置はからもそれが伺える。

                プラハ城に収蔵された彼ら(アルチンボルト、ルーラント・サーフェリー、ハンス・フォン・アーヘン、ヨーゼフ・ハインツ(父)、ヨリス・ホーフナーゲルと前述)の作品にはギリシア神話に題材を借りて男女の交歓を描く、エロティックな絵が数多く含まれていた。男と女という対照的存在の交わりは、当時、錬金術的な寓意をもっていた。錬金術とは、さまざまな素材を掛けあわせ、本来人工的には作りえないはずの金を精製しようというもの。その根底にある考えは、異質なもの同士を組み合わせて新たなものを作り出そうということだ多種多様なものを描き込んだ結果、最後に人の顔が出現するアルチンボルトの絵とも通じる。

                小宮正安『愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎』 2007年 p.113 カッコ内、亜綺羅追記。

                愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎 (集英社新書ヴィジュアル版)

                その融合がアルチンボルトのだまし絵を生むひとつの布石だった。

                ルドルフ2世の人物像について

                展覧会会場では、文芸に造詣が深い王として紹介されていたが、その略歴を見ると、あまり幸福な王とは思えなかった。

                暴君と言われた古代ローマ皇帝ネロ、狂王・ルードヴィッヒ2世の例に漏れず、政治的に無能とされる王は文化・芸術を愛好する傾向があるし……
                展覧会会場を廻っていていて、ルドルフもそうだったのだろうと考える。

                ルドルフ2世の人物像を知りたくて、会場を出たあと、簡単な書籍を斜め読みしてみたが……
                エピソードや人物像に、本もウェブもページを割いたものが皆無だった!(※5)

                いかにも無力な君主だった。失敗つづきで、ハンガリーやモラヴィアやオーストリアから愛想をつかされた。向こうみずな勅書を出して信教の自由を認めたために、宗教界に大混乱をきたした。軍にそむかれ、ドイツ軍がボヘミアの領界を侵しても見すごすしかなかった。あげくのはてはボヘミア王の王冠を弟のマティアスに奪われた。

                池内紀、南川三治郎『ハプスブルク物語』 1993年 p.43

                ハプスブルク物語 (とんぼの本)

                ルドルフ2世のクンストカンマーへの情熱は、現実逃避という解釈がされてる。
                今回の展覧会を観て私は、全てを放棄したのではなく、ルドルフ2世自身は良い王になりたかったのだと思う。(後の狂王程ではないという意味で)
                対立ではなく、ルドルフ2世が理解できる基準(占星術や錬金術)で分類された調和のとれた世界で。
                その理想がクンストカンマーだった、と。

                しかし、‘ルドルフ二世が夢見た、ヴンダーカンマーを通じての帝国再建は幻に終わった。政治の世界では、現実的な手腕が大手を振り始めていた。ルドルフ二世は奇人皇帝のレッテルを貼られ、失墜した(※6)’。

                ルドルフ2世の秩序ある混沌は、結局のところ現実世界には何の効力も無かった訳だ……

                私にクンストカンマーへの関心を高くさせたのは、昨年見た映画『エイリアン:コヴェナント』(以下、コヴェナント)に出てきた、ディヴィッドの研究室。
                クンストカンマーそのものだった。
                『コヴェナント』を観ていて、ディヴィッドのそれは、“エンジニア”の技術をを理解しようとする試みよりも、エイリアンという生命を生み出そうとする情熱よりも、「何か」を支配しようとする思いの方が強い印象を受けていた。
                アルチンボルト展でクンストカンマー(ヴンダーカンマー)を調べた時、私の中でそれが確信に変わった。

                そういえぱ、『エイリアン』シリーズにおける、デザインを手がけた、H・R・ギーガー氏。
                晩年の彼を捉えたドキュメンタリー映画『DARK STAR /H・R・ギーガーの世界』(以下、ギーガーの世界)で映し出されるギーガーの家は、自身の作品と本などが積み上がっていた。『ギーガーの世界』に出てきた精神科医は、戦争経験者の収集癖の強さを指摘していた。(※7)
                中世の貴族の流行もさることながら、ルドルフ2世にトラウマがあったのではないだろうか?

                物を溜め込む習性――現代では一般市民が「片づけられない」“汚部屋”に悩んでいる傾向が強そうだ。

                わたなべぽん『やめてみた。 本当に必要なものが見えてくる暮らし方・考え方』など片付け本で指摘されるように、物への蒐集・執着はコンプレックスを補うための武装であり、結果、部屋が物で溢れかえる。

                やめてみた。 本当に必要なものが見えてくる暮らし方・考え方

                蒐集品が増えすぎてしまった結果、従来のように一つの空間ではヴンダーカンマーをまかないきれなくなったという事情もある。蒐集品の中にはプラハ城に運び込まれたのはよいが、結局荷解きされぬまま倉庫に眠ってしまったものも多数存在した。

                前述『愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎』 p.115

                ルドルフ2世は皇帝だからか、経済力も居住空間も申し分ない広さがあったため、生活に支障をきたすような汚部屋にはならなかったようだけど……

                そのコレクションも、ルドルフ2世の失脚と共に首都がウィーンに戻されたり、各国の侵略の戦利品として持ち出され、散り散りになった。
                ルドルフ2世の驚異の部屋はもうない。
                その片鱗が、今は私たちの目と想像力を楽しませてくれる。

                1. 1 Bunkamura25周年記念 キャプテン・クック探検航海と『バンクス花譜集』展 | Bunkamura
                  http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/14_banks/index.html ( 2018/3/24 確認 )
                2. 2 Joris Hoefnagel
                  https://artsandculture.google.com/entity/m050c85 ( 2018/3/24 確認 )
                3. 3 グロテスク(Wikipedia / 日本語)
                  https://ja.wikipedia.org/wiki/グロテスク ( 2018/3/24 確認 )
                4. 4 

                  同主題を扱った絵画は多々ある。

                  《ヘラクレスとオンファレ》 | ルーヴル美術館 | パリ
                  https://www.louvre.fr/jp/oeuvre-notices/《ヘラクレスとオンファレ》 ( 2018/3/24 確認 )

                  作品詳細 | 東京富士美術館 > ヘラクレスとオンファレ
                  http://www.fujibi.or.jp/our-collection/profile-of-works.html?work_id=485 ( 2018/3/24 確認 )

                5. 5 ルドルフ2世 (神聖ローマ皇帝)(Wikipedia / 日本語)
                  https://ja.wikipedia.org/wiki/ルドルフ2世_(神聖ローマ皇帝) ( 2018/3/24 確認 )
                6. 6 前述『愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎』 p.126
                7. 7 

                  映画の字幕では特に明言はされていなかったが、おそらく溜め込み障害(Hoarding Disorder)を指しているのかもしれない。

                  強迫的ホーディング(Wikipedia / 日本語)
                  https://ja.wikipedia.org/wiki/強迫的ホーディング ( 2018/3/24 確認 )

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                映画『キングスマン』シリーズ感想

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                  JUGEMテーマ:映画

                  公開当時、この映画に関心を持っていなかった。トンデモ武器やジョークさに時代遅れな印象を持っていたためだ。
                  丁度、映画『007』シリーズ50周年企画作が公開され、洗練されリアリティを追求したものに重きを置いている方が斬新だった。

                  今年のお正月映画として続編の公開もあり、『KINGSMAN THE SEACLET SERVICE』を観たところ……衝撃的な作品だった!!
                  これがきっかけとなって、劇場に足を運んだ次第。

                  ……前作程の大きな衝撃は無かったけれど、新旧ガラハッドの連係プレイに隙は無かった。

                  !以下、ネタバレあり!

                  KINGSMAN THE SEACLET SERVICE ――階級社会への皮肉

                  公式サイト
                  http://kingsman-movie.jp/

                  良い意味で、『007』のハイテクとユーモア、『オースティン・パワーズ』のポップな色味を取り入れている映画。コテコテのイングランド・カルチャーだった。

                  諸々、わざとらしく“イギリスらしさ”を象徴するなものが現れてくる。
                  『007』でも”イギリスらしさ”を表現していた。それは場所などで表現され暗示的・象徴的なものだったが、『キングスマン』はもっと生活に密接なカルチャー寄りだ。

                  諜報部員の基地となる場所が仕立て屋。ギネス(…はアイルランドだけど)にスコッチ(…はスコットランドだけど)、紳士の嗜みとしてのスーツに葉巻(最近は禁煙キャンペーンと規制もあって、喫煙シーンは少なかった)など。
                  キングスマンのメンバーのコードネームは言わ ずもがな『アーサー王の死』などに代表される、円卓の騎士達に由来する。 でも文学的な示唆、物語を踏まえた暗示を持たせている訳ではなかった。

                  格差社会

                  イギリスが階級社会であることは有名な話。今もそれは変わらない。
                  それが物語の真相の一端を担っている。

                  「世界がちっとも良くならないのは、人類が多すぎるためだ」

                  投資家・ヴァレンタインの世界を良くしたいという思いはなかなか上手くいかない。
                  投資をしてもそれは即効性のあるものではないし、必ず何かの弊害――多くの人間の利害に纏わる駆け引き等―ーによって頓挫するのだろう。
                  ヴァレンタインは失意と怒りからか、発想が選民思想となり、彼が線引きした世界に対して役に立たず数が多い低所得者層を大量虐殺することを目論む。

                  ヴァレンタインの考えとは別に、富裕層は特権への執着と保身から賛同し、別の場所で低所得者層は置かれた境遇は搾取されたためと、互いの不満を相手に向けている。
                  双方ともに特定の相手に直接ぶつけるものではなく、抽象的で匿名な存在としての富裕層、低所得者層に対してだが。

                  片田舎の教会で低所得者層を煽る神父(牧師?)と熱気を帯びた人々の姿に、前回のアメリカ大統領選、トランプ氏の選挙活動の光景を見てしまうのは私だけだろうか?

                  Manners maketh man

                  Manners maketh man.(※1)

                  良い言葉だと思った。この言葉は富裕層と低所得者層双方に向けられている。
                  前述の階級社会に囚われ互いに非難し排他的になる人々に対を成すような、紳士の哲学。
                  生まれ、家柄の問題ではなく、教養や礼節を身に着けることが人間(紳士)であると。

                  低所得者層の人間はヴァレンタインの陰謀で礼節を失い攻撃的になり殺し合いをはじめてしまうが、主人公の一人・エグジーの機転から(偶発的に)鼻持ちならない金持ちと特権階級にしがみつく人々の頭が爆発する……!
                  イギリスを代表する作曲家・エルガー(※2)の『威風堂々』に合わせて 展開されるこの痛快なシーンだけで、全てが吹き飛ばされてしまった……

                  KINGSMAN THE GOLDEN CHERCLE ――麻薬問題をどう扱いたかったのか?

                  公式サイト:
                  http://www.foxmovies-jp.com/kingsman/

                  前作に比べて、大きな衝撃は受けなかった……
                  それにツッコミ所が多い。色々なフラグ回収――細かい設定の一貫性に乏しかったため。

                  コテコテのアメリカンポップ&ウェスタン・カルチャーだったが、散漫な感じだった。
                  アメリカの、時代も背景もバラバラな文化のパーツをつまみ食いしているようで洗練さが足りず、イギリスとタメを張れない。
                  諜報部員とそれらカルチャーが結びつかないためだろう。

                  さらに「弱者(低所得者層)を切り捨てる強者(富裕層)」という前作からの設定を踏襲しようとして、失敗した気がする。

                  • イギリスを代表する文学の名前からとるキングスマンの諜報部員に対して、酒の名前という単純さが安っぽい。
                  • キ ャラクターの扱いが雑である。紅一点ランスロットやハル・ベリーがもっと活躍して欲しかった…!
                  • ゴールデン・サークルという言葉にゴールド・ラッシュへの暗示かと思ったが、24金の入墨の意匠に意味的重みは無かった……

                  依存症問題

                  用意周到なヴァレンタインの計画内容と比べ、今回の悪役・ポピーの動機は非常にお粗末だった。
                  それは違法麻薬を合法化することで、億万長者としての名声を手に入れたいとするもの。

                  「酒類は合法なのに、何故、麻薬は違法なのか?」

                  そこから麻薬問題が提起されるが、それに対する明確な回答が用意されていない。
                  社会に蔓延する問題をクローズアップしているけれど、問題点や改善するための試みであれ、煮詰められていなかった。

                  せいぜいがウイスキーで財を成し諜報部の資金源としたステイツマンとの対立構造を暗示させるに留まっているように、私には感じられた。
                  なぜなら麻薬の問題とは依存症問題でもあるため。
                  依存症――特にアルコールに関する――問題はアメリカでは身近な、映画業界でも馴染みのある問題だった(※3)はず。にもかかわらず、アルコール依存症ついては全く言及されていなかった。

                  麻薬に毒物を仕込み、それを摂取した世界中の人々の命を人質として米国大統領に条件をのむよう要求するポピー。
                  しかし大統領は麻薬常習者と違法組織を一掃する好機と捉える。

                  麻薬カルテルのキャラクターや常習者(薬物依存症患者)がアンダーグラウンドな存在に限られているため、余計に大統領秘書官の進言が結びつかない。(結局、領秘書官が使用した薬物も、理由はどうあれ違法なものだった。)
                  医療用麻薬などの正規ルートに入り込んでいる描写が無ければ、非道さや危機感が募らないように私は感じた。(厳重に管理されているそれらに、ポピーの怪しい麻薬が入りこむような描写は無かった訳だが。)

                  ちなみに薬物であれ酒であれ、依存症は明確な治療法が未だ確立されていない。それに一言で“依存症”といっても、そのタイプは様々でアプローチの仕方が異なる模様。
                  デイミアン・トンプソン『依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実』では依存症を環境要因――4つの「入手しやすさ」(物理的、心理的、経済的、社会的)――から指摘していた。薬物も酒も。だが、麻薬には種類によって断ちやすいものと異常な執着をもたらすものがあり、一概には言えないという。(※4)

                  『ゴールデン・サークル』ではワクチンが配布され「もう麻薬はしない!」と大団円で終わるが、依存症そのものの解決には至っていない……


                  前述した階級社会に関連して、コモンクラス(一般市民)とハイソサイエティ(上流社会)では、実はテーブルマナーも異なるらしい。(※5)そのため、テーブルマナーで身分や教養が計られてしまうとか。
                  回想で表現されていた、先代ガラハッド・ハリーのテーブルマナー講座。ナイフの持ち方を指南しているやりとりが前作の雰囲気を想起させて微笑ましい。
                  前作の“Manner maketh man”を一貫して欲しかった。
                  今回は“なんちゃってマナー”に留まっていることが残念。グラスをキンキン鳴らさないで。耳障りだから。

                  1. 1 ひさしぶりに映画。「キングスマン」がおもしろかった! : Keri先生のシネマ英語塾
                    http://blog.excite.co.jp/kerigarbo/24705991/ (2018/2/11確認)
                  2. 2 エドワード・エルガー(Wikipedia / 日本語)
                    https://ja.wikipedia.org/wiki/エドワード・エルガー (2018/2/11確認)
                  3. 3 高橋祥友『「死にたい」気持ちをほぐしてくれるシネマセラピー上映中―精神科医がおススメ 自殺予防のための10本の映画』
                    「死にたい」気持ちをほぐしてくれるシネマセラピー上映中―精神科医がおススメ 自殺予防のための10本の映画
                  4. 4 

                    依存症を環境要因と解釈している『依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実』で挙げられた麻薬はヘロイン。ベトナム戦争時のアメリカ兵が現地でヘロイン中毒になるが、帰国後(ヘロインが入手できない環境になって)それを克服していることを紹介。
                    依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実

                    『ナショナル ジオグラフィック日本版 2017年9月号 【特集】脳科学で克服する依存症』では、コカインによる脳の報酬系( https://ja.wikipedia.org/wiki/報酬系 (Wikipedia / 日本語) 2018/2/11確認 )と呼ばれる機能に作用してしまう点と高い依存性に言及。依存症患者はコカインを摂取しない環境にいても忘れられず、再び手をだしてしまう傾向があることを紹介。
                    ナショナル ジオグラフィック日本版 2017年9月号 [雑誌]

                    上記から、私は薬物依存症は環境要因だけではないと解釈している。

                  5. 5 藤枝理子『もしも、エリザベス女王のお茶会に招かれたら?-英国流アフタヌーンティーを楽しむ エレガントなマナーとおもてなし40のルール-』
                    もしも、エリザベス女王のお茶会に招かれたら?-英国流アフタヌーンティーを楽しむ エレガントなマナーとおもてなし40のルール-
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                  映画『スター・ウォーズ / 最後のジェダイ』感想

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                    JUGEMテーマ:SF映画 一般

                    映画『スター・ウォーズ / 最後のジェダイ』チラシ2

                    公式サイト:
                    http://starwars.disney.co.jp/movie/lastjedi.html

                    赤いタイトルデザインから、フォースの暗黒面のニュアンスが色濃くなるのかと思っていた。だが違った。
                    それは旧三部作の二作目『エピソード5 / 帝国の逆襲』(以下、『エピソード5』)が帝国の勝利とジェダイの試練であったイメージを起因とするものだ。
                    実際、今回の『エピソード8 / 最後のジェダイ』(以下、『エピソード8』)は『エピソード5』を彷彿させる場面がある。
                    しかし焼直しではなくリスペクトしている気がした。新しい方向に向かうために……

                    ジェダイマスター

                    前作『エピソード7 / フォースの覚醒』(以下、『エピソード7』)クライマックスの目玉か、ルーク再登場。
                    彼は偏屈なじーさんになっていた!
                    『エピソード6 / ジェダイの帰還(復讐)』にて、落ち着き?のある青年、「ジェダイ・マスター」となっていたようだが……?

                    だがこれは、賢者(マスター)――静かな威厳を持ち合わせる男性像――のイメージから逸脱しているというわけではない。
                    厳格さや真面目さだけでは、真の賢者ではないのだ。
                    真の賢者はユーモアを持ち合わせている。
                    『エピソード4 / 新たなる希望』でルークが出会うオビ・ワンは周囲の人間から「変わり者」と呼ばれ、『エピソード5』で教えを乞うたヨーダは出会った当初“子供っぽいじーさん”として出てくる。
                    ルークもレイをおちょくるくらいのユーモアを身につけた模様。
                    そしてカイロ・レンのこともあって、偏屈になったようだ。

                    東洋の思想――ヨーガ

                    フォースの考え方はユングの心理学から間接的に東洋思想を基にしていることは、度々指摘されている。禅やそのルーツのひとつであるヨーガの思想も汲んでいるのだろう。
                    今回の『エピソード8』ではヨーガの思想とイメージを濃厚にしている。
                    ハリウッドの間でもヨーガが定着した今、それをおざなりにはしないだろう。

                    ジェダイの知識をしたためてあると思われる本はルークと、結果的にはヨーダの手によって焼きはらわれる。
                    「多少知識はつくがの」とヨーダが言うように、実践に勝るものは無い。それはヨーガの考えの中にもある。(※1)

                    ただ、映画終盤で宙に浮くのは……どうなのだろう……(笑)?
                    100年くらい前のステレオタイプなイメージ(※2)をあえて取り入れるあたり、ジョークなのだろうか?
                    私はインチキ臭い印象を受けてしまった。

                    暗黒面と胎内回帰

                    ユングの心理学における“影(シャドウ)”がすなわち“フォースの暗黒面”と呼ばれるものであろう。
                    ユング心理学が言う“影”とは「自分が認めたくない自分」であり、それが“劣等コンプレックス”を引き起こす。

                    『エピソード5』で、ルークは洞窟の中でダース・ベーダーの幻影と対峙して斃すも、切り落とした首(ヴェイダー)それが自分自身であるように、レイもまた暗い穴の先で自身の“負の面”――暗黒面と呼ばれるそれは、自身の中にあるコンプレックス――と向き合う。

                    以前の感想でも思ったが、この物語は抑圧された子供たちの葛藤(試練と克服)が描かれるのだろうか?
                    そのエピソードは、次作で完結するのか?

                    家族への想いが諦めきれないレイは“孤独”に遭遇する。だがそれは、彼女自身分かっていながら心の奥底に閉じ込めたものだった。

                    フィンは置かれた境遇、本人の気質もあると思うが、“クズ”という劣等感を持っている。
                    でもキャプテン・ファズマとの戦闘ではその“クズ”さを受け入れながら、レジスタンスに貢献しようとする。

                    癇癪持ちのカイロ・レンのコンプレックスは明確ではない。ただ、私は物語を観ていると、ジェダイを目指していたがルークにライトセイバーを向けられ、「暗黒面に堕ちた」と思い込んでしまったのではなかろうか……?
                    祖父であるダース・ヴェイダーに憧れるも、本質的には違うので、ダース・ヴェイダーにもそれを越えることもできない。

                    英雄の否定

                    古典的英雄譚である『スター・ウォーズ』が、英雄的行為を否定する――かなり踏み込んだストーリーだと思った。
                    『エピソード5』にあった英雄の“敗北という試練”ではない。

                    少数の腕の立つ人間が命の危険を伴う――場合によっては命と引き換えになる――行為そのものを否定する。

                    逃走するレジスタンスから追っ手を巻くため、レジスタンスの戦艦に照射しているマーカーを外すためにファーストオーダーの戦艦に乗り込むも、拘束され同伴したハッカーがレジスタンスの作戦内容を漏洩してしまう。
                    彼らの英雄的行為は完遂されず、それによって窮地に追い込まれ、称賛されるものではなくなる。

                    別の話と繋がるが、戦艦を囮に貨物船で脱出という作戦に『銀河英雄伝説』を思い出してしまった……
                    『銀河英雄伝説』では、その作戦が功を奏し、民間人を救う英雄的行為となったのだが……

                    権力組織の終焉

                    ジェダイもシスも、その形を変えようとしている――変えざるをえないだろう。
                    それを時代の流れ、と言い表せるのかも知れない。

                    シス――帝国は皇帝パルパティーン(ダース・シディアス)を失った後、どの様な経緯を辿ったか私は把握していないが、後進組織のファーストオーダーも最高指導者・スノークを失う。
                    皇帝パルパティーンはその不気味さや狡猾さで、ダース・ヴェイダーはその存在感――威圧感で充分、他者を屈服させることができたが、私にはスノークはカリスマを“演じて”カリスマになれなかったタイプに見える。
                    『エピソード7』を観ていて、スノークが巨大な立体映像を用いて――矮小な自身を大きく見せることで――カリスマ化を図っている様にしか見えなかった。 既にファーストオーダーも、“オワコン”化していたのではないだろうか?
                    カリスマを失った巨大組織を、カイロ・レンが率いてゆけるようにはとても思えない……

                    カリスマ不在は組織の、その権力の終焉を意味する。

                    私は度々、(特定の個人などに集中し、ヒエラルキー化する)権力の終焉と女性的性質と目される原理が関わりを持っていると考えている。(※3)

                    映画『スター・ウォーズ / 最後のジェダイ』チラシ1

                    女性の力の必要性

                    今回の映画から鑑みるに、凄く重要なキャラクターとしてシナリオが用意されていたことが伺える、レイア(将軍もとい姫)。

                    ジェダイではない、ジェダイの修行をした訳ではないレイア姫が、フォースの力を用いて生還するのは、ルークが「ジェダイの終わり」を悟っているのと関係があるのだろう。

                    フォースを使うことに長けた者たちの中で――主に男性たちが――師と弟子という形から、組織だったヒエラルキーのあるものをつくり出した。
                    それはライトサイド(ジェダイ)、ダークサイド(シス)双方ともに。(ただし、ダークサイド側は師弟関係が複数になると仲間内で殺し合いになるため、常に一組の師と弟子しかいないという。)
                    私は、それらヒエラルキーに属さない女性がフォースを使うことで、固定化したヒエラルキーを解消させる――“自由”を望む――そんなシナリオを想像していた。

                    それにしても、レイア姫もといキャリー・フィッシャー女史が亡くなられたのが残念な話で……
                    レイア姫は映画『ローグ・ワン』のピーター・カッシングのようなフルCGでの再現や、カットシーンからの流用などはしないとの事(※4)。
                    脚本を変えるのか、『ハリー・ポッター』シリーズのダンブルドア先生や『マトリックス』シリーズのオラクルのように、他の女優さんに代わるのだろうか?

                    1. 1 『スターウォーズ』のヨガ的名言集5選|〜マスター・ヨーダ編〜 | yoga generation [ヨガジェネレーション]
                      https://www.yoga-gene.com/philosophy/211858.html (2018/1/24 確認)
                    2. 2 空中浮揚 > 3 神秘主義・オカルト > 3.1 ヨギと空中浮揚 (Wikipedia)
                      https://ja.wikipedia.org/wiki/空中浮揚#ヨギと空中浮揚 (2018/1/24 確認)
                    3. 3 

                      私は前提として、「権力」というものが“男性的原理”と目されるもの(所有原理、支配欲)であり、それに対を成すように”女性的原理”(関係原理、それは平等、寛容、博愛)が存在すると考えている。これは性別に縛られるものではないが、男は“男性的原理”を、女は“女性的原理”を自然に扱えるのは事実である。

                      現代は様々な要因から、権力というヒエラルキーが終焉を迎えている(流動しやすくなっている)という。それは、現代が“女性的原理”を希求して止まない、そんな時代に突入したからではないだろうか?

                      参考文献
                      関係する女 所有する男 (講談社現代新書)
                      権力の終焉
                      女神的リーダーシップ   世界を変えるのは、女性と「女性のように考える」男性である
                    4. 4 遺族発言から一転…『スター・ウォーズ』エピソード9にレイア姫の登場ナシ - シネマトゥデイ
                      https://www.cinematoday.jp/news/N0091031 (2018/1/24 確認)
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                    映画『GODZILLA 怪獣惑星』感想

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                      JUGEMテーマ:映画

                      映画『GODZILLA 怪獣惑星』チラシ2

                      公式サイト:
                      http://godzilla-anime.com/

                      !ネタバレあり!

                      冒頭から人間の汚さ、弱さが描き出される。
                      口減らしのために、過酷な環境の惑星へ移住する人々――志願した人々だと言うが、その殆どが高齢者――を乗せた移民挺は、降下中に爆破する。

                      そこから回想に転じても、怪獣に対処できない人類、惑星外への移民船搭乗中にゴジラの襲撃を受け、大勢の人間が死んでゆく描写が続く……
                      蹂躙され、一瞬で死んでゆく(直接死の描写は無いが)人間たちの中に、主人公・ハルオの両親もいた。

                      移民船の中では、食糧の不足、新天地を見つけられないこと、飢えと寒さ、人工の狭い空間に長くいることで精神に異常をきたし自殺する人……
                      船内の行き詰まった感、閉塞感は死に至る病――絶望そのものだった。

                      それらの打開のため、主人公・ハルオの「ゴジラを斃せる」という提言を受けて、人類は地球へと帰還する。
                      宇宙船内の時間軸では20年。
                      地球ではウラシマ効果(※1)も相俟って、2万年の時間が経過していた――

                      着陸したのは日本のの丹沢付近と思われるが、植生が変化し密林になっていた。
                      一番感動したのは、“化石化したビル群”
                      無人になった建築物に苔が生え次第に体積したものが化石化した模様。建築物そのものは朽ちて無くなっても、自然は人間がいたことを忘れていなかった……感慨深い描写だった。

                      そしてゴジラとの遭遇。

                      “アニメだからこそ”できるシーンの数々。
                      小回りの利くバイク?でゴジラの周りを360°廻ったり、機体が大きいため的にされやすい飛行挺描写など。
                      今までのゴジラシリーズの大半が、メカゴジラに代表される巨大兵器に(ゴジラと)ほぼ同サイズの別怪獣だったのに対し、“人間”がゴジラに立ち向かっている描写は、特撮では表現できない、アニメの利点だと思った。
                      これはハリウッド版でさえ、表現していないものだと思う。(ちなみにゴジラは人間を食べないからね!)

                      ゴジラの生態調査はゴジラ討伐に繋がる。
                      人類の悲願を達成したかに思えたが、“ドォン”という重い音ともに、2万年の時を経た怪獣王――『ゴジラ』シリーズ史上最大の大きさ――が身を起こす。
                      映画館での音響の効果もあって、“ドォン”という音に驚いた……同時に、それは震災の時の振動や、もしかしたら戦時中を生きた人々には死に直結する爆撃音のイメージに近かったのだと思い至る。

                      ゴジラが一歩前に踏み出し、尾を回しただけで、調査隊が壊滅する……

                      映画『GODZILLA 怪獣惑星』チラシ1

                      1作完結かと思ったら、何と三部作……!
                      しかも、次作ではメカゴジラまで現れるという。

                      2万年という月日は、類人猿から現代人が進化した時間に相当。
                      つまり、生物が進化するのに充分な時間。
                      調査隊とは別の人影が、作中とエンドロール後にちらりと現れる。
                      彼女は生き残った人類の末裔だろうか?
                      あらゆる人種の混血が進んだためか、肌は浅黒い。
                      言語体系が変化している可能性がある……彼女とコミュニケーションできるのか?


                      いくつか疑問も残る。
                      宇宙航行をするうえで、閉鎖的な環境になる以上、枯渇するのが目に見えている。
                      植物工場(※2)やタンパク質確保のための昆虫食(※3)など、食糧の生産を促す施設の描写が特に無かった。

                      ならば月軌道上に拠点を置き、怪獣の目を掻い潜りつつ物資調達をしながらゴジラをたおす機会を窺えば良かったのではないか?

                      流浪の人型異星人・エクシフやビルザルドたちの目的が水と空気のある地球なら、人類は邪魔な先住民……人類が滅び、ゴジラを斃した後に移住しようとした、という穿った見方ができる。

                      参考:
                      INVESTIGATION REPORT|アニメーション映画『GODZILLA 怪獣惑星』OFFICIAL SITE > 映画前史
                      http://godzilla-anime.com/investigation/

                      否、彼らは宇宙の流浪の時間が長いから、彼ら基準で人間にもそれが可能だと思っただけなのかもしれない。
                      しかしエクシフ達の“宇宙信仰”もビルザルド達の“科学技術”も、人間を真に救うものとはならなかった……
                      それは現実世界の人間も同じか。

                      ゴジラとパワードスーツの巨大立像

                      初代『ゴジラ』は終戦後8年、戦争の傷痕を想起・追体験するもので、大人も対象にしたものだった。
                      しかし高度経済成長期を経てその悲壮感も失せ、戦争を知らぬ世代が増え、次第に子供向けになってゆく……
                      それをリセットし、原点回帰した『シン・ゴジラ』。
                      東日本大震災から5年、冷静に受け止められるようになった時期に再び災害を想起させる。
                      海から川を逆流してくる波、押し流される船や車、果ては家に、瓦礫に押しつぶされた人の姿など……震災以前は想像しえなかったもの、震災を経験したからこその映画表現だった。

                      今回の『GODZILLA 怪獣惑星』(以下、“アニゴジ”)が再び子供向けへと転じてゆく布石とは思えない……ストーリー原案・脚本が『Fate/Zero』『魔法少女まどか☆マギカ』の虚淵玄だし。
                      昭和から平成にかけて戦争の傷痕が薄れてゆく中、破壊神としてのゴジラは時代の風潮に合わせながら変質し、環境問題を絡めた自然の代弁者等を経て守護神のようになった。

                      アニゴジは自然神寄りの存在だろうか?
                      本作に登場するゴジラは、金属に極めて酷似した筋繊維の集積体で強い電磁気を発生させる特性を持つ体組織で、歴代最大となる膨大な質量を支えている。地球の生命淘汰(とうた)の果て、植物を起源に持つ超進化生命体として2万年の永き時を生きながらえた存在(※4) だという。
                      植物……誰が私に行ったかは忘れたが、「地球の支配者は植物であり、人間の地球温暖化は植物が光合成に必要な二酸化炭素を生み出させるため」という趣旨の言葉。飛躍した話ではあるが。(因みに、私はこれを論拠に地球温暖化を肯定するものではない。)
                      ただ、人間をはじめ地球上の動く生き物全て、何らかの形で植物の恩恵を賜っていると思うと、‘植物を起源に持つ超進化生命体’という設定に納得がいく。

                      映画『アバター』では、惑星パンドラの植物は電気的な繋がりをもって動物やナヴィ族とも繋がりを持つことを視覚的に示していたが、私は“アニゴジ”のゴジラは同じ系譜のその別の形に思えた。

                      ゴジラは人間に死をもたらし、それ故に己を憎む人間に斃される事さえも肯定するような、悟りきったような眼をしていた。あの眼にギャレス・エドワーズ監督の『GODZILLA』も思い出した。

                      人間と目が合った時、ゴジラとは何か意思疎通ができたような……それは人間の欺瞞かも知れない。
                      その目には、あるいは己の死さえ達観しているゴジラの内面が表現されているような気がした。

                      1. 1 時間の遅れ (Wikipedia 日本語)
                        https://ja.wikipedia.org/wiki/時間の遅れ
                      2. 2 植物工場 (Wikipedia 日本語)
                        https://ja.wikipedia.org/wiki/植物工場(2017/12/16 確認)
                      3. 3 

                        生態学的に見ると、昆虫が食べた植物のエネルギーを体質量(ボディマス)に変換する二次生産の効率は平均40%で、魚類の10%や恒温動物の1 - 3%に比べ非常に優れているため、昆虫類は生態学的および経済的に効率の良い動物性蛋白質の供給源となりうるため。

                        新宇宙食シルクナゲットを食べてみる!- 宇宙実験室 JAXAクラブ
                        http://www.jaxaclub.jp/space_lab/08/ (2017/12/16 確認)

                      4. 4 アニメ・ゴジラの“顔”が明らかに 『GODZILLA怪獣惑星』予告編解禁 | ORICON NEWS
                        https://www.oricon.co.jp/news/2095707/full/ (2017/12/16 確認)
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                      現実と幻想、決して交差せずとも互いに影響しあう。
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